リバタリアンの主張は、思考実験としては面白いけれど、まったく現実性がないと思われている。だからここでは、一般に解決不可能と思われている社会問題に対して、リバタリアンだけが現実的な解決案を提示できることを示したい。
解決不可能な問題とは、生活保護と年金の逆転だ。
国民年金の保険料を40年間支払うと、65歳から満額で月額6万6008円の老齢基礎年金が支給される(平成21年度)。
これに対して65歳の単身者が生活保護を受給すると、月額6万3000円~8万円(地方で低く都市部で高い)が生活扶助として支払われ、これに家賃相当分の住宅扶助を加えると、東京などでは扶助総額は月額13万円を上回る。さらに年金受給者は、医療や介護サービスの一部が自己負担になるが、生活保護なら全額公費で賄われる。
年金と生活保護の受給額がこれほどまでにちがうと、「年金を払わずに生活保護を申請した方が得だ」という意見に反論するのはむずかしい。国民年金は、「正直者がバカを見る」制度になってしまっているのだ。
こうした批判に対して厚労省は、「年金と生活保護は制度の役割がちがうから比較対象にはならない」と説明する。生活保護の対象者は、はたらく術もなければ資産もなく、親族からの援助も期待できない特殊なひとたちだ、というわけだ。
しかし高齢者の二極化がすすむにつれて、国民年金の保険料を真面目に納めてきても同様の経済的苦境に陥るひとたちが増えてきた。彼らが生活保護を申請しても、自治体は年金の受給を理由に門前払いするのだから、これでは本末転倒だ。
この矛盾を解消する方法は、生活保護の扶助を減額するか、老齢年金の支給額を増額するか、論理的にはふたつにひとつしかない。しかしこれは、どちらも政治的には実現不可能だ。
生活保護は、「生活できる最低水準」を維持するのに必要不可欠な金額、とされている。これを大幅に減額することは、生活できない社会的弱者を大量に生み出すことになるだろう。
老齢基礎年金は、国民年金受給者だけでなく、厚生年金などを含むすべての年金の基礎部分なのだから、その大幅な引き上げには莫大な税金の投入(もしくは国債の大量増発)が必要になるにちがいない。
このようにして、生活保護と年金の逆転を語るひとは、思考停止に陥ってしまう。
だがリバタリアンであれば、きわめてシンプルで、なおかつ現実的な解決策を提示できる。
- 生活保護の扶助額を基本的な生活コスト(家賃や光熱費、食料品などの価格)に連動させる。
- 規制撤廃によって、あらゆる経済的な既得権をなくす。
これだけだ(生活保護のような現金給付型の生活保障はやめるべき、という“正論”は脇に置いておく)。
私は経済の専門家ではないから、規制撤廃の効果については蔵研也氏の『国家は、いらない』の成果を援用させてもらおう。
蔵氏の分析では、日本の公共料金(電気・ガス・水道)はアメリカなどに比べて異常に高く、一般家庭の光熱費は自由化によって半額から3分の1に下げられる。
日本の地価と家賃が高いのは、借地借家法の歪んだ運用によって、一部の借地(借家)人が法外な既得権を得ているからだ。
さらに「食糧自給率」という根拠のない理屈を振りかざして農家を過剰に保護しているため、米や麦、牛肉といった生活に直結する食材にきわめて高い関税がかけられている。こうした関税を全廃すれば、家計における食費は半分以下(米にいたっては10分の1)になるはずだ。
*それに加えて、テレビ局などの「電波利権」は2兆円にものぼり、電波帯域を競売すれば社会保障の大きな財源になるという。
こうした規制によって不公正な利益を享受しているのは、電力・ガス・水道などの半国営産業や、強い政治的影響力を持つ農協などの少数者だ。規制の撤廃で彼らの既得権益を一般大衆に解放すれば、私たちの基礎的な生活コストはいまの半分にまで下がるだろう。
そうなれば、生活保護の扶助額は、対象者の生活の質を完全に維持したまま半額程度まで減額できる。年金の受給額は変わらないのだから、真面目に年金保険料を払ってきたひとたちは、これまでよりずっと余裕のある(もちろん生活保護の対象者よりも豊かな)老後を送ることができるはずだ。
リバタリアンのこの提案を「非現実的」と笑ううひとは、これ以外にどのような方法で「生活保護と年金の逆転」というやっかいな社会問題を解決できるのか、ぜひ具体的な対案を教えてほしい。