シリコンバレーというカルト

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2017年11月17日公開の「東海岸とは全く違うシリコンバレー特有のカルチャーとは?」です(一部改変)。

Photon photo/Shutterstock

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前回は社会学者スディール・ヴェンカテッシュの『社会学者がニューヨークの地下経済に潜入してみた』を紹介した。この本のいちばんの魅力は、外部の人間が知ることのできないニューヨークの“アッパーグラウンド”、すなわち若いセレブたちの生態が活写されていたことだ。生まれたときから一生お金に困らない彼らは、信託(トラスト)から「年金」を受け取る「トラストファリアン」と呼ばれ、「わたしにとって気持ちいいこと」を追求し、「わたしにふさわしい評判」を獲得しようと“彼らなり”に悪戦苦闘しているのだ。

参考:ニューヨーク版「セレブという生き方」

そんな東海岸のエスタブリッシュメント文化に対して、今回は西海岸のシリコンバレーに目を向けてみよう。案内役はアレクサンドラ・ウルフの『20 under 20 答えがない難問に挑むシリコンバレーの人々』 (滑川 海彦、高橋 信夫訳/日経BP) だ。

著者のアレクサンドラ・ウルフはウォールストリート・ジャーナルの記者で、『ザ・ライト・スタッフ』や『虚栄の篝火』など世界的ベストセラーで知られる作家トム・ウルフの娘だ。

大学に行かないことに対してお金が支払われる奨学金

20 under 20は、シリコンバレーの著名な投資家ピーター・ティールが始めた奨学金プログラムだ。しかしこれは、高等教育の学費を支援するのではない。大学に行かないことに対してお金が支払われるのだ。ティール・ファウンデーションのこのプログラムでは、起業しようとしている20歳未満の学生20人に10万ドルの資金が与えられるが、その条件は大学からドロップアウトすることなのだ。

このような奇矯な奨学金を考えたピーター・ティールとはどのような人物なのか。

ティールは1967年にドイツのフランクフルトに生まれ、1歳のときに家族でアメリカに移住した。父親は鉱山会社の技師で、10歳まで家族とともにアフリカ南部を点々とし小学校を7回変わった。そのひとつがきわめて厳格な学校で、体罰による理不尽なしつけを受けたことが、後年、リバタリアニズム(自由原理主義)に傾倒するきっかけとなったという。

カリフォルニアで過ごした中高時代は数学に優れ、州の数学コンテストで優勝したほか、13歳未満の全米チェス選手権で7位にランクした。またSF小説にはまり、なかでもトールキンの『指輪物語』は10回以上読んだという。

政治的にも早熟で、高校時代にアイン・ランドの思想と出会い、ロナルド・レーガン大統領の反共主義を支持した。スタンフォード大学哲学科に進学したあとは、当時、全米のアカデミズムを席巻していたマルチカルチュラリズム(文化相対主義)に反発し、保守派文化人の大物アーヴィング・クリストルの支援を受けて学生新聞『スタンフォード・レビュー』を創刊してもいる。

大学卒業後はスタンフォード・ロースクールに入り、最高裁判所の法務事務官を目指したが採用されず、投資銀行のトレーダーや政治家のスピーチライターなどをしたあと、90年代末のインターネットバブルを好機と見て友人とベンチャービジネスを立ち上げた。それがのちにペイパルとなるコンフィニティで、この会社がイーロン・マスクのエックス・ドット・コムと合併したことで、「ペイパルマフィア」と呼ばれる野心的な起業家たちのネットワークが誕生する。

ペイパルをオークション最大手イーベイに15億ドルで売却したティールは、スタートアップ企業のエンジェル投資家となり、フェイスブックへの初期投資50万ドルを10億ドルにしたことで名を馳せた。だが彼は、シリコンバレーのイノベーションに不満だった。「空飛ぶ車が欲しかったのに、手にしたのは140文字だ」という言葉はよく知られているが、ティールからすればTwitterは知性を無駄なことに使っているのだ。

そんな彼は、自らの体験から、天才にとって大学で学ぶ4年間(博士号まで取得しようとすれば10年近く)は無意味だと考えた。そこでイノベーションを加速するために、高等教育を素通りしていきなり起業するための「奨学金」をつくったのだ。

20 under 20に応募してきた若き天才たち

『20 under 20』でウルフは、ピーター・ティールの野心的な「奨学金」制度に応募する天才(ギフテッド)たちを取材することで、シリコンバレーの内側に迫ろうと試みている。

2010年12月にフェローシップの募集を始めた当初から、ティール・ファウンデーションはソーシャル・ネットワークには興味がないと明言していた。「われわれは次のフェイスブックを探しているわけではない。普通の人間が現在可能だと考えていることの2年から10年くらい先を考えている人を探している」というのが選考基準で、4000人の応募者からオリジナリティと説得力を中心に40人の最終候補者が選ばれ、サンフランシスコのハイアット・リージェンシーの会議室で50人ほどの審査員(大学教授、起業家、投資家など)の前でプレゼンテーションすることになった。

ジョン・バーナムはマサチューセッツに住む17歳の高校生で、プラトンやアリストテレスを読み、ネット上の「新反動主義」の思想家のブログに熱中する独学のリバタリアンで、ロケットを小惑星に飛ばしロボットで稀少な鉱物を採掘して何兆ドルも儲けるというビジネスを考えつづけていた。

ニュージーランド生まれのローラ・デミングはMITで長寿の研究を始めたのが12歳という天才児で、イギリス生まれのジェームズ・プラウドは同じくバイオテックをテーマとし、「天国に行きたいと思っている人たちでさえ天国に行くために死にたいとは思いません」と不死をテーマに選んだ。中国系のポール・グのように、eコマースなどトレンドに乗ったアイデアをもっている者もいた。

最終選考で選ばれたのはこのような若き天才たちで、シリコンバレーのパロアルトに住み、10万ドルを原資にビジネスを起こし、アイデアを投資家に売り込むよう背中を押された。といっても、いきなりそんなことができるわけはなく、彼らの多くは共同生活でお互いに情報交換するようになった。

紅一点のローラ・デミングをはじめとする7人のフェローは家賃5500ドルの5ベッドルームの家を見つけた。

ダイニングルームの大きなディナーテーブルはミーティング用で、そこはイェール大学を2年でドロップアウトしてバイオテクノロジー産業の自動化ロボットを開発している2人が使っていた。キッチンの冷蔵庫はソーセージや野菜、パスタ、フルーツ、パンなど健康志向の食料品スーパー、ホールフーズマーケットで買った食料でいっぱいで、フェローたちは毎晩自炊で外食やテイクアウトはほとんどしない。これは「資金をできるだけ長持ちさせるため」だ。

キッチンの外はレンガ敷のパティオが続いていて、プールサイドのコテージを1人のフェローが使っている。隣にあるガレージには自転車やスクーターといっしょに、メンターの1人がプレゼントしたグランドピアノが置かれていた。

もっとも、こうしたヒッピー風の共同生活を送っているのはフェローだけではない。シリコンバレーは職住一体で、そのうえ家賃が全米でもっとも高い。そのため、「知的なコミュニティに参加して世界を変えたいハウスメイトを求む」というような広告を出して仲間を集めるのが当たり前になっている。ハウスメイトになるには、「世界を変えるために何をしているのか、どうやる計画なのか」の面接をパスしなければならない。

こうしたライフスタイルは、大学のキャンパスにとてもよく似ている。シリコンバレーではとてつもなく知的な若者たちが、ピーターパンのように、「世界を変える」という子どもの頃の夢と戯れつづけることができるのだ。

シリコンバレーのヒッピーカルチャー

20歳以下の20人の天才たちがどうなったのかの顛末は本を読んでいただくとして、『20 under 20』の評価が分かれるのは、ウルフが「シリコンバレーの「風俗」を野次馬的な視点で描いていることだろう。これは父親のトム・ウルフが60年代のヒッピー・ムーヴメントを『クール・クールLSD交感テスト』で描いたのとまったく同じ手法だ。

たとえば、東海岸と西海岸では“女らしさ”の基準がまったく異なる。

パロアルトでは、ヒールの高い靴やドレスやスカートを身に着けている女性はまず見かけない。ランジェリーショップを見つけるのもひと苦労で、日が沈んだあとに羽織るのはスカーフやショールではなくフリースジャケットだ。

シリコンバレーをドレスで歩くことは、高校生が昼からダンスパーティの準備をしているようなものだ。そうでなければ、東海岸からの観光客か、コスプレパーティ客のレッテルを貼られる。ジーンズが男女共通のユニフォームで、男性はスティーブ・ジョブズが好きだったスニーカーを履いている。

女性のジーンズはワイドでもタイトでもいいが、スカートではなくパンツであることは絶対条件だ。コーチやグッチやポロなどのブランドを見せびらかすのはご法度で、ロゴやスローガンは必ずスタートアップのものを使わなくてはならない。2007年につくられたフェイスブックのTシャツを着ていることは、フェラーリに乗っている以上のステイタスになる。――フェラーリは20万ドルほどだが、フェイスブック創業時の2007年の社員なら株式上場後に数千万ドルを手にしているかもしれないのだ。

シリコンバレーの文化では、男女関係も東海岸とは大きく異なる。

パトリ・フリードマンは経済学者ミルトン・フリードマンの孫で、シリコンバレーの思想リーダーの一人と目されている。サンフランシスコの沖、アメリカの領海外に自由都市を建設するシーステッディング・プロジェクトを唱え、ティール・フェローにも企画段階から参加していた。

フリードマンは「ポリアモラス」な関係を実践していた。これは「複数の相手と同時に恋愛関係にある」ことだという。2軒の家で10人が共同生活を行ない、ゲイの「一夫一夫」のカップルを除く8人が自由な異性関係を信条としていた。フリードマンは妻と2人の子どもと暮らしていたが、妻である女性はコミュニティの別のメンバーと関係があり、フリードマン自身もときどき別のメンバーの恋人の女性と関係があった。「彼らは部屋を取り換えるように家を取り替え、恋愛の相手を取り替えたが、結局は「メインの相手」のところに戻ってきた」という。

グループのメンバーは超健康オタクで、食生活についても意識が高かった。糖質制限ダイエットや石器時代人の食生活を手本とするパレオダイエットを試し、ときどき断食もした。グルテンフリーは全員が励行し、食物の摂取量を減らすためにバターやココナッツオイルのスティックを持ち歩いてレストランの食事に振りかけていた。

フリードマンと妻はポリアモラスな関係を10年もつづけたが、フリードマンは妻がコミュニティのメンバーとつき合っていることを不快に思い、妻と衝突してコミュニティを出た。妻は彼がいないのを残念に思うようになり、2人は「試験的別居」を始めた。

「『ポリ』な関係というのはもっと楽しいはずじゃなかったか」とフリードマンが愚痴ると、友人の一人がこうコメントした。

「真剣につき合っている男女が『オープンな関係』で行こうと決める。やがて男は外でほかの女の子とデートするようになる。女性はあまり外に出るチャンスがない。ここまではいい。女性がとうとう別の男を見つけてつき合うようになる。男は仰天して手の平を返す。それからなにもかもめちゃめちゃになる」

これはちょっと意地悪な描写だが、それでもシリコンバレーがどんなところなのかをよく伝えている。彼らは最先端のテクノロジーを駆使しながら、60年代のヒッピーのライフスタイルを実践しているのだ。

ベンチャーというカルト

アメリカのベンチャー企業の「風俗」を描いて同じく評判となったのが、ダン・ライオンズの『スタートアップバブル  愚かな投資家と幼稚な起業家』( 長澤あかね訳/講談社) だ。ただしこちらは、東海岸のボストンの話になる。

『ニューズウィーク』のテクノロジーライターだったライオンズは、51歳でリストラにあって仕事を失う。そのとき彼には7歳になろうとする双子の子どもがおり、教職の妻は体調を崩して離職したばかりだった。なんとかして家計を支えなくてはならないライオンズは、リンクトインで地元ボストンのスタートアップ企業の求人を見つけた。そこは「インバウンド・マーケティング」の有望株で、MITの卒業生が経営していて、過去7年間にベンチャーキャピタルから1億ドルの資金を調達してIPOを目指していた。

広告を出し、顧客に売り込みの電話をかける「アウトバウンド・マーケティング」の時代は終わった。「ブログやウェブサイトや動画を公開し、オンラインのコンテンツを使って、顧客を自分たちのほうへ引き寄せる」のがインバウンド・マーケティングだ。ライオンズはそこで、ジャーナリズムとマーケティングと宣伝をミックスした新しいブログを任されることになった。

『スタートアップバブル』ではライオンズが入社した会社が実名で出ているのだが、ここで伏せるのは、「愚かな投資家と幼稚な起業家」と副題があるこの本には、「若者たちの楽園」に紛れ込んだ老人(50代男)の悲惨な体験と恨みつらみがえんえんと書かれているからだ。この会社は日本でも事業を行なっており、私はその批判がどの程度正当かを判断する術をもたない。

それでもこの本が興味深いのは、アメリカのベンチャー企業に特有の文化(カルチャー)が、内部に迷い込んだ異邦人の視点から描かれていることだ。ライオンズによるとそれは、「やる気! 元気! スタートアップ・カルト!」ということになる。

会社は、「若くて影響されやすく、大学時代はフラタニティやソロリティ(大学の女子社交クラブ)もしくは運動部に所属していたような人」だけを採用し、社内に黒人はおらず、中流で郊外に住み、大半がボストン地区出身の白人ばかりだ。「ルックスも同じ、ファッションも同じ」というきわめて同質性の高い集団に、“スタートアップ・カルト”の価値観が植えつけられていく。

「ここでぼくらは、ただ商品を売ってるだけじゃない」と、新入社員向けのセミナーでトレーナーはいう。「革命を主導してる。ムーヴメントをね。世界を変えつつあるんだ」

バージニア州でプールの施設業を営む男は、ビジネスが低迷しどうにか食いつないでいるような状態だったが、この会社のソフトウェアを使いだしてから突然ビジネスが軌道に乗り、まもなく全米でプール施工を手がけるようになった。あまりの景気の良さに会社経営を社員に任せ、世界じゅうを旅して「インバウンド・マーケティング」の福音を説いている。

「この男は、スーパースターになったんだ。ロックスターさ。それが、ここでぼくらがしていること。君が、一翼を担っていることだ」と、トレーナーは純真な若者たちを洗脳するのだ。

しかしそうやってスタートアップの“兵士”に鍛え上げられた彼らがやらされるのは、電話営業、すなわち典型的な「アウトバウンド・マーケティング」だ。

50代のライオンズからすれば、大学を出たばかりの若者たちの“ビジネスゲーム”は嘘と欺瞞でべったりとコーティングされており、こんな会社に投資するのは詐欺にあったようなものだ。ところが彼は、ベンチャーキャピタルの投資家の一人から、「創業者が自分たちをダマそうとしていることはわかっている」といわれて仰天する。

「創業者ともめたくないからね。それは最後の手段だから」と、その投資家は説明する。「創業者が去ったり追い出されたりしたら、投資家も驚いて逃げ出してしまう。悪いメッセージを送ることになるんだ」

ライオンズの観察によると、創業者(起業家)はベンチャーキャピタルを必要悪(会社を盗もうとするペテン師)だと見なしている。その一方で、ベンチャーキャピタルは創業者を、音楽レーベルがバンドを、ハリウッドのスタジオが映画を眺めるような目で見ている。投資家にとって創業者はタレントで、スタートアップ企業はアイドルグループ(日本でいえばAKB48)のような存在なのだ。彼らはこのタレントを上手にマネジメントし、メディアや一般投資家の期待感をあおり、巨額の富を手にしようとする。

そのように考えれば、スタートアップ企業が芸能ビジネスによく似ている理由がわかる。創業者と投資家の利害は対立し、ときに憎みあってもいるだろうが、IPOを成功させるまでは、お互いにちからを合わせて「世界を変える革命」という出し物を演じつづけなくてはならないのだ。

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