新刊『もっと言ってはいけない』の「まえがき」を、出版社の許可を得て掲載します。発売日は明日(1月17日)ですが、すでに大手書店の店頭には並びはじめています。見かけたら手に取っていただければ幸いです。
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「最初に断っておくが、これは不愉快な本だ。だから、気分よく一日を終わりたいひとは読むのをやめたほうがいい」と、前著『言ってはいけない 残酷すぎる真実』の冒頭に書いた。だとしたら続編である本書は「もっと不愉快な本」にちがいない――。
そう思われてもしかたがないが、それは誤解だと断っておきたい。このタイトルは、「言ってはいけない」ことをもっとちゃんと考えてみよう、という意味で、本書では「私たち(日本人)は何者で、どのような世界に生きているのか」について書いている。その世界は、一般に「知識社会」と呼ばれている。
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知能は遺伝する、精神疾患は遺伝する、犯罪は遺伝する……と話すと、ほとんどのひとから「ほんとうかもしれないけどそんな本はぜったいに出せない」「そんなことを書いたらたいへんなことになる」と警告された。だが実際には、『言ってはいけない』を読んだ方からは、「救われた」「ほっとした」との多くの感想が寄せられた。
「遺伝決定論」を批判するひとたちは、どのような困難も本人の努力や親の子育て、あるいは周囲の大人たちの善意で乗り越えていけるはずだとの頑強な信念をもっている。そしてこの美しい物語を否定する者を、「差別主義者」のレッテルを貼って葬り去ろうとする。
だが、本人や子どもがどれほど努力しても改善しない場合はどうなるのだろうか。その結論は決まっている。努力しているつもりになっているだけで、努力が足りないのだ。なぜなら、困難は意志のちからで乗り越えられるはずなのだから。
行動遺伝学は、遺伝の影響が身体的な特徴だけでなく「こころ」にも及んでいることを明らかにした。すべてが遺伝で決まるわけではないものの、私たちが漠然と思っているよりその影響はずっと大きく、精神疾患の場合は症状が重いほど遺伝率は高くなる。神経症傾向の遺伝率は46%だが、統合失調症は82%、双極性障害(躁うつ病)は83%だ。それ以外でも、自閉症の遺伝率は男児で82%、女児で87%、ADHD(注意欠陥・多動性障害)は80%と推計されている(1)。
遺伝率80%というのは「親が統合失調症だと8割の確率で子どもが同じ病気にかかる」ということではないが、これがどのような数字かは、身長の遺伝率が66%、体重が74%であることからイメージできるだろう。背の高い親から長身の子どもが生まれるより高い確率で、こころの病は遺伝するのだ。
日本のメディアではいまだにこれは「言ってはいけない」ことにされているが、欧米では一般読者向けの啓蒙書にも「統合失調症は遺伝的な影響を強く受けている」とふつうに書いてあるし(2)、それが差別かどうかの議論にもなっていない。遺伝の影響をいっさい認めない日本の現状が異常なのだ。
現代の遺伝学が明らかにしつつあるのは、「どんなに努力してもどうしようもないことがある」という現実だ。
授業を座って聞いていられないのはADHDかもしれない。自閉症はきわめて遺伝率の高い疾患だが、日本では子育てが悪いからだといわれてしまう。発達障害の子どもを抱える親たちはつらい経験のなかでそのことに気づいていたが、遺伝の影響を認めない社会では、口先だけは同情の言葉を並べ立てても、誰もがこころのなかで「そうはいっても、ちゃんと子育てしてればあんなことにはならないんでしょ」と思っている。
そんな非難にじっと耐えていた親たちが、私の拙い本を読んで、自分が悪かったんじゃないんだ、こんなに頑張っても結果が出ないのには理由があったんだと感じたのではないだろうか。
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行動遺伝学の知見によれば、一般知能(IQ)の遺伝率は77%でやはりきわめて高い。だが東大医学部に4人の子どもを入れたママが出てくると、子どもが東大に入れないのは母親が努力していないからだという理屈になっていく。
「やればできる」イデオロギーは、ものすごく残酷だ。ちゃんと子育てすれば、どんな子どもでも(ビリギャルでも)一流大学に入れるはずなのだから。――さらに残酷なことに、祖父母やきょうだい、友人を含む周囲のひとたちは、あふれんばかりの善意によってこうした仕打ちをする。
『言ってはいけない』はほとんど書評の対象にならなかったが、「ここだけの話だけど、あの本に書いてあることは事実だよ」と囁かれているという話はあちこちで聞いた(何人かの専門家からは、「自分たちが言えないことを勇気をもって書いてくれた」と直接、感謝された)。そのなかにはリベラルな教育者もいて、ふだんは新聞やテレビで「経済格差をなくすために幼児教育も大学も無償化すべきだ」と論じているが、ある雑誌編集者に「成績なんてぜんぶ遺伝で決まるんだよ」と語ったのだという。
とはいえ私は、これを「偽善」だとことさらに批判するつもりはない。私を含め、すべてのひとは多かれ少なかれ偽善者だというだけのことだ。
それよりも私が奇妙に思うのは、「知識人」を自称するひとたちが、「ほんとうのこと」を隠蔽し、きれいごとだけいっていれば、世の中がよくなると本気で信じているらしいことだ。
前提がまちがっていれば、そこから導かれる解決策は役に立たないのではないだろうか。それとも、私の知らないなにかの魔法がはたらいているのだろうか。
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本書では「人種(大陸系統)によって認知能力にちがいがある」という説を紹介しているが、「なぜわざわざそんな不愉快な話をするのか?」と思うひともいるだろう。「傷つくひとが一人でもいるのなら、そんな話題は控えるべきだ」というのが、昨今では“良識”とされるようになった。
もちろん、たんなる露悪趣味でこれを書いているわけではない。本書を最後まで読めば、「私(日本人)は何者か?」という問いを考えるのにこのテーマが避けて通れないことを理解してもらえるだろう。
なお私の考えでは、これから述べることは「中国人」や「韓国・朝鮮人」にもかなりの程度あてはまる。それは日本人の祖先が中国大陸や朝鮮半島からやってきたからであり、「東アジア系」が遺伝的にとてもよく似ているからだ。
その一方で本書は、「日本はスゴい」という昨今の流行にも合っている。なぜならここでは、「日本人は世界でもっとも“自己家畜化”された特別な民族だ」と述べているのだから。――「自己家畜化」という聞き慣れない用語が本書のテーマだが、それについてはおいおい説明していきたい。
社会科学を「世界を理解するための学問」とするならば、「現代の進化論」はそのもっとも強力なツールだ。コンピュータなどテクノロジーの驚異的な発達を背景に、脳科学や分子遺伝学、ゲーム理論やビッグデータ(統計解析)などの新しい学問と融合して、社会や人間に対する考え方を根底から書き換えつつある。本書で書いていることは、そうした知見をロジカルに展開するとこうなるほかはないという意味で、私たちがやがて行きつく場所を示していると考えている。
私の他の著作と同じく、本書ではできるかぎり証拠(エビデンス)を示すようにしている。日本ではまだあまり理解されていないが、英語圏では一般書でも根拠を示さない主張は議論に値しないと見なされているからだが、煩瑣に思われるなら無視してほしい。
もちろん、本書で提示した「不愉快な仮説」が証拠にもとづいた(エビデンスベースドの)批判によって覆されることもあるだろう。その場合はよろこんで自説を撤回し、世界について、人間についてあらためて考えなおしたいと思う。
- 遺伝率の出典は安藤寿康『遺伝マインド』有斐閣
- シッダールタ・ムカジー『遺伝子 親密なる人類史』早川書房