「サラリーマン増税」は誤解なのか、それとも… 週刊プレイボーイ連載(573)

マイナ問題の混乱で支持率が低下している岸田政権が、「サラリーマン増税」批判に神経をとがらせています。発端は6月末に提出された政府税制調査会の中期答申で、そこでは、これまで税制優遇されていた退職金や、一定額まで非課税となっている通勤手当や社宅の貸与などが見直しの対象とされており、これがネットで炎上したのです。

退職金は収入から控除額を引いたものの2分の1に、所得税・住民税が課税されるのですが、政府税調が問題にしたのは、勤続年数20年を超えると控除額が大幅に上がることです。国税庁の試算例では、勤続11年の控除額が440万円なのに対し、勤続30年だと1500万円にもなります。

「同じ会社に20年以上働かないと損になる」という税制は、終身雇用が当たり前の時代ならいざ知らず、転職を繰り返しながらキャリアアップしていくジョブ型雇用の時代には合いません。これでは社員は転職をためらい、会社に「監禁」されてしまいます。

アメリカやEUの一部では、退職金優遇の前提となる定年制は「年齢差別」として禁じられています。そう考えれば、本来、その月に受け取るべき給与を後払いする退職金そのものを「違法」とし、報酬は給与やボーナスで支払うべきだということもできます。

リベラルな社会の原則はすべての市民を無差別(平等)に扱うことですが、これは政府だけでなく民間にも適応されます。日本の会社の正規/非正規が「身分差別」だと批判されるのは、同じ仕事をしていても、属性(身分)によって給与や待遇を変えているからです。

同様に、一部の社員のみに社宅や家族手当を提供するのは正当な理由がなく、最高裁も正社員と非正規社員の明白な格差を違法と認定するようになってきています。だとすれば、「差別」である社宅・家族手当などを国が税制で優遇するのはおかしいという指摘は当然です。

世界でもっともリベラルな北欧では、正規/非正規の「身分」はなく、フルタイムとパートタイムの働き方のちがいがあるだけです。会社は社宅や家族手当を提供せず、社員は人生のステージに合わせてフルタイムで働くか、子育てや介護、勉学と両立させながらパートタイムで働くかを自由に切り替えています。

北欧の会社には、日本では当たり前の通勤手当もありません。どこに住んでいるかで支給額が変わるのは「平等」の原則に反するからです。すべての報酬は給与として支払われ、社員はその範囲で、それぞれの家庭の事情に合わせて住む場所を決めています。

サラリーマン家庭の専業主婦が、年金保険料を支払わずに年金を受給できる第3号非保険者制度は、家父長的なイエ制度を守るために導入されましたが、この国では、家父長制を否定するはずの(自称)リベラルがなぜかこの歪んだ制度を容認しています。本来なら、年金を個人単位にし、負担と受給を平等にすべきでしょう。

問題は、超高齢社会である日本では、公正な社会を目指そうとする試みが、社会保障制度の破綻を避けるための増税だと見なされてしまうことです。この懸念を解消するには、政府はあらかじめ税制中立(全体では損も得もない)を約束すべきですが、それができないということは、もしかしたら……。

『週刊プレイボーイ』2023年8月21日発売号 禁・無断転載