テレビ局への大規模な”キャンセル”はなぜ起きたのか? 週刊プレイボーイ連載(629)

わたしたちの社会は、本音と建て前によって成り立っています。

ヒトは進化の過程でつくられた脳の仕様によって、本能的に人間集団を「俺たち」と「奴ら」に分割します。本音とは「俺たちの論理」、建前は「奴ら(他者)との共通の論理」と定義できるでしょう。

建前は人種、国籍、性別、性的指向など異なる属性をもつすべてのひとに平等に適用されますから、「人権」や「社会正義」に基づいたものになるしかありません。これはしばしば「きれいごと」と揶揄されます。

それに対して本音は、建前には反するものの、組織のなかでは正当な理由があると見なされます。こちらは「しかたないじゃないか」の論理です。

政治家の建前は「社会や経済をみんなが望むように変えていく」ですが、現代社会はますます複雑化しており、一人の政治家にできることはほとんどありません。しかしこの本音をいうと選挙に当選できないので、政治家はみな有権者に過剰な約束をせざるを得なくなります。当然のことながら公約のほとんどは実現できず、それによって政治への信頼度が下がっていきます。

興味深いのは、政治を批判するメディアへの信頼度も同じように下がっていることです。「リベラル」を自称するメディアは、「誰もが人権と社会正義を享受できる(建前だけでつくられた)社会を目指すべきだ」と主張しますが、どのような組織も建前だけでは運営できませんから、しばしば大きな困難とぶつかります。そのことがよくわかるのが、有名タレントの“性加害”事件です。

週刊誌の報道によると、バラエティ番組を担当していた大手テレビ局のプロデューサーが、大物タレントに若い女性との会食をセッティングしたところトラブルになり、被害にあった女性は示談金として多額の金銭を受け取ったとされますが、テレビ局は“斡旋”の事実を否定しています。

この事件での建前は、「どのような性加害も許されない」です。それに対して業界の本音は「そんなのよくあること」で、テレビ局の本音は「会社の暗部を表に出せるわけがない」でしょう。

こうした事情は多かれ少なかれどこも同じなので、大手メディアはこの事件について、テレビ局の責任には触れず、事実関係のみを小さく扱うだけの腰の引けた報道をしていました。旧ジャニーズ事務所をあれだけ叩いておきながら、自分たちが性加害に関わっているとの批判に対して、一片のコメントを出して無視を決め込むのは不誠実だとネットが大炎上したのも当然です。

これまで大手メディアは、建前を振りかざして「権力」の本音を批判することを「正義」だとしてきました。そんなことができたのは、メディアが一種のカルテルをつくって、自分たちに都合のいいように「事実」と「解釈」を独占してきたからです。

しかしSNSによって本音と建前のダブルスタンダードが白日の下にさらされると、ひとびとはメディアを信頼しなくなります。アメリカではそれがトランプ大統領の誕生につながりましたが、日本でも20年ほど遅れて同じことが起きているようです。

註:このコラムは2週間ほど前に書きましたが、その後、テレビ局の大株主であるアメリカの投資ファンドが説明責任を求めたことをきっかけに、大手スポンサーが次々と広告を引き上げる事態になりました。テレビ局はあわてて記者会見を開いたものの、ずさんな対応でさらに炎上し、日本では未曽有の規模の「キャンセル」に発展しています。

『週刊プレイボーイ』2025年1月20日発売号 禁・無断転載