メディアの役割は、社会にとって重要な事実(ファクト)を報じるとともに、そのニュースをどう解釈すべきかを示すことです。
フェイクニュースは、事実でないことを「真実」にしてしまいます。ジャーナリズムは隠蔽された事実を掘り起こしたり、冤罪のような誤った事実認定を検証することで「真実」を暴き、政府や法制度に対するひとびとの信頼を維持するという大切な仕事をしています。
事実についての争いは、すべてとはいわないものの、証拠(エビデンス)によってなにが正しいかを決められます。しかし解釈は主観的なものなので、「唯一の正しさ」はありません。
SNSのFacebookやInstagramを運営するMetaは、投稿の信頼性を第三者が評価するファクトチェック機能を廃止し、問題のある投稿にユーザーがコメントをつけられる「コミュニティノート」形式に移行すると発表しました。CEOのマーク・ザッカーバーグは、「ファクトチェックは政治的に偏りすぎていた」と説明しています。
この方針転換に対してリベラルなメディアは、「トランプ次期政権にすり寄ろうとしている」「過激な言論や偽・誤情報が野放しになる」と批判しています。この場合は、「ファクトチェックの廃止」は事実(ファクト)ですが、「トランプへのすり寄り」というのは解釈で、それがファクトである証拠は提示されていません。
Metaのファクトチェックを担当していた通信社や専門機関が、「リベラルに甘く、保守派にきびしい」とトランプに近い政治家やインフルエンサーから強く批判されていたのは間違いありません。
しかしだからといって、ザッカーバーグが保守派の脅しに屈したということにはなりません。保守派の主張が正しく、実際にファクトチェックが偏向していたかもしれないからです。ところがこれを報ずるメディアは、個々の投稿削除の是非を検証するのではなく、一方的に自分たちに都合のいい解釈(SNSが社会を右傾化させている)を押しつけているようにも見えます。
定義上、事実そのものが偏向することはありません。それに対して解釈は、主張する者のイデオロギーによってどのようにも変わるでしょう。そう考えると、この問題を「事実と解釈の関係」として整理することができます。
メディアはこれまで、事実と解釈を一体のものとして独占してきました。事実(ウクライナとガザで多くのひとが死んでいる)を報じるだけでなく、それをどのように解釈するか(ロシアのウクライナ侵攻は許されざる蛮行だが、イスラエルのガザへの攻撃は自衛であり、死傷者が出るのはしかたない)も決めていたのです。
それに対してMetaの新しい方針は、「事実の検証は必要だが、事実に対する解釈は多様であるべきだ」ということになるでしょう。これまで一定の基準(ポリコレ)に適合した解釈しか認めなかったことが、「偏向」と見なされたのです。
保守派は人種や性自認の多様性(ダイバーシティ)に反発していますが、じつは「リベラル」に対して解釈の多様性を求めていたのです。
『週刊プレイボーイ』2025年1月27日発売号 禁・無断転載