タイパはタイム・パフォーマンスの略で、映画を1.5倍速で観る若者が増えているとして話題になりました。ネット上のコンテンツがあまりに増えすぎて、処理できなくなったからだとされます。
タイパの背景には、時間資源の制約があります。イーロン・マスクやジェフ・ベゾスのような大富豪でも、わたしたちと同様に、1日は24時間しかありません。お金は(理屈のうえでは)無限に増やすことができますが、時間をお金で買うことはできないのです。
社会がゆたかになるにつれて、ひとびとの関心はお金から時間へと移っていきます。富裕層だけでなく、いまの平均的な若者も、ソーシャルゲームやサブスクの動画、Web漫画を楽しむのに、さほどお金を必要としなくなりました。
経済学の需要と供給の法則が教えるように、希少なものは価格は上がっていきます。いまでは、お金よりも時間の方がずっと価値が高いのです。
時間資源の制約は現代社会の本質で、たんに映画を早送りするだけなく、社会のあらゆる場面に影響は及んでいます。
あるタスクをこなそうとすると、一定の時間資源を投じなければなりません。そうすると、別のタスクに使う資源が足りなくなってしまいます。通常、このことはビジネスの場面で語られますが、愛情や友情も同じです。
恋人というのは、「プライベートな時間資源をもっとも多く投入している人間関係」と定義できます。より多くの時間資源を投じる別の相手が現われると、関係は破綻して恋は終わります。同様に親友は、「恋人や家族以外でもっとも多くの時間資源を投入している、通常は同性の人間関係」と定義できるでしょう。
仕事や家族・友人との関係だけでなく、わたしたちには趣味や勉強にあてる時間も必要です。そのうえ最近では、「1日8時間睡眠」とか「1日1万歩の散歩」などが身体的・心理的な健康に重要なことがわかってきました。これらのタスクをすべてこなそうとすると、時間がぜんぜん足りないのです。
このことを確認したうえで、政治について考えてみましょう。学校教育もメディアも、「民主的な社会では、国民一人ひとりが、自分がもっともふさわしいと考える政党や政治家に投票しなければならない」と教えています。しかしそのためには、政治・経済や社会問題について学ばなければなりません。
これはきわめて難易度の高いタスクなので、ちゃんとやろうとすれば大量の時間資源を消費しますが、その対価はほとんど実感できないでしょう。そうなるとほとんどのひとは、より簡便な方法に頼ろうとするはずです。
SNSは、一人ひとりの社会的評価を「見える化」するという、とてつもないイノベーションです。そこでは、フォロワー数が社会的な価値(評判)の指標になります。
だとしたら、SNSとともに育ったデジタルネイティブの若者たちは、ごく自然に、より多くのフォロワーをもつ人物がよりすぐれた政治家になるはずだと考えるでしょう。海外に逃亡したままいちども国会に出てこなかった人物を擁立した政党が、それなりの支持を得ている理由が、これでなんとなくわかるのです。
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