10万円商品券問題からわかる「贈与とは権力闘争」

石破首相が衆院選で初当選した議員と会食した際、「お土産代わり」として10万円の商品券を配ったことで窮地に陥っています。その後の報道では、これは自民党の慣例で、首相はそれに従っただけともいわれます。とはいえ、石破氏は政治資金をめぐる不適切な慣例を変えることを期待されて選出されたのですから、炎上するのもしかたないでしょう。

ここでは、慰労目的の会食が政治活動なのかどうかという不毛な議論を離れ、「そもそも贈与とはなにか」を考えてみましょう。

ポトラッチは北米インディアン(ネイティブアメリカン)の儀式で、ヨーロッパの宣教師によって「発見」されました。毛皮や宝飾品など豪華な品物を互いに贈り合い、場合によっては贈答品を破壊したりもすることから、消費社会における浪費の象徴と見なされたのです。

ところがその後、本来のポトラッチは、部族の長が客を招いて舞踏や歌唱を披露する際に、魚の干物などを贈り合うありふれたものだったことがわかりました。それがヨーロッパ人との交易によって「経済格差」が拡大すると、裕福になった者が贅沢品を贈るようになり、その贈与合戦が過激になって収拾がつかなくなってしまったのです。

なぜこれほどまでして、ポトラッチに熱中するのでしょうか。それは、贈与が社会的ステイタス、すなわち権力関係を決めるからです。

お中元やお歳暮などでは、贈られた品物と同等の返礼をしなければなりません。この返礼品は豪華でも粗末でもいけないので、頭を悩ませたひとも多いでしょう(幸いなことに、いまはこうした慣習はなくなってきています)。

その理由は、同じ価値の贈り物をし合うことで“絆”を維持する同時に、お互いが“対等”であることを確認しているからです。贈答品と返礼品が釣り合わないと、一方が「上位」でもう一方が「下位」になってしまって都合が悪いのです。

これを逆にいうと、AさんがBさんに贈与をして、Bさんがそれに見合う返礼ができないと、Bさんの社会的ステイタスはAさんよりも低くなってしまいます。濃密な共同体では、誰が誰に何を贈ったかの情報は全員に共有されるので、他者に支配される低い地位に甘んじたくなければ、なんとしてでも同等の贈り物をしなければなりません。

同様の理由で、主従の関係がはっきりしている場合、主人が従者に贈与しないのは権力を失墜させることになります。ステイタスの低い者にとっては、贈り物すらできない=権力のない者に従う理由はないからです。このようにして、典型的なムラ社会である政治の世界で「昭和」の贈答の文化が長く保存されていたのでしょう。

とはいえ、今回は商品券を受け取った若手議員が、「政治とカネ」でさんざん批判されているときにこれを受けとるのは“炎上案件”だと気づいて返却したことで、この慣習が衆人の知るところとなりました。

こうして時代の価値観は変わっていくのですが、今回はたまたま石破氏が、スケープゴートになる外れくじを引き当てたということなのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2025年3月31日発売号 禁・無断転載