メディアはなぜ、トランスジェンダーと敵対するフェミニストについて触れないのか? 週刊プレイボーイ連載(582)

トランスジェンダーが戸籍上の性別を変える際に必要とされていた「生殖能力を失わせる」手術を、最高裁が違憲と判断しました。近年、日本の司法はグローバルスタンダードに判断を合わせる傾向がありますが、これもそうした「リベラル化」のケースと考えていいでしょう。

ただし判決では、「生殖腺がないか、その機能を永続的に欠く」という生殖不能要件を不要としたものの、「変更する性別に似た外観を備えている」という外観要件については十分に審理が行なわれていないとして、高裁に差し戻しました。

(生物学的には女として生まれたが性自認が男の)トランス男性は、これまでも男性器の形成を求められておらず、生殖不能要件を否定したこの判決によって、身体に大きな負担をかける手術なしで「自分らしい」ジェンダーで生きることができるようになりました。

これには多くのひとが同意するでしょうが、メディアは「トランスジェンダー問題」の核心に触れるのを避けているようです。トランスジェンダーの権利を否定するのは頑強な保守派とされていますが、リベラル対保守のわかりやすい対立の構図では、手術なしのジェンダー移行に強硬に反対しているのが(一部の)フェミニストであるという事実が理解できません。「反トランスジェンダー」の活動家は、「トランス排除的ラディカルフェミニスト(TERF:ターフ)」という蔑称で呼ばれています。

TERFは左派(レフト)なので、すべてのひとが「自分らしく」生きることを当然としています。それにもかかわらずなぜトランスジェンダーと敵対するかというと、手術なしのジェンダー移行が女性(とりわけ10代の少女など)への性暴力の脅威になると考えているからです。

これは逆にいうと、女性に対する脅威がなければ、トランスジェンダーの権利は完全に認められるということです。トランス男性(その多くは元レズビアン)の場合、性自認が女から男に変わったとしても、性暴力の脅威が増すことはありません。

(生物学的には男として生まれたが性自認が女の)トランス女性でも、性的指向が男性(ゲイ)なら、ジェンダー移行後は「異性愛者」になるので、女性にとってなんの脅威もありません。トランス男性と、「異性愛者」のトランス女性は、TERFにとっては「問題」ではないのです。

だとしたらどこで揉めるかというと、トランス女性のなかに、結婚して子どもを何人もつくったあとに自分のアイデンティティが「女」であることに気づくひとたちがいることです。こうしたケースを研究者は、「オートガイネフィリア(自分に向けられた女性への愛)」と名づけました。

オートガイネフィリアは学問的に確立された概念ではなく、この言葉を使うこと自体が「トランス差別」とされることもありますが、トランス女性のなかに性的指向が(おそらく)女性の「同性愛者」のタイプがあることは否定できません。

更衣室や公衆トイレが欧米で深刻な論争になっているのは、トランスジェンダーすべてではなく、オートガイネフィリアが「悪魔化」されているからです。この事実を「差別」や「偏見」として黙殺するのではなく、そろそろ日本のメディアも、この難しい問題についてちゃんと論じるべきでしょう。

参考:アリス・ドレガー『ガリレオの中指 科学的研究とポリティクスが衝突するとき』鈴木光太郎訳、みすず書房

*オートガイネフィリアについては『世界はなぜ地獄になるのか』でより詳細に論じたので、あわせて参考にしてください。

『週刊プレイボーイ』2023年11月6日発売号 禁・無断転載