S.Mさん
日々奴隷の如く働いている26歳のサラリーマンです。
『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』を読み終えても、読む前から抱いていた2つの疑問の解決には未だ至っておりません。それが以下の2点です。
(1)一代で巨万の富を得る理由。
(2)運と努力の関係。
「運」に関しての記載で、「偶然(運)を聞きとる能力→決断→努力→勇気」という流れに関しては全く寸分の狂いもない事実だと思います。しかしまだ何か腑に落ちません。
(2)に関してですが、普段仕事の中でも、まず努力した者に運が来ている気がします。所謂、村上和雄氏がいう「サムシング・グレート」なるものでしょうか。
その「運」自体も、聞きとる、聞きとらないといったような高度な「運」だけではなく、周りから見ても明らかに「ツいている。」といった単純な「運」もしかりです。
私は理系出身で、非科学的なもの、精神論など必要以上に毛嫌う傾向がありますが、よく自己啓発本にも載っているような月並みな言い方をするならば、「頑張れば運が味方をする。」を認めざるを得ない気がします。
この点に関して、もしお時間があればお答え頂ければと思います。
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一代で巨万の富を得たひとがいる理由は、「果ての国と月並みの国」で説明できます。
めったに起きず、いつどこで起きるかも予測できないけれど、いちど起こればすべてを変えてしまうようなまれな事象がブラックスワンです。「スワンは白鳥」という常識は、たった一匹のブラックスワンによって覆ってしまいます。
一代で巨万の富を得たのは、果ての国でブラックスワンに出会ったからです。
ふたつめの質問を敷衍すれば、「どうしたらブラックスワンに出会えるか」ということになるでしょう。
まず確実にいえることは、「ブラックスワンは果ての国にしか棲んでいない」ということです。月並みの国で待ちつづけても、幸運の黒い鳥はやってきません。
では、果ての国で懸命に努力すれば、ブラックスワンは現われるのでしょうか? タレブ(『ブラック・スワン』の著者)は、これには否定的です。まれな事象は予測不可能なのだから、努力はなんの役にも立たない、というのが理由です(それに対して月並みの国では、努力が報われることは多いでしょう)。
私は、「すべては運だよ(努力したって意味がない)」とは思いません。しかしその一方で、「努力した者だけに運がめぐってくる」ということにも躊躇があります。ここには、強い生き残りバイアスが働いているからです。
たとえば100人の努力するひとたちがいるとして、そのうち1人か2人が大きな成功をつかみます。べき乗則の支配する果ての国では、原理的に、誰かはショートヘッドになるからです(市場参加者の全員が均しく成功できない、ということはあり得ません)。
ブラックスワンに出会った幸運なひとを見て、私たちは、「努力したからこそいまの成功がある」と思うでしょう。しかしこのとき、彼と同じように(もしくはそれ以上に)努力したものの、成功できなかったたくさんのひとたちがいることを見落としてしまいます。
努力せずに成功することはありませんから、努力が成功の必要条件であることは間違いないでしょう。しかし、「幸運のブラックスワンはもっとも努力した者を選んで舞い降りる」というのは美しすぎる虚構だと、私は考えています。
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