いまこそ「金銭解雇の法制化」の議論を始めよう

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2018年7月5日公開の「「身分差別」の日本的雇用の破壊後に 「金銭解雇の法制化」は可能か?」です(一部改変)

StreetVJ/Shutterstock

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日本社会ではこれまで、保守もリベラルも含めほとんどのひとが、「年功序列・終身雇用の日本的雇用が日本人を幸福にしてきた」として、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)を「アメリカだけが一方的に得をする制度」「グローバリズムの陰謀」と批判し、「雇用破壊から日本を守れ」と大合唱してきた。

しかしこのところ、このひとたちはすっかりおとなしくなってしまった。

その理由のひとつは、トランプ大統領が、「TPPはアメリカにとってなにひとついいことがない」としてさっさと離脱してしまったことだ。これによって「アメリカ陰謀論者」は梯子をはずされ、なにがなんだかわからなくなって思考停止し、過去の発言をなかったことにしようとしているのだろう。

しかしより重要なのは、安倍首相が「同一労働同一賃金を実現し、非正規という言葉をこの国から一掃する」と施政方針演説で宣言し、先頭に立って日本的雇用を「破壊」しようとしていることだ。これによって「親安倍」の保守派は政権のネオリベ路線を批判できなくなった。

一方、「反安倍」勢力はどうかというと、裁量労働制の拡大や高度プロフェッショナル制度に反対してはいるものの、電通の新人女性社員が過労自殺した事件以降、日本的雇用を表立って擁護できなくなった。それに加えて、「正社員と非正規社員のあいだの合理的な理由のない格差は違法」との判決が相次ぎ、日本的雇用が「身分差別」である実態を否定できなくなった。日本的雇用で犠牲になるのは、非正規社員や子会社の社員、(子育てをしている)女性、外国人など少数者(マイノリティ)なのだ。

こうして紆余曲折がありながらも働き方改革が進められるのだが、この先にはより大きな壁が待ち受けている。それが「金銭解雇の法制化」だ。

不当な解雇が「許される」場合とは

新卒で入社した会社に定年まで「終身雇用」されることが幸福な人生とされる日本では、解雇、すなわち「会社というイエ」から問答無用で追い出す行為はもっとも忌むべきこととされ、「解雇の合法化」など口にするのも憚られる風潮がつづいてきた。

だが大内信哉、川口大司『解雇規制を問い直す―金銭解決の制度設計』(有斐閣)によれば、いまや欧米・アジアの主要国で解雇の金銭解決が法制化されていないのは日本くらいだという。

9人の気鋭の(労働)経済学者による本書では、日本における解雇法制の歴史から、なぜ金銭解決ルールが必要なのか、各国の解雇規制はどうなっているのか、日本で解雇の金銭解決を導入するとしたらどのような制度にすべきかまで、さまざまな興味深いトピックが扱われている。

この問題を考えるにあたって著者たちは、裁判や労働審判で不当解雇とされたものには「許されない解雇」と「許されうる解雇」があるとする。これは一見、奇妙な主張だ。不当=違法なら許さないに決まっている、と思うだろう。

だがよく考えてみると、解雇の不当性にはかなりの濃淡がある。

「許されない解雇」の典型は、差別的な理由によるものだ。日本企業では、妊娠した女性社員が働きつづけようとすると、周囲の足を引っ張るとして陰に陽に退職を促す「マタハラ」が横行している。こうした差別を放置していれば、外国人や障がい者、性的少数者など、「自分たち」とはちがう者をすべて排除するグロテスクな組織ができあがるだろう。

日本人は同質性を好み、会社を(自分たちの生活を守ってくれる)イエと考え、サービス残業などの滅私奉公によって忠誠心を示すことを当然としてきた。内部通報など会社の不祥事を告発するのは「裏切り者」で、そんな社員は追い出すのが当たり前と考える経営者や労働組合は依然多い。そんな解雇を「許される」としてしまえば、日本は「リベラル化」する世界からどんどん脱落していってしまうから、「許されない解雇」をした会社には行政罰を課すだけでなく、その事実を広く告知するなどして社会的制裁を加えることも必要になるだろう。

しかしその一方で、経営環境の悪化による解雇(整理解雇)や、従業員に規律違反や能力不足があるなど、会社側に合理的な理由がありつつも、法が認める要件を満たしていないために「不当」と認定されるケースもある。こうした解雇まですべて「許されない」としてしまうと経営が委縮し、かえって労働者の利益を毀損するかもしれない。だったら、どのような解雇なら「許される」のかを法できちんと決めて、ルールにもとづいて会社と社員(組合)が交渉できるようにすべきだというのが、世界では主流の考え方になりつつある。

本来、裁判において解雇が無効となると、労働契約は解雇時にさかのぼって存在したことになり、労働者は元の職場に復職(原職復帰)できるはずだ。しかし日本では、労働審判で解雇が不当と判断されたり、地位確認訴訟で勝っても、原職に復帰せずに金銭補償で決着するものが圧倒的に多い。

解雇が「不当」と認定されると、日本の会社の多くは賃金だけを払い、仕事に戻るのを拒否する。これは奇妙に思えるが、裁判所は「労働者には原則として就労請求権はない(規定の給与を受け取っているなら、会社に対して「働かせてくれ」と要求する権利はない)」と解しているので、この取り扱いは適法なのだという。こうした状況で解雇された労働者を職場に戻してもうまくいかないとの現実的な判断によって、ほとんどが一定の和解金の支払いを条件として合意退職することになるのだ。

『解雇規制を問い直す』の著者たちは、こうした実態がある以上、労働者の金銭補償の権利を明確化すべきだと提言する。それによって弱い立場の労働者を保護すると同時に、雇用終了コストの算定を容易にすれば経営の不確実性を減少させ、新規雇用を増やす効果も期待できるからだ。

正社員の過剰な保護がグロテスクな「身分制」を生んだ

明治時代に制定された民法では、期間の定めのない労働(雇用)契約は、2週間前の予告さえあれば、一方の当時者によっていつでも解約可能とされていた(民法627条1)。そのため、解雇の自由は辞職の自由と並んで保障され、これは戦後(1947年)に労働基準法が制定されたときも修正されなかった。「民法の定める解約の自由は、当事者の意思に反した契約の継続は望ましくないという自由主義的は価値観によるものであったし、戦後制定された日本国憲法の保障する職業選択の自由や経済活動の自由(22条、29条)に根拠をもつものであった」(大内信哉、川口大司「なぜ金銭解雇のルールが必要なのか」)。

だが1970年代になると、最高裁の判例などによって「解雇権濫用法理」が整備されていく。よく知られているように、(1)人員削減の必要性、(2)解雇回避の努力、(3)人選基準の相当性、(4)手続きの相当性という4つの判断要素に基づき、厳格に解雇の有効性を審査するもので、経営者のあいだでは「いったん雇った正社員は解雇できない」との理解が広がった。この解雇権濫用法理は2003年の労働基準法18条の2に取り込まれ、2007年に労働契約法16条に移行して現在に至っている。

こうした解雇規制の強化は、年率平均10%に及ぶGDP成長率を経験した1955年から73年にかけての高度成長期に強化されたもので、最高裁の判断やその後の法制化は日本企業(大手)の雇用慣行を追随したものだ。その当時は、新卒で採用した「まっさらな」若者を自社仕様に鍛えていくことが競争力の源泉と考えられていた。

以下は私見だが、最高裁の判断の背景には、夫が会社に滅私奉公し、妻は家で子育てを専業にする性役割分業があった。正社員(夫)を自由に解雇できるなら、経済的に立ち行かなくなる家庭が続出してしまう。日本社会は、正社員の雇用を保証しつつ不況時には賃下げやボーナスの減額を受け入させ、株主に対しては低い配当率や安い株価に文句をいわせず、すなわち「オールジャパン」で損失を分散して失業率が上がらないようにしてきたのだ。

だが1990年にバブルが崩壊すると、日本企業はバブル期に大量採用した正社員が重荷になってきた。こうして労働者派遣の規制緩和が行なわれ、正社員を非正規社員に置き換える動きが加速した。とりわけ90年代後半から2008年の世界金融危機に至る10年間は「就職氷河期」で、ここに新卒採用の時期が重なった「ロスジェネ世代」では非正規の比率が大きく高まった。

これについては「ネオリベ」が諸悪の根源とされるのだが、私は、労働市場の流動化は世界的な傾向で、改革の趣旨そのものは間違ってはいなかったと考えている。だとしたらどこで失敗したかというと、欧米では「リベラリな雇用制度」の前提とされる同一労働同一賃金の原則を徹底的に無視し、正社員を過剰に保護したため、正社員と非正規の「身分制」という近代社会ではあり得ない事態を招いたことだ。

解雇権濫用法理では、長期雇用を前提として採用されている正社員を減らす前に、解雇をできるだけ回避するよう努めるべきとされている。「解雇回避努力」では、(たとえ正社員と同じ仕事をしていても)非正規社員を問答無用で解雇(雇い止め)することが正当化されるのだ。こうして世界金融危機のようなショックが襲うと、「下層身分」である非正規社員にすべての負担が集中することになる。――最高裁は、解雇権濫用法理で不況期に職を失うのはパートの主婦などだと考えていたため、このようなグロテスクな事態を想定していたわけではないだろうが。

先進国でも有期雇用の働き方はあるが、何の補償もなく生活の糧を奪われるような雇用契約はあり得ない。このことが国際社会で問題にされそうになって、安倍政権はあわてて「同一労働同一賃金」へと舵を切ったのだろう。

ドイツ、スペイン、アメリカの解雇法制とは?

海外の解雇法制はどのようになっているのだろうか。『解雇規制を問い直す』では、ドイツ、スペイン、アメリカ、フランス、イタリア、イギリス、オランダ、ブラジル、中国、台湾の制度が取り上げられているが、ここでは最初の3カ国を紹介しよう。

【ドイツ】

解雇制限法によって、使用者が労働者を解雇するためには「社会的に正当な事由」が必要とされており、(1)労働者の一身上の事由(疾病罹患など)、(2)労働者の行為・態度(業務違反や非違行為など)、(3)緊急の経営上の必要性のうち、いずれかに基づくものでないと解雇は無効となり、元の職場に復帰するのが原則となっている。

その一方で「解雇判決制度」では、社会的に正当な事由を欠く解雇でも、補償金を支払うことと引き換えに労働関係を解消する判決を求める権利を認めている。これは労働者だけでなく使用者(会社)にも適用され、「解雇を契機として、労働関係を将来に向かって継続させることが期待できないほどに、労働者および使用者の信頼関係が崩壊していること」を立証すれば金銭解雇が可能になる。

現実には裁判上の和解による金銭解決が大半で、2016年には全国で19万6581件もの解雇訴訟が起きている。そこでは法律上のルールではないものの、実務上の算定式として「勤続年数×月給×0.5」が目安とされている。

常時21人以上を雇用している事業所が一定規模の人員削減(整理解雇)を行なう場合には、従業員の代表機関である事業所委員会とのあいだで「社会計画」を策定しなければならない。このとき、法律上の定めはないものの、解雇される労働者に金銭補償するのが通例で、「年齢×勤続年数×月給額を一定の係数(50または60)で除する」という算定式が用いられている。

【スペイン】

解雇および金銭解決に関する制度は、労働関係に関する包括的立法であるET(労働者憲章法)によって具体的かつ明確に規定されている。その特徴は、(1)解雇実施前に支払う「事前型補償金」と、解雇訴訟により解雇が不当とされた後に支払う「事後型補償金」が存在すること、(2)事後型補償金について、金銭解決を行なうか否かの決定権が原則として使用者にあること、(3)補償金の計算方法が明確に決定されていることだ。高い失業率に悩むスペインでは、規制緩和によって解雇の適法性に関する予測可能性を高め、企業に雇用を促そうとしている。

解雇にともなう事前型補償金は「勤続1年につき20日分の賃金相当額、最大で12カ月分の賃金相当額」で、労働者代表との協議を条件に、経済的理由による集団的解雇(整理解雇)も認められている。

正当な理由なく解雇された場合の事後型補償金は「勤続1年につき33日分の賃金相当額」、能力不足や会社の経営難など正当な理由がある場合は「勤続1年につき20日分の賃金相当額」とされており、解雇によって労働者が被る不利益は定式化された金銭によって解消される。

これは逆にいえば、使用者側は、解雇が無効事由に当たらないかぎり、不当解雇補償金さえ支払えば、正当な理由がなくても解雇を実施することが可能ということだ。日本的な感覚ではずいぶん理不尽なようだが、曖昧さの残るドイツ型の解雇法制より、金銭解雇のルールを法律で明確にしたスペイン型がEU諸国では主流になりつつあるという。

なお現在のスペインでは、日本でいう定年制を置くことは禁止されている。

【アメリカ】

「随意的雇用(employment at will)」が原則のアメリカでは、定年制が違法とされる一方、期間の定めのない契約において、各当事者はいつでも自由に雇用契約を終了させることができる。また大量のレイオフや事業所の閉鎖も、60日前に予告することで自由に行なえる。人種差別などを理由にした解雇はもちろん、現行法秩序に反するようなは「パブリック・ポリシー」違反も制限されており、不当解雇の場合、労働者は4年を上限として賃金やフリンジベネフィットの逸失分を受け取れるケースもある(細則は州によって異なる)。

こうした留保はあるにせよ、アメリカの解雇法制が使用者(会社)に使い勝手のいいものであることはまちがいない。だが仔細に検討すると、解雇を規制するちからも働いている。

それが失業保険制度で、アメリカにおいては保険料は使用者が全額負担し、労災保険と同様にメリット制(経験料率制度)が採用されている。これは「失業状態を発生させた使用者に、解雇によって労働者に発生するコストを負担させるもの」で、安易に解雇を行なうと会社負担が重くなる。ただし運用実態は州によって異なり、どこまで解雇の判断に影響しているかは一概にはいえない。

世界では金銭解雇のルール化が主流になりつつある

『解雇規制を問い直す』は、世界では解雇の際の金銭解決をルール化することが主流になりつつあると指摘する。これにはいくつかの理由があるが、もっとも大きいのは(スペインのように)解雇規制の緩和で企業の雇用意欲を刺激し、失業率を低下させようとすることだろう。

だが経済学者のあいだでは、解雇規制緩和の雇用促進効果には異論もある。企業は「雇用の安定」を名目に労働者に低賃金を受け入れさせることで規制のコストを吸収できるからで、これが世界的にも解雇規制がきびしい日本で一貫して失業率が低い理由になっているのかもしれない。

しかしそれでも、厳格な解雇規制が採用・解雇をともに減らすことには経済学者のあいだでコンセンサスができている。これも日本の経験と整合的で、社員を容易に解雇できない縛りがあると労働市場の流動性が下がり、正社員は会社というタコツボに押し込められると同時に、非正規から正社員への道が閉ざされ「現代の身分制」が形成される。

解雇規制が緩和されれば、生産性の低い正社員を一定の補償金を払って解雇し、そこで空いたポストを、能力はあるがこれまでチャンスがなかった非正規社員に与えることも可能になるだろう。解雇ルールの透明性が高まることによって正社員の固定費用が減少し、成長産業を中心に不確実性がある状態でも正社員の新規ポストが拡大するかもしれない。このように考えれば、解雇の合法化こそが格差問題の解決方法になる。

解雇規制の緩和によって生産性の低い産業から生産性の高い産業への労働移動を促進し、世界的にも低い日本の労働生産性を高める効果も期待されている。アメリカの州ごとに異なる解雇規制の強さを用いた実証分析では、解雇規制が厳しくなると企業の参入・退出が抑制され、生産性の指標として用いられる全要素生産性(TFP)の伸びが抑制されるとの結果がでている。

だが、労働者が生産性の高い業種に移動することが常に好ましいわけではない。日本の場合、製造業の生産性は高くサービス業の生産性は低いが、効率化の進む製造業より介護などのサービス業への労働需要が大きく伸びている。こうしたケースでは、生産性が高い業種(製造業)から低い業種(サービス業)への労働移動が望ましい。解雇規制緩和の目的は労働生産性を高めることよりも、労働需要が減退している産業から増加している産業に労働移動を起こすことなのだ。

日本が先進国でも厳格な解雇規制をもつことは、外国からの投資にマイナスになるとの指摘もある。「企業経営が悪化したときでも、必要な雇用調整をやりにくい法制をもっていることは、日本企業の対外的なアピールを弱めている」というのだ。

そういうこともあるだろうが、これは労働市場がグローバル化するなかで、世界の主流(グローバルスタンダード)と異なる雇用制度を維持することが困難になっているということではないだろうか。

中国に進出した日本企業は、「中国経済の減速」を理由に大規模な整理解雇や工場の閉鎖を進めており、これに労働者が抗議すると「中国リスク」と文句をいう。だがいまでは、中国企業が日本企業を買収したり、日本国内で事業を行なうこともふつうになった。こうした中国企業が日本で整理解雇を実施したときに、解雇権濫用法理で違法にすれば、日本企業が中国で行なっていることとの整合性が問われることになるだろう。「国籍差別」の批判を免れようとすれば、世界標準の解雇法制を整備する以外にないのだ。

2012年度の厚生労働省「雇用動向調査」によれば、2012年1月1日時点で雇用されている常用労働者4603万人のうち年末までに713万人が離職し、年間の離職率は15.5%にも及んでいる。その一方で同じ1年間に入職した者は798万人で、入職率は17.3%だ。「日本の労働市場は流動性がない」というが、それでもひとびとはそれぞれの理由で会社を辞め、再就職している。

現状では、会社も労働者も、明確なルールがないまま解雇をめぐる紛争に対処しなくてはならない。それでも大企業の労働者(正社員)は組合に守られているが、中小企業では実質的に「解雇自由」になっており、なんの補償もないまま職を失う者も多い。そんな弱い立場の労働者にとっては、金銭補償の水準が法律に明記されることは大きな利益になるだろう。

本書をきっかけに日本でも、長年のタブーを打ち破って、金銭解雇の法制化に向けた現実的な議論ができるようになってほしい。

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