兵庫県知事のパワハラ騒動にさしたる興味はなかったのですが、それでもSNSで何回か「ワイドショーの報道がひどすぎるので、ぜひ取り上げてください」と依頼されたことがあります。なんのことかと思ってURLをクリックすると、知事が「ゆかたまつり」でボランティアに罵声を浴びせたという報道について、現場の担当者が「(知事はボランティアが待機していた公民館に行っておらず)怒鳴ったという事実はありません」とSNSに投稿していました。
「ワインのおねだり」についても、何件か拡散の依頼をもらいました。県の会議で「生産者が頑張ってワイン作っている、応援してください」と県議から頼まれた知事が、「ぜひ応援したいですね、機会があれば飲んでみたいですね」と社交辞令を述べたときの音声が流出し、ワイドショーが前後の文脈を切り取って、知事が生産者に「おねだり」したとさかんに報じたというのです。
私はワイドショーを見ないので、「こんなのはちょっと調べれば事実関係がわかるのだから、すぐに訂正されるだろう」と思っていました。ところがどうやら、テレビ局は自社の報道を検証・訂正するのではなく、「パワハラで自殺者を出した知事が辞任しないのはけしからん」と、自分たちを“善”、知事を“悪”として、正義の鉄槌を振り下ろすことに狂奔していたようです。
県議会の不信任決議で失職した知事が再出馬を表明すると、この「善悪二元論」のストーリーは選挙によって決着がつけられることになりました。知事の辞任を求めたメディアは、落選して当然という報道を繰り広げました。
ところがこのあたりから、風向きが変わりはじめます。全会一致で辞職させられた前知事が、たった一人で街頭演説する姿を見て、「改革を断行しようと孤軍奮闘し、既得権を守ろうとする県議会に寄ってたかって引きずり下ろされた」という、別のストーリーを語るひとたちが現われたのです。
この「対抗言説」に信憑性を与えたのが、「ゆかたまつり」や「ワインのおねだり」のような「ファクト」のかけらです。「ファックトチェック」が大好きなメディアは、こうしたファクトを検証するのではなく、県の職員の4割が知事のパワハラを見聞きしたことがあるという伝聞のアンケート結果を繰り返すだけでした。
事実と伝聞を並べれば、事実の方が説得力があるのは当然です。選挙期間中も、前知事を応援するひとたちは、さまざまな事実(とされるもの)をSNSなどで拡散し、「メディアの報道はすべてデマ」と主張しました。
こうして前知事は、「罠にはめられ、すべてを失った政治家」という別のキャラへと変身しました。興味深いのは、前知事自身がSNSでなにが起きているのかをよく理解できておらず、その“無垢”な姿がより同情を誘ったことです。
前知事の選挙事務所前では、当選が決まると、見ず知らずの支援者たちが互いに抱き合い、涙を流して喜び合ったそうです。兵庫県知事選は、「どん底に落ちたヒーローを自分たちのちからでもういちど輝かせる」という、劇場型の“推し活”だったのです。
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