適切な罰則はよりよい社会をつくる 週刊プレイボーイ連載(463)

日本の「民主主義社会」の特徴は、罰則を極端に嫌うことです。新型コロナ対策の特別措置法でも、当初は「罰則などとんでもない」され、感染抑制対策は国民の努力義務(行政からのお願い)になりました。その結果が「自粛警察」の跋扈で、それがあちこちでトラブルを起こしたことでようやく、改正特措法では入院を拒否した感染者や、営業時間の短縮命令に応じない事業者に過料を科すことになりました。

コロナ禍が始まって1年経って罰則の導入へと一歩踏み出したわけですが、ルール違反を「罰する」ことはこれほどまで恐る恐るやらなければならないことなのでしょうか。

処罰の効果については、公共財ゲームを使った興味深い研究があります。参加者はそれぞれ同額のお金を渡され、そのなかから好きな金額をファンド(投資信託)に拠出することができます。ファンドは預けられた資金を運用して増やし、参加者全員に均等に分配します。

A、B、Cの3人に1000円ずつ与えられ、ファンドで投資資金を倍にできるというシンプルな例で考えてみましょう。全員が1000円全額を拠出すれば3000円の投資額が倍の6000円になり、それを均等に分配するのですから、1人あたり2000円です。参加者全員(みんな)のことを考えれば、これがいちばんいいに決まっています。

しかし、参加者Cにとってはもっとうまい方法があります。AとBが1000円を拠出し、自分が1円も出さなければ、倍になった4000円が3人に分配されて(分配金1333円)、自分のお金が(手持ちの1000円と合わせて)約2300円になるのです。当然、AとBもこの「抜け駆け」に気づいて全額を出すのをためらうでしょう。

このゲームを繰り返しやってみると、最初はみんなそれなりの金額をファンドに拠出しますが、回を重ねるにつれて(1円も出さない)ただ乗りが優勢になり、拠出額は減っていきます。自分だけが損をして相手がいい思いをするのはものすごく不愉快なのです。

そこで次に、このゲームに処罰を導入してみます。参加者は、自分の手持ちからいくらかお金を払うことで、抜け駆けしたプレーヤーを罰することができます。

すると驚いたことに、処罰が可能になるだけで、処罰なしの条件より平均拠出額が2~4倍高くなりました。それも回を重ねるごとに拠出額が上がり、最終ラウンドでは6~7.5倍にもなったのです。

この効果は、参加者がコストを払ってでも積極的に処罰することから説明できます。6ラウンドのゲームでは84.3%の参加者がすくなくとも1回は誰かを罰し、裏切り行為の74.2%は処罰されました。

いったん処罰が導入されると、抜け駆けすれば罰せられることを思い知らされます。その結果、処罰ありの条件では正直者がバカを見るリスクが減り、より多くのお金をファンドに拠出することが合理的な戦略になります。

処罰のない「やさしい社会」はフリーライダー(ただ乗り)を増やすだけで、適切な処罰はみんなを幸福にするのです。

参考:Ernst Fehr and Simon Gachter(2000)Corporation and Punishment in Public Goods Experiments, American Economic Review
パトリシア・S・チャーチランド『脳がつくる倫理 科学と哲学から道徳の起源にせまる』化学同人

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