テレビ局の女性社員と大物タレントのトラブルに端を発した問題は、大手スポンサーが一斉に広告を引き上げる前代未聞の事態になっています。
追い込まれたテレビ局は、フリージャーナリストやユーチューバーを含む500人ちかくが参加する2度目の記者会見を開き、午後4時から翌日未明まで10時間にわたってすべての質問に答えました。それと同時に会長と社長が責任をとって辞任し、翌日、副会長も辞意を表明しました。
発端となった週刊誌の報道に訂正が出るなど、いまも混乱が続いていますが、ここではテレビ局がどこで間違ったのか、「説明責任」から考えてみましょう。
アカウンタビリティ(説明責任)は、「なぜそんなことをしたのか」と訊かれたときに説明できることです。なぜこれが重要かというと、それによって対応が適切か、そうでないかが決まるからです。
テレビ局の説明によると、トラブルを把握した幹部は、女性社員とタレントの認識が異なっていることもあり、その対応に苦慮します。そして、「誰にも知られずに職場に復帰したい」という女性社員の要望に応えるべく、ごく少人数で秘密裏に問題の処理にあたったとしています。
ところが実際には、女性社員は会社を退職し、タレントは何事もなかったかのように番組に出演しつづけたのですから、この「説明」は破綻しています。これでは、「タレントとの関係を優先し、女性社員を切り捨てたのではないか」と疑われるのは当然でしょう。
テレビ局は最初の記者会見で動画の撮影を認めず、「これまで嫌がる相手にもテレビカメラを向けてきたではないか」とSNSで大炎上しましたが、これはトラブル発覚から示談に至るまでの経緯にテレビ局がどのようにかかわったのか、「説明できない」ことを自覚していたからでしょう。その対応が株主や広告主から批判されたため、2回目の記者会見では、説明できないまま「ひたすら罵倒に耐えつづける」ことになったのです。
ではどうすればよかったのか。それは「すべてをアカウンタブルにする」ことです。
そのためには、このようなトラブルが起きたときに、適正に対処するにはどうすべきかの明示的なルールが必要です。それが「コンプライアンスの部署を中心に、弁護士の助言を受けながら事実関係を確認し、人権尊重の原則にのっとって判断する」だったとしましょう。だとしたら、例外なく、あらゆる事案にこの原則を適用しなければなりません。
ここで重要なのは、目的はトラブルの解決というよりも、「手続きどおりにトラブルを処理すること」だということです。「説明責任」は魔法の道具ではなく、ルールどおりにやったらもっとヒドいことになった、ということもあるでしょう。しかしその場合は、批判されるのはルールであって、個人の判断ではありません。
現実には、ルールを無視して関係者だけで処理したほうがうまくいくこともあるかもしれません。しかしこれは失敗すると、社長や幹部のクビが飛ぶだけでなく、SNS時代には大規模なキャンセルの標的になり、「悪」のレッテルを貼られてさらし者にされてしまいます。
会見でのテレビ局幹部の無残な姿を見て、多くの日本の経営者はようやく「コンプライアンス」の意味を理解したのではないでしょうか。
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