最初は、たわいもない話でした。ロックバンドの女性が、親友だった男性ミュージシャンと絶交したとフェイスブックに書き込んだのです。
きっかけは、そのミュージシャンが知人の女性にひわいな写真を送りつけたとSNSで告発され、ライブ会場から出入り禁止になったことでした。バンドのメンバーは疑惑を否定しましたが、#MeToo(ミートゥー)運動で社会がセクハラにきびしくなっていることもあって、彼女は「ひとりの女性として、彼がしたすべてのことを拒絶する」と書きました。それはたちまち「炎上」へとつながり、ミュージシャンは仕事を失い、アパートを追い出され、別の街に引っ越さざるを得なくなって、人生は過酷なものになりました。
その後彼女は、ロックバンドのボーカルとして(すこし)有名になりました。すると突然、高校時代の出来事を蒸し返されて大炎上することになります。誰かが女子生徒のヌード写真をSNSにアップし、その写真に対して彼女が辛辣なコメントをしたというのです。
この「糾弾」はたちまちネットに広まり、彼女は音楽業界から出入り禁止になりました。友だちはみんな離れていき、なにもかも失った彼女は、この世界から消えてしまいたいと思ったといいます。
10年以上前の「ネットいじめ」を告発したのは若い男で、「彼女がつらい思いをしていることが気にならないのか」と訊かれ、こうこたえています。
「セックスでイッたときみたいに楽しかったよ。あいつのこと? どうだっていいよ。ヒドいことをしたんだから自業自得だろ。生きようが死のうが俺には関係ないね」
このようにいう男は、幼い頃から親に虐待されていました……。
立派なことをいうひとは世の中にたくさんいますが、「正義」にとって不都合な真実は、他人をバッシングすると脳内に快楽物質(ドーパミン)が出るようにヒトの脳が「設計」されていることです。脳の画像を撮影すると、復讐を考えたときに活性化する部位は、快楽を感じる部位ときわめて近いことがわかりました。道徳的な不正をはたらいた者を「糾弾」すると、セックスと同じような快楽が得られるのです。
さらに不都合なのは、匿名で道徳的な「糾弾」を執拗につづけるひとには「実生活の幸福感が低い」という共通する特徴があることです。仕事が充実していたり、恋人や家族から愛されていれば、こんなことで「自己実現」する理由がありません。バッシングによって「オルガスム」を得るより、ふつうにセックスしたほうがいいに決まっているのですから。
このようにして、「非モテ」や「インセル(非自発的な禁欲主義者)」などと呼ばれる集団内でお互いをディスったり、女性やLGBTのようなマイノリティを攻撃して気分よくなろうとする現象が起きました。「モテ(上層カースト)」に所属する男女は、こうした「炎上騒動」を困惑しつつも高見から見物しています。
ネットの効用は、誰でも自由に自分の意見を主張できるようになったことです。これは素晴らしいことですが、その代償として、世界じゅうで「糾弾」というドラッグを手放せない「正義依存症」のひとたちを大量に生み出したのです。
ちなみに、これはアメリカで実際に起きた話です。日本ではどうでしょうか?
参考:David Brooks“The Cruelty of Call-Out Culture How not to do social change.”The New York Times Jan,14,2019
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