ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
トランプ大統領の第2期の就任式が近づいていますが、そういえば第1期就任前の2016年末にアメリカとメキシコの「国境に壁」を見に行ったことを思い出したので、そのときの旅行記をアップしました。
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2017年に第45代アメリカ大統領に就任したときのドナルド・トランプの掲げた政策は、オバマケア廃止、TPPからの離脱、ムスリムの入国禁止、米国の雇用を減らす企業への制裁などいろいろあったが、そのなかでもっとも耳目を集めたのは「メキシコとの国境に万里の長城をつくる」だろう。
カリフォルニアやテキサス、フロリダの一部はかつてはスペイン領で、メキシコとのあいだには長大な国境がある。西部劇では保安官に追われた悪党が、砂漠の国境を越えてメキシコ側に逃亡するのが定番だった。そのイメージが強いので、多くのひとは、アメリカとメキシコの国境はいまも自由に行き来でき、だからこそ「国境に壁をつくる」というトランプの主張が支持を集めたと考えているだろう。
じつは私もその一人だったのだが、メキシコとの国境がどうなっているのかGoogle Earthで確認すると、そこには壁のようなものが映っている。これはいったい何なのか。2016年末にひさびさにアメリカを旅する機会があったので、アルバカーキで車を借りて国境の町エル・パソまで見にいくことにした。
アメリカはパスポートなしでも出国できる
メキシコとの国境はカリフォルニア、アリゾナ、ニューメキシコ、テキサスの4州にまたがるが、エル・パソはテキサス州の最西端で、ニューメキシコ州との境にある。テキサス州の帰属をめぐるアメリカ・メキシコ戦争(米墨戦争)でリオ・グランデ(スペイン語で「大きな川」)が国境になったことで街が南北に分断され、北がエル・パソ、南のメキシコ側がシウダー・フアレス(旧名はエル・パソ・デル・ノルテ)と呼ばれるようになった。
エル・パソの人口は70万人弱で、その7割以上がヒスパニックとされている。そのためアメリカ領にもかかわらず、スペイン語が英語と同様に使われている。
メキシコとの国境はエル・パソの中心部から南に20分ほど歩いたところにあり、ホテルにチェックインしたあと写真を撮りに行くことにした。
リオ・グランデを跨ぐ橋は、東側のサウス・スタントン通りと、西側のサウス・エル・パソ通りの2カ所にあり、川の手前に貨物列車の線路が走っている。最初に東側の橋に行ったところ、車道の右側が歩行者用の通路になっていて、歩行者の通行料は25セント(約30円)だった。せっかくここまで来たのだからと、橋を途中まで渡ってみることにした。
最初に驚いたのは、リオ・グランデだ。「大きな川」というその名から悠々たる大河を思い描いていたのだが、エル・パソのリオ・グランデはコンクリートの堤防のあいだに水がすこし溜まっているだけで、まったくイメージとちがっていた。
次に驚いたのは、国境の看板を撮ってアメリカ側に戻ろうとすると、向こうからやってきたおじさん(エル・パソで買い物したらしく、荷物を抱えて徒歩で橋を渡るひとはかなり多い)から「ここは一方通行だよ」といわれたことだ。メキシコに行きたいわけではなかったので半信半疑のままゲートに戻ると、警備員から「この橋は出国専用なので、入国は向こうの橋を使いなさい」と指示された。
そういわれてみればたしかに、サウス・スタントン通りはメキシコ側に向かう一方通行で、入国管理の施設もない。いったん東側の橋のゲートをくぐってしまうと、メキシコに入国して、西のサウス・エル・パソ通りの橋からアメリカに再入国しなければならないのだ。
なおアメリカには出国審査がない(空港の場合は航空会社が出国手続きを行なう)ので、パスポートを所持していなくても、通行料の25セントさえ払えば国境ゲートを越えることができる。しかしパスポートがないとアメリカへの再入国はもちろん、メキシコに入国することもできず橋の上で立ち往生して、とんでもなく面倒なことになるのは間違いないので、エル・パソで橋を渡るときは注意したほうがいい。
メキシコ側は「世界で最も危険な街」
メキシコ側に入国したくなかったのには、じつは理由がある。エル・パソの対岸の町シウダー・フアレスが、あまり評判がよくないからだ。たとえばWikipediaには次のように書かれている。
(シウダー・フアレスは)近年、工業化が著しく、世界中で最も発展が早い都市の1つとして知られているが、同時に急速に治安が悪化しており「戦争地帯を除くと世界で最も危険な都市」とも恐れられていた。しかし2012年にホンジュラスの都市サン・ペドロ・スーラに抜かれ、現在「世界で2番目に危険な場所」になっている。
「世界で最も危険な都市」から「世界で2番目に危険な場所」に格下げされたと知ってもあまり安心できないが、さらに気を重くしたのは、今回の旅行前に『皆殺しのバラッド』というドキュメンタリーを観たからでもあった。「メキシコ麻薬戦争の光と闇」という副題を持つこの作品は、メキシコの麻薬ギャング相手に治安維持に奮闘する警察官と、その麻薬王たちを讃える「ナルコ・コリード(麻薬の歌)」という歌謡曲を歌って人気者になるアメリカのヒスパニックのミュージシャンたちを追った興味深いドキュメンタリーだが、その舞台がシウダー・フアレスで、配給会社による日本語版の紹介には次のように書かれていた。
「世界で最も危険な街」とされるメキシコの都市シウダー・フアレス。およそ100万の人口を抱えるこの街では、年間3,000件を越す殺人事件がある(2010年3,622件)。地元警察官として殺人事件の現場で証拠品を集める男リチ・ソト。彼と彼の同僚警官たちは、報復を恐れて黒い覆面を被って事件現場に出動する。メキシコでは起きた犯罪の3%しか捜査されず、99%の犯罪は罪に問われること無く放置される。実際、下手に捜査を続けると命が危ない。メキシコ国内で強大な力を持つ非合法の麻薬密輸カルテルが、それらの事件の背後にいるからだ。彼らは警察組織や軍を買収し、捜査を阻む。組織に従わないものは次々と処刑される。リチの机の上には、現場検証で集めた証拠物品の山が積み上げられていくだけ。周りの人々は「銃弾コレクター」と彼を皮肉まじりに揶揄する。1年間で彼の同僚警官が4人も殺害されている。真面目に職務をこなす警官にとって、フアレスは非常に危険な街なのだ。
自業自得とはいえ、そんなところにこれから行かなくてはならないのだ。気が重くなる理由もわかってもらえるだろう。しかし、メキシコに入国しなければアメリカに再入国できないのだから、先に進むしかない。
メキシコ側の入国ゲートは、メキシコ人はなんのチェックもなく素通りだった。旅行者はどうすればいいか訊くと、建物のなかにある入国管理窓口を指差された。窓口の女性は、いきなり現われた外国人にびっくりしていた。ここからメキシコに入国しようという外国人旅行者はめったにいないのだろう。
「このままアメリカ側に戻る」と告げると、窓口で入国と出国の書類に記入するよう指示され、パスポートに入国スタンプを捺してもらってゲートを通過した。
かなり前のことだが、カリフォリニアとメキシコの国境の町ティファナを訪れたことがある。ここはアメリカ人に人気の観光地で、目抜き通りには土産物店やバー、レストランのほか、薬局がずらりと軒を並べていた。処方箋なしで医薬品が安く買えるということで、持病のあるひとがわざわざ薬の買い出しに来るらしい。
エル・パソと接するシウダー・フアレスにも観光客向けの店があるのではないかと思っていたが、車道に沿って素っ気のない建物が並んでいるだけで、徒歩で観光できるとは思えない。道の向こう側にタクシーが並んでいたので、中心部はここからすこし離れたところにあるのだろう。
すでに日は暮れかけているし、街を散策するだけの度胸もないので、西に300メートルほど離れたところにある出国用の橋にそのまま向かうことにした。
アメリカに「不法滞在」?
「世界で最も危険な都市」の称号を持つとはいえ、正規の出入国のための場所なので、東の橋から西の橋まで歩いてもとくに危険を感じることはなかった。とはいえ、路上にホームレスが寝ていたり、麻薬のせいか明らかに目つきのおかしい男性が毛布をまとって徘徊しているなど、あまり長居をする気にならないのも確かだ。
出国用の橋まで来ると、ゲートの手前から長い列ができている。ゲートは自動になっていて25セントコイン(メキシコペソも可)を入れると開くようになっている。そのままアメリカの入国審査場に向かって列が延びており、メキシコ側でのパスポートチェックはなかった。
長蛇の列を見て愕然としたが、なかには列の脇をすり抜けていくひともいる。ほぼ全員が地元のメキシコ人だと思うのだが、アメリカ市民権を取得しているひともいて、彼らは列に並ぶ必要がないようだ。
案に相違して列はかなりのスピードで進み、30〜40分で入国審査場にたどり着いた。入国審査官から「アメリカ入国の目的は?」と訊かれたので、「エル・パソのホテルに泊まっていて、メキシコ側を見に行っただけ」とこたえると、「ああ、そうなの」という感じでパスポートを返されてそれで終わりだった。
ちょっと橋の写真を撮るつもりが、アメリカに再入国する頃にはすっかり日が落ちていた。(メキシコに渡る)サウス・スタントン通りにはなにもなかったが、(メキシコから入国する)サウス・エル・パソ通りは衣料品店や雑貨店がずらりと並んでいた。ティファナとは逆に、ここではメキシコのひとたちが国境を越えてアメリカ側で買い物をするようだ。
ちょっとした冒険を終えての私の疑問は、パスポートの出入国記録がどうなっているかだった。私の理解では、アメリカからの出国は素通りで、メキシコでは入国審査はあったものの出国審査はなく(そのため出国用の書類がそのまま手元に残った)、アメリカの入国審査はパスポートをぱらぱらめくっただけだ。だとしたら、記録上はメキシコに入国したままになっているのでないか。
そんな疑問をTwitterでつぶやいたら、Department of Homeland Security(国土安全保障省)のホームページからアメリカの出入国記録を確認できることを教えてもらった。
それによると、私は2016年12月14日にニューヨークのニューアーク国際空港からアメリカに入国し、12月18日に出国したことになっている。出国場所の記載はないが、18日はエル・パソからシウダー・フアレスに行った日なので出国記録が残っていたようだ。
しかし不思議なことに、同じ18日の再入国の記録がない。私はその後12月30日までアメリカに滞在し、サンフランシスコ国際空港から帰国したのだが、航空会社の出国カウンターでパスポートを確認したにもかかわらず、それも記録されていない。これだと12月18日〜30日は「不法滞在」になってしまうが、アメリカの国境管理はこれでいいのかと、たしかにちょっと不安になった。
「国境の壁」はすでにできていた
リオ・グランデはコロラド州のロッキー山脈を水源とし、まっすぐ南下したあとに東へと進路を変え、メキシコ湾へと注ぐ。エル・パソでニューメキシコ州からテキサス州に入るが、ここから川の中央がアメリカとメキシコの国境になる。エル・パソから西へはニューメキシコ、アリゾナ、カリフォルニアの3つの州があるが、ここでは平原や砂漠、山岳地帯が国境だ。
Google Earthで確認したところ、壁はエル・パソから西側の国境につくられているようなので、町の西隣にあるサンタ・テレサSanta Teresaに行ってみた。エル・パソの国境は地元のひとたちの交流が主だが、こちらは大型トラックが行き来する物流の拠点だ。
メキシコに向かう幹線道路から外れて国境に近づくと黒いフェンスが現われる。高さ5メートルほどで、それがえんえんとつづいている。これを「壁」と呼んでいいのなら、トランプの主張のずっと前にすでに国境の壁はできていたのだ。
調べてみると、このフェンスは9.11後のブッシュ政権下で2006年から建設が始められたもので、エル・パソ以西のおよそ1000キロを対象にしている。エル・パソから国境沿いの9号線を車で西に走ったのだが、平原のはるか先にフェンスがあるのが見える。ノガレスやティファナといった国境の町も、Google Mapで確認すれば「壁」によって区切られていることがはっきりわかる。
アメリカとメキシコの国境は長大で(3141キロもある)、なおかつ国境沿いにはほとんどひとが住んでいないところも多いので、不法移民の流入を防ぐことはほぼ不可能だ。移民たちはその後の移動が楽なように、できるだけ都市の近くで国境を越えようとするが、都市周辺の国境警備が厳しくなったことで、フェンスを設置できないアリゾナ州のソノラ砂漠や山岳地帯からアメリカ側に入るようになった。その結果、熱射病、脱水症状、低体温症などで死亡するケースが続出し人権問題になっている。——もっとも最近のアメリカでは、こういう議論はあまり関心を呼ばないようだ。
トランプのいう「万里の長城」がどのようなものか定かではないが、現在、設置できていない砂漠や山岳地帯までフェンスを延長しようとすれば相当な難工事が必要になるし、エル・パソ以東のリオ・グランデは満足な道路すらない地域の方が多い。このような辺鄙な場所では不法移民が国境を越えてもその後の移動が困難だから、「壁」をつくる意味があるかは疑問だ。
メキシコとの国境を不法に越える移民がどれほどいるかは諸説あるが、国境警備隊U.S.Border Patrolによれば2006年時点で年間100万人を超えていた逮捕者が現在は年間50万人程度まで減っており、国境警備の強化に一定の効果があることは間違いない。しかしアメリカ=メキシコ国境の(合法的な)往来は年間のべ3億5000万人にのぼり、国境警備で数十万人の不法移民を逮捕したところで大海の一滴の感はぬぐえない。
「壁」が麻薬の密輸防止に有効だとの声もあるが、メキシコの麻薬カルテルは潤沢な資金で国境を越えるトンネルを掘っており(すでに何本も発見されている)、そうでなければ沿岸警備隊も追いつけない高速艇で麻薬と現金を運んでいる。
メキシコ国境との壁はすでにつくられており、それを「万里の長城」に拡張しても移民の流入を止めることはできず、莫大な予算を投入してもほとんど効果のない「壮大な愚行」となる可能性が高いだろう。
*その後、バイデン政権下で不法移民は年間200万人を超えるようになり、これが2024年の大統領選でのトランプ勝利の一因となった。
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