2003年5月、滋賀県の病院で男性患者(当時72)が死亡します。その2カ月後、看護助手をしていた20代の女性のもとに、滋賀県警の若い男性刑事から電話がかかってきました。刑事は「亡くなった患者に責任を感じないのか」と強い口調で出頭を求め、看護助手は取調室で患者の遺影を見せられ、「人工呼吸器が外れてアラーム音が鳴ったのに適切な処置を怠った」とはげしく叱責されました。
怖くなった看護助手が「鳴った」と認めると、話はさらに奇怪な方向に転じていきます。当初は業務上過失致死だったのに、人工呼吸器のチューブを引き抜き、酸素の供給を遮断して殺害したことにされたのです。
裁判で元看護助手は無罪を訴えますが最高裁で実刑が確定、刑務所に12年間収監されました。2017年に満期出所すると、家族や支援者に押されて再審請求を起こし、その過程で、警察が「患者は呼吸器のチューブ内でたんが詰まり、酸素供給低下状態で死亡した可能性が十分にある」と鑑定医が述べた捜査報告書を作成していたことが明らかになりました。驚くべきことに、警察は都合の悪いこの報告書を検察に送っていなかったのです。
元看護助手の弁護を担当した井戸謙一弁護士によると、彼女には「発達障害の一つであるADHD(注意欠陥多動性障害)と軽度の知的障害」があり、若い担当刑事は「(自供のあと)急にやさしくなって、彼女の話を熱心に聞き励ますようになった」といいます。「若い男性と親身に話をした経験がなかった彼女は、その若い刑事に恋愛感情を抱きます。(中略)刑事への関心を引き付けたいという思いと(略)自責の念が入り交じり、パニックになって『チューブを抜いた』と述べてしまったのです」(「無実の罪晴れてなお」朝日新聞2020年4月1日)。
警察ではマスコミで大きく報じられる事件が「手柄」とされており、所轄にとっては、たんなる業務上過失致死(うっかりミス)より「殺人事件」の方がずっと魅力的です。取り調べで「ホシを落とす」ことが“一流のデカ”の証明とされてもいたのでしょう。若い男性刑事は発達障害の被疑者を操って殺人事件をでっちあげ、上司もそのことを知っていて、ウソがばれそうになって組織ぐるみで隠蔽したのです。
再審での無罪判決のあと、滋賀県警は「無罪を真摯に受け止め今後の捜査に生かしたい」とコメントしただけで、無実の市民を冤罪で12年間も刑務所に送り込んだことへの謝罪はいっさいありませんでした。大津地検にいたっては、「自白の任意性を否定した指摘には承服しかねる点も存在する」と判決を批判し、まるで警察にだまされた自分たちが「被害者」のような態度です。
カルロス・ゴーン日産元会長は逃亡先のレバノンから、取り調べに弁護士の立ち合いを認めない日本の司法制度をはげしく批判し、海外メディアも「まるで中世の魔女裁判」と報じました。それに対して検察は、起訴後の有罪率が極端に高いのは「精密司法」だからだと反論しましたが、「精密さ」の実態がこれです。
私たちは、いつ冤罪で刑務所に放り込まれるかわからない国に生きているのです。
参考:「西山さん無罪 15年分の涙」朝日新聞2020年4月1日
『週刊プレイボーイ』2020年4月13日発売号 禁・無断転載