ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2016年11月24日公開の「トランプ大統領誕生は 米国民衆による「反知性主義」の反乱だった」です(一部改変)。前回記事「アメリカ社会は人種ではなく“知能”によって 分断されている」の続編にあたるので、合わせて読んでいただければ。
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アメリカの政治学者チャールズ・マレーは、『階級「断絶」社会アメリカ 新上流と新下流の出現』(橘明美訳、草思社)で1960年と2010年のアメリカを比較し、膨大な社会統計を分析することで、白人社会で大きな変化が起きていることを見出した。そのひとつが「中流の崩壊」で、グローバル化と知識社会化に適応できなくなった白人中流層が急速にニュープアに落ち込んでいるのだ。
プアホワイトが暮らす崩壊したコミュニティをマレーは「フィッシュタウン」と名づけたが、その割合はもっとも低かった1960年代の10%から上昇しつづけ、リーマンショック前の2007年に33%になった。このフィッシュタウンは、マスメディアや知識人・専門家が気づかないうちにその後も増殖をつづけ、稀代のポピュリストであるドナルド・トランプを世界最大の権力者の座につけるという大番狂わせを演出した。
マレーは、「知識社会においては、経済格差は知能の格差である」として、知能と社会階層に強い相関関係があることを明らかにした。その分析は大統領選の背景にあるアメリカ社会の変容を知るもっとも有用な基礎資料だが、残念なことに日本ではほとんど知られていない。それはマレーが保守派の知識人で、なおかつ「レイシスト(人種主義者)」のレッテルを貼られて、本国アメリカでリベラルなメディアや知識人から無視されているからだ。
そこで今回は、マレーが分析したアメリカ社会のもうひとつの社会階層である「新上流(ニューリッチ)」についても見てみよう。
20世紀末に大学の階層化が進んだ
ビル・クリントン政権で労働長官を務めたリベラル派の経済学者ロバート・ライシュはすでに20年前に、世界的ベストセラーとなった『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ 21世紀資本主義のイメージ』(中谷巌訳、ダイヤモンド社)で、21世紀のアメリカ人の仕事はスペシャリスト(知識労働)とマックジョブ(マクドナルドのようなマニュアル化された単純労働)に二極化すると予言した。新上流階級を構成するのがスペシャリストすなわち専門家だが、ここでは「クリエイティブクラス」と呼ぼう(より正確には、クリエイティブクラスは芸術家などのクリエイターと、医師・弁護士などのプロフェッショナルに分かれる)。
クリエイティブクラスが集まる新上流階級は1960年には存在していなかったが、1980年代にはテレビドラマにまで登場するようになった。「階級」と呼ぶ以上、その構成員がじゅうぶんな数に達していなければならないが、1960年のアメリカでは大学に進学できる若者はごく一部で、その卒業生が社会のなかでまとまった集団をつくることはなかった。だがじつは、この年は知識社会への決定的な分岐点だった。
1926年に行なわれた調査によれば、アメリカの全大学卒業生の平均IQが115だったのに対し、超一流大学(コロンビア、ハーバード、プリンストン、エールなど)の学生の平均IQは117でほとんど変わらなかった。1952年になっても、ハーバードの新入生のSAT(大学進学適性試験)の「英語(日本でいう国語)」の平均点は583で、全国平均を超えてはいたものの、とりたててどうというレベルではなかった。
だがその後、突如「革命」が起きた。1960年にハーバードの新入生の平均点は678に跳ね上がったのだ。1952年なら平均点をとれたような学生は、1960年には下位10%に入るのもやっとになった。
マレーは1960年代に同じような現象が全米で起き、大学の階層化が進んだという。その理由は社会がゆたかになって、ふつうの若者でも(奨学金などを利用して)大学に進学できるようになったからだが、それは同時に、学歴(知能の指標)がその後の人生に大きな影響をもつと誰もが気づいたからでもあった。こうして「知識社会化」が始まった。
20世紀末になると、この知識社会はすでに完成していることがわかる。SATで上位5%以内の高校生の進学先を調べると、全大学のなかの上位41校に彼らの半数が、上位わずか10校に20%が入学していたのだ。
こうしていまのアメリカでは、三流公立大学には全米平均レベルの学生ばかりが集まる一方、名門校には認知能力で上位10%を下回る学生など1人もおらず、大学によっては上位1%以内、場合によっては上位0.1%以内の学生がうようよいるところもあるとマレーはいう。
そしてこれが優秀な学生に出会いの場を提供し、学歴同類婚(選択結婚)を増やすことで、アメリカ社会の「知能による分断」を固定化したのだ。
あたまのいい子どもは孤独
新上流階級はどのように形成されたのか。マレーは、「あたまのいい子どもは孤独だからだ」という。
青春ものの映画やテレビを見ればわかるように、アメリカの学校においてもっとも人気のある男の子はアメリカンフットボールのクォーターバックで、女の子は(金髪の)チアガールだ。コンピュータのプログラムが書けたり、詩や小説の古典について語れるからといって尊敬されることは「ぜったいに」ない。
ハーバード大学ロースクールを出て企業弁護士になったのち、「内向的」なアメリカ人のためのコンサルタントに転身したスーザン・ケインは、子どもの頃は読書が大好きな女の子だった。ニューヨーク・ブルックリンでユダヤ教の博学なラビだった祖父を中心にして、ケインの家では、日曜の午後になると家族全員が本を持って書斎に集まった。家族のぬくもりに包まれながら、頭のなかで冒険の国を自由に飛び回るのは素晴らしい体験だったが、美しい子ども時代は突然、終わりを告げる。ケインはその体験をこう語っている(『内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力』古草秀子訳、講談社)。
思春期を前にして、私は読書が好きなせいで友人から「仲間はずれ」にされるのではないかと心配になった。その心配は、サマーキャンプへ行った10歳のときに確信に変わった。眼鏡をかけて賢そうな顔をした女の子が、大事なキャンプの初日に本を読んでいてばかりいるという理由で、それっきり昼も夜もずっとのけ者にされたのを見たのだ。じつは私も本を読みたかったけれど、持ってきたペーパーバックをスーツケースの奥にしまい込んだ(本が私を求めているのに見捨ててしまったような気持ちになって、罪の意識を強く感じた)。本を読みつづけた女の子が内気な堅物のように見え、本当は自分もまったく同じなのだと気づいていた一方で、それを隠さなければならないということもわかっていた。
ポジティブで外向的であることが成功への条件とされるアメリカでは、内向的な性格の若者はものすごく生きづらい。このような「孤独であまたのいい若者」が、同じような境遇の異性に出会ったら互いに強烈に惹かれあうだろう。そして1980年代のアメリカは、彼らに出会いの場を提供した。大学教育の普及によって「頭のいい若者」が特定の大学に集まるようになり、そこで自分の同類を見つけることになったのだ。
このようにして、あたまのいい男の子があたまのいい女の子と結婚し、子どもをつくるようになった。これが、知識社会において新しい「上流階級」が生まれる基礎になったのだとマレーはいう。
これについては人口動態調査に基づいた社会学者の研究もあって、1940年から2003年にかけての動向を調べたところ、教育段階の両端で同じ学歴の者同士の同類婚が増えていることがわかった。すなわち、大卒者は大卒者と、高校中退者は高校中退者と結婚するのだ。その結果、1960年にはどちらも大学卒という組み合わせは全米のカップルのわずか3%だったが、2010年には25%まで増えた。
認知能力が似た者同士が夫婦になるのは打算のためではない。新上流階級と新下級階級の分離がいったん固定化すると、両者は異なるサブカルチャーを持つようになる。ようするに、「(新上流階級と新下級階級は)いっしょにいても楽しくない」のだ。
スーパーZIPの偏った人種構成
『階級「断絶」社会アメリカ』でのマレーの独創は、アメリカでは所得階層によって住む場所が明確に分かれているという社会学的事実から、ZIP(郵便番号)によって高所得者と低所得者の地域を分類したことだ。このうち、認知能力で上位5%以内が住む高級住宅地が「スーパーZIP」だ。
スーパーZIPの人口は(全米の5%なのだから)25歳以上の910万人で、大卒者の割合は63%、世帯所得の中央値は14万1400ドルだ(約1500万円。以下は2000年の国勢調査に基づくデータ)。マレーは「新上流階級(広義のエリート)」を240万人と概算しているから、スーパーZIPの住民はその約4倍になる(その後の20年で富裕層の所得は大幅に上がったので、この中央値は現在では20万ドルを超えているだろう)。
スーパーZIPの住民は、(定義上)裕福で高学歴である以外に、以下の特徴がある。
まず、それ以外の地域のひとびとに比べて既婚者が多く、離婚経験者が少なく、シングルマザーも少ない。男性は労働力率が高く、失業者が少なく、労働時間が長い。また都市のスーパーZIPでは犯罪率が低く、郊外のスーパーZIPでは犯罪はめったに起きない。
スーパーZIPの際立った特徴のひとつは人種構成だ。
2000年の時点で、スーパーZIPの住民の82%が白人、8%がアジア系、アフリカ系とヒスパニックがそれぞれ3%だった。これに対してそれ以外の地域では、白人が68%、アフリカ系が12%、ヒスパニックが6%、アジア系が3%だった(2010年の国勢調査に基づけば、間違いなくスーパーZIPのアジア系の比率が上がっているはずだとマレーは指摘する)。
マレーは、新上流階級のもっとも成功しているひとたちがどこに住んでいるかを知る方法がないかと考え、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)の卒業生名簿に目をつけた(2004年に開かれた第25回同窓会のためにつくられた1979年卒の名簿を入手した)。
彼らはほぼ全員が50代で、まさにキャリアの頂点に立っていた。そのうちアメリカ在住で、かつZIPコードが特定できるのは547人で、そのなかにはCEOが51人、社長・頭取・総裁が107人、会長・理事長が15人、その他何らかの事業のトップに立つ責任者・共同経営者・経営者が96人いた。さらにトップに次ぐ地位としてCFO、COO、執行副会長・副社長、常務取締役などが115人いた。
この計384人を新上流階級(広義のエリート)としてその住所をZIPコードで振り分けると、61%がスーパーZIPに住み、残りの39%もその多くはスーパーZIPに準ずる地域に家を構えていた(全体の83%が上位20%以内のZIPコードに含まれていた)。
「成功した新上流階級」は特定の地域に集住しているが、それは具体的にはどこなのか。マレーは人口統計からアメリカに5つの巨大なクラスター(新上流階級の密集地)があることを突き止めた。
アメリカでもっともスーパーZIPが集積しているのがワシントン(特別区)で、ニューヨーク、サンフランシスコ(シリコンバレー)にスーパーZIPの大きな集積があり、ロサンゼルスとボストンがそれに続く。
ワシントンに知識層が集まるのは、「政治」に特化した特殊な都市だからだ。ニューヨークは国際金融の、シリコンバレーはICT(情報通信産業)の中心で、(ビジネスの規模はそれより劣るものの)ロサンゼルスはエンタテインメントの、ボストンは教育の中心だ。これらの都市では、ビジネスチャンスは、高い知能と学歴を有する者にしか手に入らない。
「反知性主義」の反乱
それでは、新上流階級はどのような政治信条を持っているのだろうか。マレーはこれをリベラル指数(LQ)によって計測した。
LQは「民主的行動のためのアメリカ人」(ADA)という団体が集計した連邦議会議員の投票行動に対する指標で、100なら完全なリベラル、0なら完全な保守となる(「純粋リベラル」はLQ90以上、「リベラル」は75~89、「中道」は25~74、「保守」は10~24、「純粋保守」は0~9)。
まず全体的な傾向だが、2002年、2004年、2006年、2008年の選挙で選ばれた連邦議会議員のLQを調べたところ平均は51.5で、議員の57%が「純粋リベラル」か「純粋保守」すなわち左右どちらかに極端に偏っており、「中道」はわずか21%だった。これはアメリカ社会が共和党支持と民主党支持で分断している証拠にも思えるが、アメリカ人の政治信条は右から左までほぼ均等だということもできる(図①)。
次いでマレーは、スーパーZIPの住民の政治信条を調べてみた。それが図②だが、二極化の度合いはすこし高くなっているが中道も増え、その分布は平均的なアメリカ人とほとんど変わらない。
この結果を意外だと思うかもしれないが、じつはこれにはすこし仕掛けがあって、スーパーZIPのなかからニューヨーク、ワシントン、ロサンゼルス、サンフランシスコ一帯の4つの巨大クラスターを除いたものなのだ。
図③が、その4大クラスターの政治信条を示したものだ。これを見れば一目瞭然だが、新上流階級の巨大集積では、成人人口の64%が「純粋リベラル」(いわゆる「極左」)の議員によって代表されていて、保守派は「純粋保守」と「保守」を合わせても19%しかいない(図版はすべてマレー前掲書より作成)。
これをもとにマレーは、アメリカの政治、経済、文化に大きな影響力を持つ(狭義の)エリートの価値観は極端に「リベラル」に偏っており、それは平均的なアメリカ人はもちろん、4大クラスター以外のスーパーZIPに住む新上流階級とも大きく異なっていると主張した。
これを見ると、今回の大統領選が、知識社会アメリカを「支配」する彼ら新上流階級に対する大衆の「反知性主義」の反乱だったことがよくわかる。その一方で4大クラスターに集住する新上流階級(ヒッピームーヴメントの末裔たち)は、自分たちの価値観を真っ向から否定する新しい大統領をぜったいに認めないだろう。
これが今後4年間の、アメリカ社会の基本的な構図なのだ。
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