インフルエンサーは 「思想的リーダー」

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2018年4月12日公開の「今、アメリカで起きている 「思想的リーダー」の台頭と言論市場の変容とは?」です(一部改変)。

alphaspirit.it/Shutterstock

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今回は、ダニエル・W・ドレズナーの『思想的リーダーが世論を動かす 誰でもなれる言論のつくり手 』 (佐々木俊尚監修、井上大剛・藤島みさ子訳/パンローリング)を紹介したい。原著のタイトルは“The Ideas Industry”(「思想産業」あるいは「言論産業」)で、「ペシミスト、党派主義者、超富裕層は言論の自由市場をどのように変容させているのか?」の副題がついている。

著者のドレズナーは1968年生まれの49歳。タフツ大学国際政治学教授で、ワシントンポストの常連寄稿者でもある。政治的立場は「保守」だが反トランプで、2017年10月に共和党員を脱退している。

そんなドレズナーがアメリカの言論市場を内側から観察・批評した本書は、私たちにとっても興味深い。なぜならほぼ同じ事態が日本でも起きているからだ。

世界を変える「思想」を語るインフルエンサー

本論に入る前に、いくつかの用語を説明しておこう。

監修者である佐々木俊尚氏が解説で指摘しているように、本書のキーワードは「知識人」と「思想的リーダー」だ。

知識人(Public Intellectuals)は「公共政策関連のさまざまな論点について意見を述べられるだけの知識や経験を備えた専門家」と定義され、一部にシンクタンクの研究員がいるもののその多くは大学の教員だ。

それに対して思想的リーダー(Thought Leader)は「知的伝道者(Intellectual Evangelist)」で、「思想的リーダーが持っているのは一つの大きな思想だけだが、その思想が世界を変えると信じている」とされる(ニューヨーク・タイムズのコラムニスト、デビッド・ブルックスは「野心を持った、船から船へと品物を売り歩くやり手の行商人」と揶揄している)。彼らは象牙の塔にこもって専門家しか読まない論文を書くのではなく、アカデミズムの周縁や外側で活動し、自らの思想を言論市場に投じる「ビジネスパーソン」でもある。

Thought Leaderはビジネス用語として登場し、日本語では「オピニオンリーダー」の訳があてられることもあるが、Opinion Leaderという用語が別にあるので、そのちがいがわからなくなる。Thought Leaderには、たんなるオピニオン(意見)ではなく、独自の思想によって社会に影響を与え、動かしていくという含意がある。

ドレズナーによれば、現代のアメリカでは思想的リーダーが知識人を圧倒するようになった。その結果、言論の自由市場(The Marketplace of Ideas)はビジネス化し、“The Ideas Industry”というひとつの産業になったのだ。

思想的リーダーは在野の言論人だけでなく、大学の教員であることもある。著者の専門である国際政治の世界では、『歴史の終わり』のフランシス・フクヤマや『文明の衝突』のサミュエル・ハンチントンが思想的リーダーの典型で、経済学では『貧困の終焉』のジェフリー・サックスが取り上げられている。

彼らに共通するのは、既存の知識を上書きするのではなく、それが正しいかどうかは別として新たなパラダイムを提示し、大きな社会的影響力をもったことだ。フクヤマとハンチントンは学問の領域にとどまっているが、サックスは「行動する経済学者」として国連の「ミレニアム・ヴィレッジ・プロジェクト(MVP)」を率い、開発援助によって貧困をなくせることを証明しようとした(そしてこの野心的な試みに失敗した)。

参考:ジェフリー・サックスの「ミレニアム・ヴィレッジ・プロジェクト」はどうなったのか?

このように考えると、「思想的リーダー」がどのような存在なのかがわかる。20世紀を振り返れば、レーニンや毛沢東のような巨大な影響力をもつ思想的リーダーが登場した。「レーニン思想」や「毛沢東思想」という言葉からわかるように、彼らはマルクス主義をベースに独自の思想を展開し、権力を奪取することで自らの理想(ユートピア)を実現しようとした。――異論はあるかもしれないが、ここにヒトラーやポルポトの名を加えることもできるだろう。

世界(パラダイム)を変えるのが「思想」だとすれば、いつの時代にも「思想的リーダー」はいたし、20世紀の大物たちに比べれば現在はずいぶんと小粒化しているということもできる。「思想的リーダー」という新たな人種が誕生したわけではなく、公共圏(Public Sphere)の変容によって、従来の知識人と思想的リーダーの関係が変わってきたのだ。

こうした変化の背景にあるのが、「権威の信用低下」「アメリカの政治的二極化」「経済格差の拡大」だ。

ジャーナリストはカイロプラクターより信用されていない

さまざまな世論調査によって、アメリカ人の政府への信用度が歴史的な低水準にとどまっていることが明らかになっている。

ピュー研究所の調査によると、第二次世界大戦後の政府支持率のピークは1964年の77%で、ベトナム戦争とウォーターゲート事件で支持率が半減したあとは浮き沈みを繰り返し、今世紀に入ってからは9.11同時多発テロの直後に54%でピークをつけたものの、2013年11月には政府閉鎖の影響で19%と最低を更新し、それ以降も好転の兆しはない。

行政(ワシントンの官僚)・司法(最高裁判所)・立法(議会)をみても、今世紀になってからすべての部門で支持率が下落しつづけており、ここ数十年で支持率が上昇した政府機関は軍だけだ。しかしその軍ですら、ミレニアル世代のあいだでは不支持が広がっている。「政治形態としての民主主義を含め、すべての政府機関に対して一番否定的なのは18歳から24歳の世代」なのだ。

テレビや新聞をはじめとする主要メディアへの信用も過去に例がないほど下がっている。この10年でジャーナリズムへの信用は失われつづけ、いまやカイロプラクターより信用されていない。2012年には、占星術に科学的な根拠があると信じているアメリカ人の割合が過去30年間で最大になった。当然のことながら、アカデミズムなどの知的権威に対する信用も崩壊した。

だがドレズナーは、これによってアメリカの言論市場は活性化したという。なぜなら、知識人の信用が崩壊したことで言論市場に参加する条件が対等になり、博士号や大学教授の肩書とは縁のない思想的リーダーにチャンスがめぐってきたからだ。

「権力者が尊敬される社会では、知的ギルドの「門番」だちは、学位を持っているかどうか、あるいは著書があるかどうかなどの条件を課すことで、参加者を制限できた。(中略)言論市場の民主化によって、従来型の知識人は権威の立場からものをいうのが難しくなった。これにより、新しい概念は生まれやすくなったが、同時に誤った概念の排除が困難になった」とドレズナーはいう。

こうした傾向をさらに加速させたのが、保守(保守)対リベラル(民主党)のアメリカ政治の二極化だ。

最近の研究では、アメリカ人は、人種やジェンダーよりも党派主義によって人を差別する場合が多いという。「共和党員と民主党員の違いは、民族のくくりと同じ」なのだ。これが「パルチザン・ソーティング(Partisan sorting/党派心による整列)」で、ひとびとは言論市場で自らと同じ政治観を探し、異なる政治観を持つ人々を攻撃している。

党派心が高まると、それぞれのグループがお抱えの知識人を持ちたがるようになり、相対的に知識人(言論人)への需要が増える。さらに言論市場が両極化したことで、高みから分析するような批評(上から目線)が嫌われ、イデオロギー面で同質性の高い思想的リーダーたちに極端に有利な状況が生まれた。このようにして、思想的リーダーが従来の知識人を圧倒するようになったのだ。

「資本家対労働者」というマルクス主義的な階級対立が意味を失ったことで、政治的党派心がアイデンティティとなり、感情的な対立を引き起こしている。これはアメリカだけでなくヨーロッパも同じで、フランスやドイツ、オランダなどでは移民排斥を掲げる「極右」政党が台頭し、その一方でユーロ危機の影響で経済が停滞したイタリア(五つ星運動)やスペイン(ポデモス)では「極左」政党が急成長を遂げた。嫌韓・反中やリベラル批判など、同様の事態が日本でも見られるのはいうまでもない。

世論調査では、両極化が進んでいない論点については、専門家の意見によって国民の考えが大きく左右されることがわかった。これは知識人にとって朗報だが、すでに国民の意見が二分されている論点では、専門家による指摘はむしろ逆効果だった。いったん「知的閉鎖(Epistemic Closure)」が完成すれば、自分が属する党派以外の専門家からの批判は、もともと持っていた考えをさらに強化することにしかならないのだ。

超富裕層の資金によって言論はビジネス化した

知的権威の信用低下と党派的な二極化が進んでいることはアメリカも日本も同じだが、思想的リーダーが台頭するもうひとつの要因である「経済格差の拡大」は事情が異なる。ドレズナーの用語では、これはごく一部の富裕層に富が集中した結果、彼らが言論市場のパトロンとして登場したことを指している。

1974年から2014年の40年間で、アメリカの上位0.01%の所得は6倍になり、全体の5%を占めるまでになった。そんなスーパースター(超富裕層)たちの政治意識はきわめて高く、84%がつねに政治の動向に注目し、99%が先の大統領選に投票し、40%が上院議員と個人的に連絡をとっている。2016年選挙戦の最初の段階では、160戸に満たない家庭からの寄付が全体の約半分を占めたという。

超富裕層は現代アメリカにおける最大の慈善家であり、「ベンチャー・フィランソロピー」や「フィランソロキャピタル」という言葉も登場した。有名なのは右派・保守派のパトロンであるコーク一族だろうが、ビル・ゲイツやジョージ・ソロスのようなリベラルな慈善家もいるから、彼らが右傾化の元凶だと単純に決めつけることはできない。

右か左かにかかわらず、新しいタイプの慈善家に共通するのは「3つのM」だ。マネー、マーケット、メジャーメント(指標)で、彼らは自らの成功体験に基づいて慈善事業をビジネス化しようとしている。

政治意識の高い富裕層に支えられているのがTED (Technology Entertainment Design)などの「ビッグ・アイデア」イベントで、そこで評判になると講演依頼が殺到する。いったん思想的リーダーと認められれば、その講演料は1回5万ドル(約550万円)から7万ドル(約770万円)にもなるという。

興味深いのは、知識人が富裕層の寵愛を勝ち取ろうと競争した結果、思想の方向性がリバタリアニズムに近づいているという指摘だ。シリコンバレーのベンチャー起業家が典型だが、彼らは自由なグローバル市場で、自らのちからで激烈な競争を勝ち抜いて大きな富を手にしたと考えており、その信念を正当化してくれる者に大金を惜しみなく払うのだ。

超富裕層の資金が流れ込むことで言論はビジネス化したが、旧来の知識人はこのことに強く反発している。彼らの反応は3つに分けられるとドレズナーはいう。

社会科学では、思想の役割とは行為者の選好を変えることとされているが、いまでは学者の大半は、ひとびとの選好は基本的に固定されていると考えている。実質的な誘因に変化が起きない限り、どれほど説得しても考え方が変わることはないのだ。

こうしてペシミストは、公の問題への無関心が広がるなか、ひとびとの心に響くのは極端な意見ばかりになるという。知識人が取りうる手段が誇張しかなくなったとき、言論市場では底辺への競争が始まるのだ。

ブッシュ政権のイラク戦争は今世紀におけるアメリカ外交の最大の失敗だが、それを先導したのはネオコンと呼ばれる、左翼から転向した一群の「新保守主義」の知識人たちだった。これを例に挙げてペシミストは、思想的リーダーの意見の大半は公共政策に悪影響を与えるものでしかないと主張する。

それに対してポピュリストは、ワシントンの官僚や大学に巣くう「リベラル」が道徳や伝統をないがしろにしていると怒る。だが彼らの反知性主義(反エリート主義)は、皮肉なことに、逆に知識人の影響力を強くする。自分たちの怒りを正当化するためには、敵(知識人)を強大に描かざるを得ないのだ。

最後に懐古主義者だが、彼らの「文化的ペシミズム」の特徴は、過去の最良と現在の平均を比較することだ。時間がたつと過去の悪いものは消え去っていく。

過去に対するゆがんだ憧憬と、現在に対するいきすぎた過小評価の組み合わせが懐古主義に独特の欠点を生む。日本でも事情は同じなのは、昨今の田中角栄ブームを見ればよくわかるだろう。

このように、言論の「産業化」に対する批判はどれも弱々しいものだ。それらはいずれも、思想的リーダーに対する需要と供給の盛り上がりを抑える効果はないとドレズナーはいう。

「ポストモダンの相対主義」「サブカル化」「ルサンチマン」

日本でも多くの思想的リーダーが登場しているが、私見によれば、その背景にはもうすこし別の要因もありそうだ。

ひとつは1980年代に思想界を席巻したポストモダンの相対主義。ブームを牽引した思想家たちは、真理などというものはなく、すべての文化は等価で、そこにはただ差異があるだけだと説いた。

ポストモダンはアメリカの大学にも影響を与えており、SNSにヘイトコメントを頻繁に書き込むあるネットユーザー(「Twitter暴徒」と呼ばれている)は、ニューヨーク・タイムズのインタビューに次のようにこたえている。

「大学でポストモダニズム理論に関するものを読んだことがある。あらゆるものが物語であるならば、支配的な物語に取って代わる物語が必要だ」

ふたつめはサブカル化。「嫌韓」の主張はマンガから始まり、ヘイトデモの様子は動画サイトに投稿されて広がったが、これも日本だけの現象ではなく、IS(イスラム国)はFacebookを効果的に活用し、原理主義的な主張をアニメにしてイスラーム圏の若者たちを惹きつけた。アメリカではこうした現象は、「言論市場のポップ化」と呼ばれている。

3つめはルサンチマン。知識人として尊敬されるには、有名大学の教授だったり、ノーベル賞をはじめとする有名な賞の対象にならなければならないが、思想的リーダーの多くはこうしたメインストリームから脱落している。彼らは、自分が認められないのはなんらかの「陰謀」のせいだと思っており、エスタブリッシュメントの知識人に強い怒りを抱いている。日本においては、日銀を批判し大胆な金融緩和政策を説いた「リフレ派」の経済学者のなかにこうした心情を見ることができるだろう。

嫉妬と欲望が渦巻くアメリカの言論の世界では、こうしたルサンチマンはさらに増幅されることになる。最後に、アメリカを代表する思想的リーダーの一人であるファリード・ザカリアの体験を紹介しよう。ザカリアはインド・ムンバイのムスリムの家庭に生まれ、イェール大学を卒業後、ハーバード大学で博士号を取得した国際政治学者で、『フォーリン・アフェアーズ』編集長などを歴任したあとCNNの番組でホストを務めている。

ザカリアは世俗主義者を自認しているが、その出自から「イスラーム原理主義のテロリストを擁護している」との中傷を頻繁に受けていた。ついには「ジハードと称して白人女性をレイプしよう」と呼びかけたという嘘の記事(フェイクニュース)をネットに掲載されたのだが、その後に起きたことをこう述べている。

「何百人もの人がこの(嘘のニュースを掲載した)サイトにリンクを貼ったり、ツイートしたり、リツイートしたり、コメントしたりした。そこにはここで紹介するのが憚られるほど野卑な言葉や人種差別的発言が並んでいた。2、3の極右ウェブサイトがそれを転載した。転載を繰り返すたびに論調はますますヒステリックなものとなり、人々は私が解雇されるべきだとか、国外追放されるべきだとか、死刑になればいいとか言いはじめた。それから数日間は私に対する脅迫の言葉がネットにあふれ、現実の生活でも恐ろしいことが起こった。ある晩、数人の人たちが家に押しかけてきて、寝ていた私たち家族を起こし、まだ7歳と12歳の私の娘を脅したのである」

アメリカのアカデミズムは日本よりずっと女性が進出しているが、それでも国際政治学で成功を収めた女性学者に対しては、「権力者と寝ることによってその地位を得た」という書き込みを日常的に目にするという。

匿名で有名人を攻撃する機会が与えられれば、つづいて起きる出来事は、国境や言語・文化のちがいは関係ない。SNSが狂気を誘発するのは、日本もアメリカも同じだ。ただし、法外な報酬を手にし、競争が激烈なぶんだけ、アメリカの思想的リーダーが被る災難はずっと大きなものになるのだろう。

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