ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2019年3月公開の「日本の労働生産性が50年近くも主要先進7カ国のなかで最下位である理由とは?」記事です(一部改変)。

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日本経済の大きな謎は、ひとびとが過労死するほど必死に働いているにもかかわらず、労働生産性が際立って低いことだ。公益財団法人日本生産性本部の報告書『労働生産性の国際比較 2017 年版』では、次にように書かれている。
「2016 年の日本の時間当たり労働生産性(就業 1 時間当たり付加価値)は、46.0 ドル(4,694 円/購買力平価(PPP)換算)。米国の 3 分の 2 の水準にあたり、順位はOECD 加盟 35 カ国中 20 位だった。名目ベースでみると、前年度から 1.2%上昇したものの、順位に変動はなかった。主要先進 7 カ国でみると、データが取得可能な 1970 年以降、最下位の状況が続いている」
森川正之氏(経済産業研究所副所長)は『生産性 誤解と真実』(日本経済新聞出版社)で、「日本経済はなぜこんなに生産性が低いのか」についてのさまざまな通説・俗説を実証的に検証している。
ちなみに私は、「日本は先進国のふりをした前近代的な身分制社会」で、それが働き方の歪み=生産性の低さにつながっていると考えており、これについて『不条理な会社人生から自由になる方法 働き方2.0vs4.0』(PHP文庫)に書いた。
そもそも「生産性」とは何か?
そもそも「生産性」とは何だろうか? これは一般に「全要素生産性(TFP//total factor productivity)のことで、「労働生産性と資本生産性の加重平均」と定義される。
「労働生産性」は、労働者1人1時間当たりどれだけの付加価値が生み出されたかの指標で、「付加価値」は、経済全体の場合はGDP、個々の企業では(ざっくりいえば)粗利にあたる。「労働生産性=付加価値/労働投入量」というわけだ。
この単純な割り算から、労働生産性を高めるには2つの方法があることがわかる。分母の労働投入量を減らすか、分子の付加価値を増やすかだ。要するに、「すくない人数(労働時間)でたくさん稼げばいい」という話だ。
当然のことながら、「(サービス)残業してもぜんぜん利益が出ない」なら労働生産性は低くなる。日本企業の多くは、この情けない状態になっている。
それに対して「資本生産性」は、「機械設備、店舗など資本ストック1単位当たりの付加価値額」のことで、資本(機械や土地など)を使ってどれだけ効率よくお金を稼いだかの指標だ。
農業でよく使われる「単収」(農地1ヘクタール当たりの収穫量)も一種の資本生産性で、日本の農業は資本生産性(単収)が高くても労働生産性は低く、アメリカの農業は資本生産性(単収)が低く労働生産性が高い。その結果、農業の全要素生産性(TFP)は日本よりアメリカの方がずっと高くなる。これは日本の農地が細切れで非効率なのに対し、アメリカの大規模農業が効率的だからだ。
一般に、国全体のTFPのうち約3分の2が労働生産性、約3分の1が資本生産性の寄与度とされている。これが、「生産性」を語るときに労働と資本の両方を勘案しなければならない理由だ。
国のTFP上昇率は、次の式で導き出される。
TFP上昇率=実質GDP成長率‐(労働投入時間(労働者数×平均労働時間)の増加率×労働の寄与度)‐(資本ストックの増加率×資本の寄与度)
ここからわかるように、TFPの上昇は、労働と資本の増加率で説明できる要素を除いたあとの「残差」だ。この「説明できないもの」が生産性で、技術進歩(イノベーション)の指標ともされる。
経済成長に関する実証的事実を包括的に整理した研究によれば、第二次世界大戦後の米国の1人当たり経済成長率の8割は生産性上昇によって説明できる。また、各国間の所得水準のちがいの半分以上は生産性格差によって生じている。
生産性と賃金のあいだには頑健かつ強い正の相関関係がある。生産性の高い国ほど国民の平均賃金が高いし、生産性の高い企業に勤める従業員ほど賃金が高い。中長期的にはTFP上昇率と労働生産性上昇率との間には比較的高い相関関係があり、ひとびとの関心も「どうしたら賃金が上がるのか」だろうから、労働生産性上昇率を生産性の代理指標とすることには一定の妥当性がある。
生産性上昇率を大幅に加速できれば、間違いなく中長期的な経済成長率は高くなる。1人当たりGDPも増えて国民はゆたかになり、財政・社会保障制度の持続可能性が高まり、少子高齢化=人口減へのバッファーにもなるだろう。こうして安倍政権は、「生産性革命」を掲げることになった。
賃下げしても生産性は高まらない
労働生産性についての典型的な誤解に、「賃金を抑制(賃下げ)すれば利益が増えて生産性が高まる」がある。
だが、生産性の分子にあたる付加価値には、企業の取り分である利益や利払い費だけでなく、労働者の取り分である労働費用(給与・賞与・社会保険など)が含まれている。単に賃下げしたからといって、分母にあたる労働投入量が変わらなければ、利益が労働者から会社(株主)に移転するだけで生産性は上がらない。
同様に、国全体の生産性を計算するときの分子となるGDPには雇用者報酬・営業余剰が含まれている。「日本の労働生産性はアメリカの3分の2」との指摘に対して、「アメリカでは労働者が搾取されているからだ」という反論は成立しない。
生産性が上がれば従業員の時間当たり平均賃金は高くなるが、この因果関係を逆にして「賃上げすれば生産性が高まる」とはいえない。賃金の引き上げにともなって企業収益が減少すれば付加価値は増えず、利益が会社から労働者に移転するだけでやはり生産性は変わらない。
「日本は商品やサービスの価格が安すぎる」との意見もあるが、これは名目と実質を混同した議論だとされる。
生産性上昇率は価格変動を補正した実質で評価されるので、財・サービスの生産量や質が変わらなければ、価格を引き上げても生産性は上昇しない。インフレで物価が2倍になっても国全体の生産性が2倍になるわけではない。
「価格が高ければ生産性が上がる」なら、かつてのソ連や中国のように国営企業が市場を独占して高い価格を設定すればいい。その効果は破滅的で、市場競争のない経済がどうなるかは現代史が証明している。
日本のサービスは質が高いが、だからといって生産性の低さを説明できない
生産性の国際比較では、日本の製造業は主要国並みでもサービス業の生産性が低い。ここから、「日本人はサービスはタダだと思っている」とか、「日本と(たとえば)アメリカではサービスの質がちがう」という主張が出てくる。
そこで森川氏は、「全国物価統計調査」(総務省)を使って、小売店の業態がちがっても商品価格が同じかどうかを調べた。サービスがほんとうにタダなら、丁寧なサービスをする百貨店とサービスのない量販店で価格差はないはずだ。
だが実際には、調査対象279品目の平均値は百貨店(+28%)、コンビニエンスストア(+6%)、一般小売店(+5%)、スーパー(-6%)、ドラッグストア(-10%)、量販店(-12%)の順で価格が異なっていた。
メーカー、ブランド、商品スペックがまったく同一の「特定商標品目」141品目でも、コンビニエンスストア(+8%)とドラッグストア(-7%)の販売価格には平均で15%強の差があった。
ここから、日本の消費者も、利便性、品揃え、接客といった小売サービスの質に対して一定の価格を支払っていることがわかる。「サービスに対してお金を払ってもらえない」という怨嗟の声は、「消費者が希望していない過剰なサービスを高いコストをかけて提供しても、然るべき価格設定ができないのは当然である」と森川氏に一蹴されている。
「宅配便が何度でも再配達する日本と、留守なら雨が降っていても玄関先に置いておくだけのアメリカ」というよく使われる例えは、「サービス業の生産性の国際比較は質を考慮していない」との批判を説得力のあるものにしている。
そこで日本生産性本部は、20種類のサービスを対象に「同一サービス分野における品質水準の違いに関する日米比較調査」(2009年)を実施し、サービスの質にどれほどのちがいがあるかを検証した。
日本と米国の両方で生活経験を持つ日本人と米国人に対して、「日本のサービスの質が米国に比べて何%程度高い/低いと思うか」を訊ねたところ、地下鉄、タクシー、コンビニエンスストアなど一部でサービスの質に大きなちがい(日本の方が質が高い)があったものの、全サービスの平均で日米の質の差は5~10%ほどという結果になった。
「サービス品質の日米比較」(2017)はこの調査を拡張・発展させたもので、質の高いサービスに対する支払い意思額を日本人・米国人に質問したが、ここでもやはり平均的には日本のサービスの質が5~10%高いという結果が出た。
この調査から、単純な生産性比較は日本の生産性水準を過小評価しており、「日米でサービスの質がちがう」というのは俗説とはいえないことがわかった。ただしその効果は、「日本の労働生産性はアメリカの3分の2」という大きな差を説明するにはまったく不十分だ。
労働生産性の分子にあたるGDPが(物価の差を調整する)購買力平価(PPP)でドル換算されることから、「日本の労働生産性が低いのは円が過小評価されているから」との主張もよく聞かれる。だが森川氏は、「日本の物価上昇率が低かったため、90年代以降PPPは一貫して円高方向に動いてきており、ドル換算した日本のGDP水準を高める方向に動いている」としてこの批判を退けている(2019年3月5日日経新聞「経済教室」)。
「ダイバーシティ(多様性)が生産性を向上させる」は疑わしい
次に、安倍政権が進めている「働き方改革」が「生産性革命」につながるかの検証を見てみよう。
同一労働同一賃金によって非正規の待遇を改善すれば生産性は上がるのだろうか。
経済合理性の観点からは、公正な賃金とは労働者の生産性に見合っていることで、同じ生産性(equally productive)にもかかわらず異なる扱いを受けている状況が「差別」と定義される。
そこで森川氏は、パートタイム労働者の生産性と賃金が均衡しているかどうかを日本企業のデータを用いて分析し、「パートタイム労働者の賃金水準は、平均的に見ると生産性への貢献とおおむね釣り合っている」との結果が出た。「企業がパートタイム労働者全体に対して差別的な扱いを行なっているわけではなく、市場競争の下で合理的な賃金設定を行なっている」ということだ。
これを私なりに解釈すると、日本企業はパートタイム労働者を生産性の低い仕事にしか活用できておらず、(森川氏は言及していないが)非正規と同じような仕事をしている正社員の賃金が高すぎることを示しているのだろう。
「ワークライフバランスが高い企業は生産性が高い」というのは間違いではないが、ここから「働き方改革で生産性が高まる」とはいえない。ワークライフバランスと生産性は疑似相関で、「経営の質」という要因を考慮に入れると相関関係は消失する。かんたにいえば、「すぐれた経営をしている会社は生産性が高く、ワークライフバランスにも配慮している」ということだ。
「ダイバーシティ(多様性)が生産性を向上させる」も実証的には疑わしい。
ベルギー企業を対象とした定量的な研究では、企業の生産性・賃金に対して教育の多様性はプラス、年齢の多様性はマイナスとなった。性別の多様性の効果は企業の技術/知識環境で変わり、ハイテク産業/知識集約型産業ではプラス、伝統的な産業ではマイナスになる。国籍の多様性も、ハイテク産業では生産性に強いプラスの効果を持つのに対して、ローテク産業ではそうした効果は見られない。これは、労働者間のコミュニケーションにコストがかかるからのようだ。多様性は、企業および労働者にとって常に良いこととは限らない。
女性取締役や社外取締役を増やすダイバーシティの効果も実証的に評価されている。
ノルウェーをはじめとして、スペイン、イタリア、フィンランド、フランス、オランダなどの欧州諸国で取締役会に一定の女性比率を義務づけるクォータ制が導入された。
ノルウェーでは上場企業に対して女性取締役の割合を40%にするよう法的に義務づけられたが、その効果を分析した研究は、「この規制は企業価値の低下や営業成績の悪化とともに、法的規制から外れる非上場企業への移行を大量にもたらした」と報告している。ただし、FTSE100の大企業に対して女性取締役比率25%という目標を課したイギリスを対象とした研究では、「取締役会の多様性は企業業績と関係ない」とされている。
社外取締役については、S&P1500の米国企業を対象にした分析で、「取締役を務める企業数が少ないほどROA(総資産利益率)が高くなる」という結果になった。「複数の会社を兼務する社外取締役は業績にはまったく貢献しない」という当たり前の話だ。
こうした実証研究をまとめると、「上場企業における社外取締役の増員や取締役会の多様化が普遍的に企業業績に対するプラスの効果を持つという証拠は乏しく、業種や企業の置かれた環境(市場特性など)によって利害得失は異なる」ということのようだ。
最低賃金を引き上げても生産性が上昇するかはわからない
拡大する経済格差の処方箋として最低賃金引き上げを唱えるひとたちがいる。だがリベラルに好まれるこの政策は、高所得の配偶者を持つパートタイムの女性など貧困層以外にも幅広く恩恵が及ぶため、貧困対策としては効果が低い(真の貧困者がターゲットにされない)というのが経済学者のコンセンサスだ。
ただし、最低賃金引き上げへの批判派がいうように、国家権力による強制的な賃上げが雇用の減少をもたらすかどうかはいまだ合意が成立していない。賃上げのコストが企業収益を低下させたり、価格引き上げを通じて消費者に転嫁されるなど、労働者以外が支払うことも考えられるからだ。企業負担による労働者の医療保険が削減された事例があるように、雇用以外の労働者のコストが上昇することも考えられる。
「最低賃金を引き上げれば非効率な企業が市場から退出する」との主張もあるが、賃上げが「ブラック企業」の退出を促し、産業全体の生産性を高める効果を持つかどうかは、実証的なエイビデンスは十分ではなく、現時点では確定的なことはいえない。最低賃金を引き上げたイギリスの実証研究では、高い賃金によって新規参入が減少したとされる。
先進国では、企業が持つ技術知識ストックが2倍になると生産性が8%程度上昇する。ここから、生産性を引き上げるにはITに積極的に投資すればいいと思うかもしれないが、日本の研究開発支出対GDP比率(2016年)は3.42%で、G7諸国のなかでももっとも高い。日本経済の問題は投資額が少ないことではなく、投資の成果が出ないことなのだ。
アベノミクスの「第一の矢」は日銀による積極的な金融緩和政策だが、低金利は市場の競争を緩和し、非効率な企業を存続させ、生産性の上昇を抑制する効果がある。日銀は日本経済の競争力強化を目指しているが、自らの政策が足を引っ張っている可能性がある。
国家の生産性を高めるには、生産性の低い企業が市場から退出し、生産性の高い企業がシェアを拡大する必要がある。生産性の低い地域から生産性の高い地域に人口(労働力)が移動するのも同じことだ。中小企業支援や地域振興など政治的に好まれる政策は、日本全体の生産性を引き上げるうえではマイナスに働くことになる。
森川氏が強調するように、生産性を上げることと、格差を縮小し平等な社会を実現することのあいだには深刻なトレードオフがあるのだ。
「社員のやる気のない会社は生産性が低い」という当たり前の話
日本の1人当たりGDPは1990年代から大きく低下したが、為替レートの変化による影響が大きいとしても、「(その理由は)基本的には「失われた20年」を通じた日本の生産性上昇率が他国に比べて低かったことによる」と森川氏は述べる。
とはいえ、アメリカをはじめとする欧米諸国の生産性も世界金融危機以降低下しており、2009~16年にかぎっていえば、日本の生産性上昇率はG7諸国のなかでもっとも高かった。
その一方で、アベノミクスで潜在成長率は上昇しているが、意外にもTFP上昇率は低下傾向にある。金融(リフレ政策)・財政政策によって設備投資(資本ストック)や就業者数(労働投入量)は伸びているものの、それだけでは生産性は思ったほど上がっていないのだ。
「長期停滞論」につていのアメリカ経済の実証分析では、失業率が世界経済危機前の正常な水準に戻ったにもかかわらず経済成長率が低い理由は、①TFP(全要素生産性)上昇率の低さ、②労働参加率の低下という2つの要因でほぼ完全に説明できる。TFP上昇率が鈍化したのは、1990年代に生産性を加速させたIT革命の効果が2000年代半ばには出尽くしたこと、教育水準の上昇による人的資本の質の改善がピークアウトしたことが主な理由だと考えられている。
森川氏は「なぜ日本の生産性は低いのか、多くの研究はなされてきたが、日米の生産性格差を規定する唯一決定的な要因は見いだされていない」と述べている(前出「経済教室」)。だが、経済全体の生産性上昇が①個々の企業・事務所の生産性上昇、②参入・退出や企業の市場シェア変動といった新陳代謝の2つから生じることを考えれば、誰もが、日本経済にこうした市場競争を阻害する要因が深く組み込まれているのではないかと疑うだろう。
多くの研究は、強い雇用保護が生産性に対してマイナスの影響を持つことを示している。裁判所の判例に基づく整理解雇規制の強化が、企業の生産性にマイナスの影響を持つことを示唆する分析もある。
個人や集団(チーム)への成果に応じたボーナスなどのインセンティブ報酬は、一般に企業の生産性に対してプラスの効果を持っている。ただし、終身雇用を重視する伝統的な日本型雇用慣行を変えずに成果報酬を導入するだけでは生産性への効果は観察されない。
アメリカでは、下位10%の質の低い上司を上位10%の上司に置き換えると、チーム全体の生産性が1割以上高くなるとの研究がある。従業員の仕事満足度が高い企業ほど生産性が高いこともわかっているが、会社への忠誠心や仕事へのやる気を示す「エンゲージメント指数」では、あらゆる調査で日本のサラリーマンは世界最低と評価されている(ロッシェル・カップ『日本企業の社員は、なぜこんなにもモチベーションが低いのか』クロスメディア・パブリッシング)。
政策の不確実性が生産性を引き下げるとの研究もある。日本企業が挙げる不確実性は、①社会保障制度、②政府の財政支出、③通商政策、④税制だが、最初の2つは先進国で突出した政府債務残高が原因で、これを解決するのは一朝一夕にはいかないだろう(そもそも解決できるかもわからない)。
このように考えると、いまや「失われた30年」になりつつある日本経済低迷の元凶がどこにあるのか、おおよそ見えてくるのではないだろうか。
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