ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2016年9月15日公開の「ヨーロッパのリベラリズムは 「不寛容な集団に対する寛容の限界」を試されている」です(一部改変)。
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前回、アメリカの社会学者クリスチャン・ヨプケの『ヴェール論争 リベラリズムの試練』( 伊藤豊、長谷川一年、竹島博之訳、法政大学出版局)を紹介したが、そこでは公的領域から私的なもの(宗教)を徹底して排除しようとするフランスのライシテ(非宗教性)を「リベラリズムの強硬ヴァージョン」とし、「共同体主義」のドイツ、「多文化主義」のイギリスと比較した。
フランスはムスリムの女子生徒のヴェールを「国家の(宗教からの)中立性」を厳密に解釈することで禁じた。ドイツは「開かれた中立性」で生徒のヴェールを認めるものの、公立学校のムスリム教師には法によってヴェールの着用を禁じている。
それに対してイギリスは、この問題に対して両国とはまったく異なる態度をとっている。それは「多文化主義」だ。
イギリスの公教育では私的な価値が優先される
ヨプケはヴェール問題へのイギリスらしい対応として、次のような例をあげている。
フランスでヴェール事件が発生したのと同じ1989年、マンチェスター近郊の女子グラマースクールで、ムスリム姉妹の生徒が授業中にヴェールを脱ぐことを拒否したので、校長はこの2人を帰宅させた。その後の話し合いの結果、2人のヴェールを学校の制服と同じ色である濃紺とすることを条件に着用を許されることになった……。
イギリスの公立学校では、なぜこのような柔軟な対応が可能なのだろうか。それはイギリスのリベラリズムが、「個人の選択を最優先し、公的な「人格形成(キャラクタービルディング)」に対する不干渉を旨とする」からだ。これがイギリスの「多文化主義」だが、その特徴は「公的なものの要素を欠いている」ことだ。
リベラリズムは私的領域への不介入を命じるが、その一方で、デモクラシーは自律的かつ自由な個人を創り出すための公的な「人格形成」すなわち介入を要求する。この緊張関係(矛盾)において、フランスでは公的なものが優先され私的なものが抑圧されるが、イギリスではこれとは逆に、公教育において公的価値よりも私的価値が上位に置かれている。
これがイギリスの「分断された多文化主義」で、事実上、公的なものが私化されることで、イギリスの教育は「公立学校の看板はそのままに、中身を私立化する方向へと向かっている」のだ。
こうした傾向はサッチャーおよびブレア政権のもとで「親の選択」運動(教育サービスの自由化と親の選択権の拡大により学校教育の改善を目指す運動)によって強化されたが、その背景には、イギリスの公教育が国教会とローマ・カトリック教会の教育制度を引き継いだ歴史的起源がある。
そのため現在でも、非宗教的な学校を含めすべての学校が、宗教教育の義務化や日常的な礼拝を実施することができるし、学校側には雇用と入試の際に宗教に基づく選別が許されている。たとえばカトリックの学校は、公的補助金で運営されていても、「自校の特質」を維持するために、カトリックではない生徒の入学を、能力や成績にかかわらず拒否することができるのだ。
「多文化主義」による寛容が過激化を引き起こす
こうした原則はすべての宗教に適用されるため、移民の増加によってイギリスの地方では、イスラームやヒンドゥーが優遇されることになった。その結果、「ムスリムの間では宗教教育への強い反対はまったくなく、また公立学校における宗教教育をやめるべきだというような考え方もまったく出ていない」。なぜならムスリムの子弟が多く通う公立学校は、ムスリムの校長や教師によって、イスラームの伝統を尊重しつつ運営されているからだ。
こうした状況をヨプケは、「(公的価値よりも私的選択を優先するイギリスの公教育では)生徒は「同胞の」集団が維持する(擬似的な)私立学校という壁のなかに引き籠ることができる」と述べる。
生徒はたいした差異にさらされず従来の帰属から離れることもないし、ムスリムの親にとっても、世俗的なカリキュラムによって植え付けられる自省の害毒から子どもを守ることができる。こうして「全体を見れば、すべての人が共有したり一体化できるような公的空間や組織はいっさい存在しない」イギリス型の分離された多元主義が完成するのだが、それは「相互に無関心で、宗教や文化や言語や経済の面で単一的な複数の下位コミュニティから成る、多元主義的なナショナル・コミュニティ」でしかないのだ。
このような融通無碍な教育制度なら「ヴェール問題」は起こらないのだろうか。たしかにイギリスでは、教師も生徒もなんの問題もなくヘッドスカーフを着用できる。
だがこのことは、フランスやドイツでは考えられない別の問題を生み出した。教師や生徒のなかから、より過激なヴェール、たとえばニカブの着用を求める者が現われたのだ。
この現象をヨプケは、「寛容のリベラリズムは、不寛容なものにまで寛容であろうとする矛盾によって侵食される」と説明する。告発する側の要求が認められるほど、より多くを求めるようになるのだ。
「穏健なイスラーム」対「過激なイスラーム」
「事件」が起きたのは2002年9月、場所はイングランド東部のデンビー高校だった。
サルワール・カミーズはヘッドスカーフとともに着用する、ゆったりとしたチュニックとズボンで、シーク教徒やヒンドゥー教徒など南アジア系マイノリティの女子生徒が、制服の代替として広く用いる宗教的な服装だ。パキスタン系の女生徒シャビーナ・ベーガムも、それまで他の子どもたちと同じようにサルワール・カミーズを着て学校に通っていたが、ある日、兄にともなわれジルバブ姿で登校した。
ジルバブはニカブ(目の部分にスリットが入り、顔の大半を隠すヴェール)と対になる着衣で、宗教的な服装についての規律が緩やかな南アジアのイスラーム(ハナーフィ派)にとってはまったく縁のないものだった。
イギリスでは、ジルバブはヒズブアッタハリル(国際的なムスリム政治団体で、その究極の目的はカリフ制とシャリーアの実施にもとづくイスラーム世界の統一だとされる)に近い急進派グループによって広められており、シャビーナの兄もこの組織に属している疑いがあった。兄は応対に出た副校長に、脅迫まがいの常軌を逸したともとれる激しい調子で、人権や裁判について語ったという。副校長は「きちんとした制服を着たうえで学校に戻ってくる」ようシャビーナを諭したが、彼女はこれに従わず、代わりに裁判に訴えたのだ。
フランスのヴェール論争が「イスラーム」対「ライシテ(近代主義)」、ドイツが「イスラーム」対「キリスト教」の構図をとるのに対し、イギリスのヴェール論争の特徴は、舞台となったデンビー高校の全生徒の80%近くがムスリムで、合わせて40の言語集団と21のエスニック集団を抱えていたことだ。マイノリティ集団はここでは多数派で、校長は南アジア育ちのベンガル系ムスリムで、6名の父兄評議員のうち4名もムスリム、地域教育局によって任命された外部評議員のうち3名もムスリムだった。
それに加えて、同じ地域には他に3つのイスラーム色の強い学校があり、そのすべてがジルバブの着用を認めていたから、シャビーナはデンビー高校ではなく他校に通うことも可能だった。なぜそうしなかったかというと、ベンガル系校長の指導の下、同じような生徒構成の他校に比べてデンビー高校が平均値をはるかに超える成績を記録していたからだ。――すなわち、ここでの対立は(多文化主義のもとでの)「穏健なイスラーム」対「過激なイスラーム」というかたちで表われたのだ。
この事件は高等法院の第一審、控訴裁判所、法律貴族院と二転三転し、最終的にシャビーナの訴えは退けられることになる。その詳細はここでは触れないが、なぜこのようなことが起きたのかヨプケの説明は明快だ。
イギリスの「多文化主義」は寛容だからこそ、「不寛容な者」の自己主張が強くなる。それに対して「強硬」なフランスでは、生徒のヴェールそのものが法で禁じられているのだから、イスラーム原理主義が公立学校を侵食するようなことは起こり得ないのだ。
多文化主義と日本人が考えるリベラルな寛容さは別物
ここで、多文化主義の寛容さについて付言しておく必要がある。彼らの寛容さは、日本人が考えるリベラルな寛容さ(異なる文化を理解し、受け入れる)こととはかなりちがっているからだ。
このことを指摘したのはイスラーム地域研究を専門とする内藤正典氏で、『ヨーロッパとイスラーム』(岩波新書)のなかで、オランダの多文化主義を次のように説明している。重要な指摘なので、全文を引用しよう。
この国の多文化主義というものを理解するうえで、たいへん重要なポイントがある。それは、他者の生き方を権利として保障することと、他者を理解することは全く関係ないということである。まして、他者の生き方を尊重することが、他者を好きになることを意味するわけでもない。
カトリックの人がプロテスタントの権利を保障していても、それはプロテスタントを理解しているわけでもなければ、プロテスタントを好きなわけでもないのである。多文化主義という言葉は日本でもよく使われる。日本では、相互理解の上に多文化の共生を図るという意味が込められているが、そのような多文化主義はオランダには存在しない。
ここで述べられているのは、オランダや(政治文化の近い)イギリスの「リベラリズム」とは、個人の自己決定権と、他人から干渉されない権利だということだ。どのように生き、どのように死んでいくのかは個人の自由(勝手)だから、オランダでは大麻も売春も合法で、安楽死は高齢者だけでなく18歳以上の若者にも認められ、さらに「子どもを苦痛にさらすのは非人間的だ」との理由で12歳まで引き下げられた。ここでの多文化主義は「異なる文化に対する無関心」のことで、移民の若者が学校からドロップアウトし貧困に落ち込んでも、社会が与えた機会が平等であれば、それは「自己責任」なのだ。
オランダでは自分の子どもを移民といっしょに学ばせないことも個人の自由だから、移民子弟のいない学校に子どもを通わせることもまた自由であり権利となる。その結果、アムステルダムやロッテルダムでは「白い学校」と「黒い学校」の隔離が起きた。ちなみにこれは差別語ではなく、オランダでは行政でふつうに使われている。移民の親も子どもを「白い学校」に通わせることができるのだから、「黒い学校」ができるのは移民や二世がそれを自ら望んだからなのだ。
こうした「リベラリズム」の政治感覚はイギリスも同じで、だからこそ多文化主義(異なる文化への無関心)に基づく「移民だけの公立学校」ができ、そこで穏健なムスリムと過激なムスリムがヴェールをめぐって対立することになったのだ。
「イスラームの側の問題」
フランス、ドイツ、イギリスの「ヴェール論争」を詳細に検討したヨプケは、最後に「イスラームの側の問題」に言及する。ヨーロッパでムスリムのヴェールが問題になるのは、それが「女性差別」の象徴と見なされるからだが、はたしてこれは「白人の偏見」だろうか。
たとえば、デンマークのムフティー(イスラーム法学者)は次のようにいう。
女は原罪を負っており、だから女の顔や髪はムスリム男性を強姦魔へと変えてしまう。
ヴェールを着けない女性は「強姦されたい」のだという「悪意に満ちた考え方」は、当然ながらリベラルな社会では受け入れられない。だとすれば、「差別の原因は宗教というよりも、むしろ女性が家庭の外で働くことを禁じるイスラーム的な戒律全体にある」とヨプケは指摘する。個人が「自己決定的であっても自律的ではない」とするイスラーム的な個人観は、リベラルな個人観と衝突せざるを得ないのだ。
ヨーロッパの困惑は、ムスリム移民に「統合」の意思があるかどうかわからないことにある。これも一概に偏見とはいえず、主流のムスリム法学者の見解では、ムスリムがイスラーム共同体(ウンマ)以外への移住を許されるのは、「ナショナルな、あるいはエスニックなアイデンティティよりも宗教的なアイデンティティを上位に置き……グローバルなムスリム全体の利益を増進し」、率先して「模範的なムスリム」として振る舞うかぎりにおいてであるとされる。
「イスラム世界で最も有力な神学者」と一般に目され、欧州ファトワ研究評議会の会長であるエジプトのユースフ・アル=カラダーウィーなど代表的なムスリム法学者は、「(フランスでヘッドスカーフが禁止されたのは)人はムスリムであると同時にフランス人たりえない」からだと述べる。そのうえで彼らは、ムスリム移民の「義務」として、以下の3つを挙げている。
- 「レンガ造りの強固な建物のごとく」互いに団結しなければならない
- 同化に抵抗しなければならない。とりわけ「自分の子どもたちをムスリムとして育てることがきわめて困難だと判明した場合は、故国に帰らなければならない」
- 他人をイスラームに改宗させなければならない。「西洋のムスリムは、みずからの宗教への誠実な勧誘者たるべきである。他人をイスラムに導くという責務は学者や長老(シャイフ)のみならず、あらゆる敬虔なムスリムにも課されていることを、彼らは心に留めておかなければならない」
正統なイスラームの法学者にとって、移民とは「西洋とイスラムの間の抗争における強力な武器」として、宗教心や宗教活動を高揚させるためにのみ容認され、歓迎される存在である。そして西洋国民国家は、「ムスリムがイスラムを十全に実践するための社会機構にすぎない」のだ。
彼らの見解では、西洋国民国家はその「偶像崇拝的な野蛮性」ゆえに、神の怒りによって破壊されるべきであるし、かりにそうならないにせよ、内在する精神的な虚無から自壊するはずだ。
したがって、精神的に強固でグローバルなムスリム国家にとって、西洋国民国家は重大な競争相手たりえない。要するに、「ムスリム法学者の主流派にとって、イスラムは単なる文化や宗教や伝統ではなく、むしろ人間活動のすべての面を管轄する、ある種のナショナリティ」なのだ。
このような「偏狭」なイデオロギーは、イスラームでは法学者だけのものではない。ドイツ・ムスリム評議会の会長は、世俗国家の諸原則がムスリムにとって「不変の基礎」であるかと尋ねられて、「ムスリムが少数派であるかぎりは、そのとおりでしょう」とこたえた。その真意は、「いったんムスリムが多数派を構成すれば「(憲法という)契約」は無効となり、「イスラムの家」による別の法体系が適用される」ということなのだ。
ヨプケによれば、ヨーロッパのリベラリズムは「不寛容な集団に対する寛容の限界」を試されている。フランス、ドイツ、イギリスで異なる「ヴェール問題」は、世俗的な市民社会を受け入れない集団をどうやって包摂するかという問題なのだ。
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