ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2020年12月317日公開の「映画『マッドマックス2』の世界観を持つ「サバイバリスト」は、ディープステイト(闇の政府)が世界を支配し、明日にも「終末」が訪れてキリストが再臨すると信じている」です(一部改変)。
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タラ・ウェストーバーの『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』(村井理子訳、ハヤカワ文庫NF)は、ビル・ゲイツやミシェル&バラク・オバマが絶賛したことで、全米で400万部のベストセラーとなった。
中西部アイオワ州の片田舎に生まれた少女は、きわめて特異な環境で育つことになる。両親は厳格なモルモン教徒で、とりわけ父親は「サバイバリスト」と呼ばれる極端な原理主義者だった。
「終末」は明日にも訪れキリストが再臨する
サバイバリストの特徴は、政府は陰謀組織(ディープステイト)によって支配されている信じ、いっさいの公共的なものを拒否することだ。これは教育だけでなく、医療や社会保障のような公共サービスも含まれる(もちろん納税もしない)。
その結果、タラは小学校から高校まで、いちども学校に通ったことがなかった。こうした子どもは「ホームスクーリング」によって自宅学習していることになっているが、親から習ったのはモールス信号だけだった。
アメリカではホームスクーリングの権利が広く認められているが、これは教育の多様化というよりも、保守的な宗教原理主義者(聖書に反する進化論などを子どもに教えたくない親たち)への配慮で、すくなくともタラの場合は、家庭でどのような教育が行なわれているのか、公的機関による確認はいっさい行なわれていない。
もうひとつのサバイバリストの特徴は、明日にも「終末」が訪れてキリストが再臨すると信じていることだ。彼らの世界観は映画『マッドマックス2』(あるいはマンガ『北斗の拳』)そのもので、子どもにモールス信号を教えるのは、世界の終わりがきて電話やインターネットなどがすべて使えなくなったあとでも、自分たちだけは交信できるようにするためなのだ。
タラは7人きょうだい(男の子5人、女の子2人)の末っ子で、一家は廃品処理と建築業で生計を立てていた。母親は自然分娩の助産婦の助手をしたり、自家製のハーブ薬をつくったりしていた。タラの家庭については、次のように書かれている。
父は政府に頼ることが何より嫌いだった。いつか、私たちは政府の枠組みから完全に外れるのだと言っていた。お金を集めたらすぐにパイプラインを建設して山から水を引き、そのあとの農地全体にソーラーパネルを設置するのが父の計画だった。そうすれば、私たち以外の世の中の全員が水たまりから泥水をすすり、暗闇のなかで生活するようになったとしても、水と電気を「世界の終わり」まで確保することができる。母はハーブに詳しかったから、私たちの健康管理をすることができるし、もし助産婦の仕事を学んだら、孫が生まれるときには、出産を手伝うことだってできる。
両親は医療を信用していなかったので、タラは学校だけでなく病院に行ったこともなかった。あらゆる病気はホメオパシー(症状を引き起こす成分を繰り返し希釈した水薬「レメディ」)とハーブによって治療できると信じていたのだ。
タラの家には電話がなく、父親は運転免許の更新をせず、車検は受けず自動車保険にも加入していなかった。政府が発行する貨幣も信用せず、くしゃくしゃに握りしめた20ドル札をタラに見せて、「こんな偽物は金じゃない。“忌まわしい日”が来たら、こんなもの、役にたちはしない。人びとは100ドル札をトイレットペーパーがわりにするような日が来るんだ」といった。
ある日、父親は納屋の隣に掘削機で穴を掘り、そこに1000ガロン(3785リットル)も入るタンクを埋めてシャベルで土を覆いかぶせ、周囲に注意深くイラクサを植えた。かぶせたばかりの土にアザミの種を蒔いて、成長させてタンクを隠すようにした。そして帽子のつばを上げ、きらきらと光るような笑顔を見せ、「世界の終わりが来たら、燃料を持っているのは俺たちだけだ。誰もが靴の裏を焦がしているときに、俺たちは車で移動することになる」と娘に教えた。
1999年12月31日、世界じゅうのコンピュータが誤作動する「Y2K問題」をきっかけに「世界の終わり」が来るとされた。その日、タラの一家はずっと、(終末を見学するために購入したばかりの)テレビを息を詰めて観ていたが、なにも起きなった。1月1日がありきたりに過ぎると父の魂は壊れてしまい、絶望にうちひしがれ、何時間もテレビの前に座って過ごすようになった。
高校までいちども学校教育を受けたことがないにもかかわらず、タラはACT(日本でいう大検)に合格してモルモン教徒のためのブリガム・ヤング大学に進学するが、そこで父親の言動が双極性障害(躁うつ病)に驚くほど当てはまることを知る。
アメリカ国民の双極性障害の有病率は世界最高の4.4%で、世界のほかの地域の2倍近くに達する。タラの父親がこの「25人に1人」の精神疾患で、それによって家族が「カルト空間」に閉じ込められてしまった可能性は高いだろう。
タラは優秀な学業成績を認められ、ケンブリッジ大学に留学して哲学の修士号を、ハーバード大学で歴史学の博士号を取得する。そのサクセスストーリーと、奇妙な(そして痛々しい)家族の物語は本を読んでいただくとして、ここではタラの父親にとりついた「終末論」について考えてみたい。
終末論の起源は古代メソポタミア
イギリスのジャーナリスト、ダミアン・トンプソンは『終末思想に夢中な人たち』( 渡会和子訳、翔泳社)で、(一部の)ひとはなぜこれほどまでに終末論にこころを奪われるのかを論じている。この本では、キリスト教カルトのブランチ・デヴィディアンによるウェーコ事件とともに、オウム真理教による地下鉄サリン事件が大きく取り上げられている。
1993年2月にテキサス州ウェーコで起きた事件では、大量の銃器を違法に所有しているとして司法当局がブランチ・デヴィディアンの教団本部に強制捜査を行ない、銃撃戦ののち建物から出火、信者たちは炎に包まれた。教祖のデビッド・コレシュを含む81人が死亡、うち子ども25名という惨劇は、陰謀集団に支配された政府が自分たちを弾圧していると信じる宗教原理主義者に大きな衝撃を与えた。
「世界に終末が訪れる」という観念は、人類が「死」を意識するのとほぼ同時に生まれたようだ。すべてのひとはいずれは死ぬ、すなわち「自分も死ぬ運命にある」という認識が、世界はいずれ終わるという感覚と重ね合わされるのはごく自然なことだろう。
トンプソンによると、世界が周期的に破壊され、再創造されるという考えは古代メソポタミアにまで遡る。バビロニアでは、7つの惑星が蟹座に集まる冬至には大洪水が起き、山羊座で出会う夏至には全宇宙が火で焼き尽くされると考えられた。戦争や洪水、全宇宙の破壊など、大災害は永遠に繰り返される歴史の周期のなかに自らの位置を見出すための指標とされたのだ。
シュメール人は、1カ月を28日にして、それを聖数4で割って1週間を7日にした。それがユダヤ人を通じてキリスト教に伝わり、現代の暦がつくられた。
同様に、メソポタミアでは歴史を4つの時代に区分しており、それがインド、ペルシア、ギリシア、ヘブライなど中近東・地中海文明に広がったらしい。よく知られているのはギリシアの「黄金・銀・青銅・鉄」の時代区分で、紀元前8世紀のヘーシオドスは詩『仕事と農民』で、「今は鉄の時代だ」として、「神々は過酷な重荷を与えるが、よいことも一緒に与えるだろう。ゼウスはこの死を免れない種族である人間を滅ぼすだろう」と嘆いた。
ヒンドゥーでは、クリタユガ(黄金時代)、トゥレタユガ(薄明時代)、ドゥワパラユガ(薄暗時代)、カリユガ(暗黒時代)のやはり4つの時代区分があり、われわれは徳よりも罪のほうがずっと大きいカリユガの時代を生きているとされた。
これらに共通するのは、「時代はどんどん悪い方に向かっている」という感覚で、これは「自分はどんどん老いて死に向かっている」という感覚の反映だろう。その理由が、人間が神の法を順守できず道徳的に堕落してしまったからというのも共通で、神の怒りによって世界は「火による破壊」で最期を迎えるのだ。
道徳的堕落については、エデンの園のような「最初の楽園」神話も、紀元前4000年頃にシュメール人が書き記した文書に登場する。そこでは交易相手のディルムンという不思議な国について、「そこは純潔で清潔である。ディルムンでは、鴉(カラス)は不吉な声で鳴かない。鳶(トビ)は鳶らしい鋭い声をあげない。獅子は肉を八つ裂きにしない。狼は子羊を襲わない……なにも鳩を飛び去らせない」と描かれたが、「いずれもはるか昔に、「不安も恐怖もなく」そして「人間に仲間がいなかった」頃だ」という。
「祖先の方が道徳的にすぐれていた」として現在を「堕落」ととらえる思想は、保守派・リベラルにかかわらず日本の知識人にも頻繁に見られるが、この考え方にはすくなくとも6000年の歴史があり、「むかしはよかった」には(おそらく)人間の本性が影響しているのだろう。
アポカリプスは「未来への希望を語る思想」
黙示(アポカリプス)はギリシア語で「覆いを取る」の意味で、選ばれた預言者に神が与えた「秘密」を暴くものとされる。ユダヤ教にとっての黙示録が、旧約聖書の『ダニエル書』だ。
『ダニエル書』はバビロン虜囚時代(紀元前597~538年)に書かれた体裁になっているが、実際にはそれから400年もあとの紀元前168年頃に成立したとされる。当時、エルサレムはギリシア(セレウコス朝)の王アンティコス4世エピファネスの支配下にあった。エピファネスはユダヤ人の神殿崇拝に過酷な弾圧を加え、神殿の黄金をはがし、そこにバール神の像をすえた。この弾圧が、バビロン虜囚という民族の悲劇と重ね合わされたのだろう。
トンプソンは、『ダニエル書』はユダヤ人に対してギリシアの圧政への抵抗を呼びかけるプロパガンダだという。圧倒的なちからをもつ権力者に立ち向かうには、未来への希望が必要だ。だからこそ、バビロン虜囚時代にペルシア王ネブカドネザルの悪夢を次々と読み解いた預言者ダニエルの物語を創造し、ハルマゲドンの戦いの末に死者が復活するという「革命的な概念」が提示された。抵抗運動で生命を失ったとしても、正しい教えを守っていれば最後には復活できるというのは、殉教への強力な誘因になっただろう。
だが歴史学者ノーマン・コーンによると、「危機と審判の時期のあとに正しい人間だけが生き残る新しい世界が到来する」という黙示録信仰はユダヤ人が生み出したものではなく、ペルシア人(ゾロアスター教)からの借り物だという。紀元前1400年頃、開祖ゾロアスターは、「すばらしい創造」という世界の変容が訪れ、そのときすべての死者が復活すると説いた。そして大集会が開かれ、すべての人間に審判が下る。悪人は滅ぼされるが、正義のひとは不死になる。新しい世界では、若者は永久に15歳であり、成人は40歳のままだという。
古代中近東の「循環的」な時の概念に対して、「直線的」な時の概念はユダヤ教とキリスト教が神から授けられたとの解釈がある。だがこれもゾロアスター教に起源があり、「時の終わり」は元の楽園への逆戻りではなく、「その完全さには過去の何ものも及ばない」として「存在の全面的変容と世界の全面的な完成」を約束した。
黙示録(終末論)とは本来、未来への希望を語る思想であり、圧政によって方向性を見失い、アイデンティティが脅かされているひとたちにもっとも訴えかけるものだった。「時の終わり」が、周囲の帝国に翻弄されつづけたユダヤ人に大きな影響を与えたのも当然だった。
黙示録で終末が切迫しているのは、士気を高めるためだ。ギリシア支配の崩壊がすぐそばまで近づいているとの預言があってはじめて、死をも恐れぬ抵抗運動ははげしく燃え上がるのだ。
『ダニエル書』では、「エルサレムを復活再建しに行けという命令」から永遠の正義の時までの期間は70週とされている。これは490日で1年半たらずだが、当然、ダニエルが預言したような善と悪との最終戦争(ハルマゲドン)は起きなかった。だとすれば、「黙示録の秘密は暗号化されている」と考えるほかはない。
『エレミア書』では「70日」が70年を意味していたから、70週は490年になる。そのうえダニエルが、「このような奇跡の終わり」までどのくらいかかるのか神に訊ねると、「一時期、二時期、そして半時期」という暗号めいた答えが返ってくるので、話はさらにややこしくなる。
こうして「時の終わり」を信じるキリスト教徒は、2000年以上もせっせと謎解きを続けることになった。
千年王国信仰から進歩主義へ
キリスト教がローマ帝国で広く信仰されるようになり、信者も増えてきた紀元1世紀頃、重大な問題がもちあがった。磔刑に処せられたイエスは死者のなかから復活することになっているが、いつまでたってもその気配はない。教会は、「イエスはいつ再臨するのか?」という信者の素朴な疑問にこたえなくてはならなくなった。こうしてヨハネという名の人物がパトモス島で『黙示録』を書くことになったのだとトンプソンはいう。
『ヨハネの黙示録』は西欧の歴史に大きな影響を与えたばかりか、「666という数の獣」「反キリスト」「七つの封印が解かれたときに現われる四騎士」などは繰り返し現代のサブカルチャーに登場し、陰謀論の定番のガジェットになっている。
だが、『ヨハネの黙示録』であまりにも有名になった「千年王国」も、「時の神スルバーンが天地創造前の1000年間を統治していた」というゾロアスター教に原型を見ることができる。ゾロアスター教の物語が古代世界で広く流通していたことを考えれば、ヨハネがこの話を知っていた可能性は高い。
『ヨハネの黙示録』が描く壮大な善と悪の戦いは、ゾロアスター教の善悪二元論そのものだ。ヨハネは旧約聖書やゾロアスター教などのさまざまな物語を素材に、懐疑的な信者を説得するために『黙示録』の預言をつくりあげたのだろう。
紀元1世紀頃に成立した『ヨハネの黙示録』では、終末が訪れるとき世界は炎によって焼き尽くされるという。これは紀元79年のポンペイ(ヴェスヴィオ山)の噴火が影響しているのではないか。教会は信者たちに、ポンペイの悲劇は世界が焼き尽くされる前触れであり、正しい信仰だけが運命から逃れられる方途だと説いたのだ。
キリスト教の終末論にオリジナリティがあるとすれば、「終末が始まるときに、キリスト教を信じる者はみな空中に浮かんで天国に運ばれる」という“ラプチャー”で、聖パウロの『テサロニケの信徒への手紙』に出てくる。アメリカには「UFOに誘拐(アブダクション)された」と信じるひとがものすごくたくさんいるが、日本人には理解しづらいこの現象はここから説明できるかもしれない。
「千年王国信仰」は中世を通じて西欧社会に浸透し、十字軍にも影響を与えたが、「革命運動」としてのその性格がより明確になるのは宗教改革以後だ。カトリック教会の権威が否定されただけでなく、印刷技術と識字率向上によって、自ら聖書を読み、その意味を解釈する自由がすべてのひとに与えられたのだ。
民衆革命としての最初の千年王国運動は1525年のドイツ農民戦争で、ついでイギリスに広がった。カトリックの守護者を任じたスペインと対立していたイギリスは、『黙示録』の「獣」とは教皇のことであり、カトリック教会こそが「悪魔」だとして国民の戦意を煽った。
その後、清教徒革命(1642年)、護国卿クロムウェルの統治(1648~1658年)、王政復古(1660年)に至る動乱の時代に、「世界の終わり」を告げる預言者が次々と現われた。だが「陽気な君主」と呼ばれたチャールズ2世が王位について世情が安定すると、黙示録信仰は廃れていく。
その理由のひとつは、王政復古によって千年王国の到来が無期限に延期されたことだ。これがベーコンの科学的楽観主義と結びついて、進歩の理論を形成した。もうひとつは原理主義的なピューリタン(清教徒)がイギリス国教を認めず、『黙示録』の論理を転用して、国王を「悪魔」と批判するようになったことだ。
こうしてイギリスの主流派は、終末思想から距離を置くようになった。いまだに「世界の終わり」を信じているのは、カルト的な少数集団や下層階級だけだとされるようになったのだ。
Qアノンの陰謀論の背景にあるもの
イギリスで居場所を失った『黙示録』は、ピューリタンとともに大西洋を渡って新大陸(アメリカ)に移植されることになった。
アメリカへの初期の入植者は、『黙示録』の世界観を当然のごとく信じていた。アメリカ独立戦争によってその思いはさらに強くなり、「建国の父」たちはこの新しい国が黙示録的運命を背負っていると確信していた。このことは、1ドル紙幣の「三角形の中の目」のようなフリーメーソンのシンボルにも反映されている(当時、聖書から霊感を得ることと、啓蒙思想に目を向けることに明確な境界線はなかった)。
アメリカ社会が大きく2つに分かれるきっかけになったのが南北戦争だ。奴隷制をめぐる争いには、「前千年王国派」と「後千年王国派」の黙示録をめぐる解釈のちがいが関わっている。
『ヨハネの黙示録』はキリストの再臨と千年王国を予言するが、じつはその前後関係が明確に定められているわけではない。そこで、「聖人たちの1000年の治世が終わってキリストが再臨する」という「後千年王国派」と、「反キリストによってハルマゲドンが引き起こされ、キリストが再臨して千年王国が始まる」という「前千年王国派」が対立するようになった。
後千年王国派の考え方では、キリストの再臨にためには1000年の平和な治世が前提となる。これが19世紀前半の社会改革運動家の強力な動機となり、奴隷制反対運動につながった。聖書の教えに反する奴隷制のままでは千年王国は実現せず、キリストはアメリカの地に降臨できないのだ。北部の白人たちが自らの血を流してまで黒人の「人権」のために戦った背景には、千年王国の熱狂があったというトンプソンの指摘は重要だ。
それに対して前千年王国説では、世界はまずサタンによって支配され、その混乱と破壊の果てに救世主としてのキリストが現われる。救済のためには災厄が起きなければならないという「自虐的」な思想だが、こちらは黒人奴隷を使って広大なプランテーションを経営する南部の保守的なプロテスタントにとって都合がよかった。自分たちが時代から取り残されているというアイデンティティの動揺も、終末思想に引きつけられる誘因になっただろう。
後千年王国説に立ち奴隷制度に反対したプロテスタントは、その後、終末論を離れて、日々の現実に根差した社会的福音に向かった。この進歩思想は、王政復古によって終末論を捨てたイギリスの主流派と同じだ。キリストの再臨まで1000年もかかるのなら、それを待ちつづけるより、自分たちの暮らしや社会をよりよいものにするよう努力した方がずっといい。この考え方が、アメリカの進歩主義的なリベラリズムになっていった(ここからわかるように、進歩主義は信仰と両立できる)。
一方、前千年王国説に立つ保守派は、「神の「予言時計」は福音書時代の始まりとともに止まっており、再び動き出すのは、終わりの日々のドラマが始まってからだ」と考えるようになった。「終わりの日々」は今にも始まるかもしれず、いったん始まったら、『黙示録』の血みどろの預言が次々と実現されることになる。だが、霊的に生まれ変わったキリスト教徒には恐れることはなにもないのだ。
じつはアメリカでは、1844年に終末の到来が予言され、大きな話題になったことがある。それが外れて笑いものにされてから、カルト教団ですら日付を特定しなくなった。その代わり彼らは、「終末はいつやってきてもおかしくない」と切迫感を煽るようになった。
前千年王国説では、現在は「悪魔が支配する末世」でなくてはならない。これが、「ディープステイト(闇の政府)によって世界は支配されている」という陰謀論を生み出すのだろう。そのうえ「終末の日」がいつかは知ることができず、Y2K(2000年1月1日)や2001年の同時多発テロがきっかけになるかもしれない。それがたとえハルマゲドンに結びつかなくても、「いますぐ」起きることは間違いないのだから、そのために準備しておかなくてはならないのだ。
黙示録をこのように理解すれば、『エデュケーション』で描かれたサバイバリストの父親の発言や行動とぴったり重なる。アメリカではいま、「ディープステイトと戦うトランプ」を熱烈に支持するQアノンというSNSの陰謀ネットワークが急速に広がっているが、そのための肥沃な土壌はずっと以前から整っていたのだろう。
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