成功するためには、 人生の土台を合理的に設計せよ

新刊『シンプルで合理的な人生設計』のまえがき「自由に生きるためには、人生の土台を合理的に設計せよ」を、出版社の許可を得て掲載します。本日発売で、多くの書店さんにはすでに並んでいると思います。見かけたら手に取ってみてください。

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本書では、もっともシンプルな成功法則を提案したい。それが「合理性」だ。とはいえ、「人生を合理的に生きなさい」などというバカげた話をするわけではない。そんなものは「マシン(機械)」の人生だ。

自由に生きるためには、人生の土台を合理的に設計せよ

というのが本書の主張だ。

私は20年前から、「自由とは哲学的・心理的な問題ではなく、自由に生きるための経済的な土台(インフラストラクチャー)をもっているかどうかで決まる」と述べてきた。これはいまでは、FI(経済的独立:Financial Independence)と呼ばれている。

前著『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド社)はこれを拡張して、幸福の土台を「金融資本」「人的資本」「社会資本」という3つの資本(キャピタル)で説明した(図1)。

これが画期的(だと自分で思っている)のは、幸福を客観的に定義できることだ。3つの資本をすべてもっていると「幸福」、なにひとつもっていないと「不幸」で、すべてのひとがこのスペクトラム(連続体)のどこかに収まる。

大きな資産をもち、仕事で成功し、社会的な名声もあるのに、自分のことを「不幸」だと感じているひとはかなりの数いるだろう。しかしこれは、定義上「幸福」になる。その一方で、一文無しで仕事もなく、家族も友人もいない孤独な身の上なのに、自分のことを「幸福」だと思っているひともいるかもしれない。だがこの場合は、定義上「不幸」だ。

「そんなのおかしい」と思うかもしれないが、このようにして幸福を主観から切り離すことで、その土台を客観的に論じることができるようになる。本書では、この土台を「合理性」という枠組みからより詳しく見ていきたい。

合理性とは、「投入した資源(リソース)に対してより多くの利益(リターン)を得ること」と定義できる。100円を投じて100円しか返ってこない取引よりも、110円になる取引の方が合理的なことは誰でもわかるだろう。

ただし、こうした意味での論理的(経済的)合理性の役割は、それぞれの資本で異なっている。図1に「合理性」という補助線を引くと図2になる。

金融資本の活用は金融市場に資金を投じて利益を得ることで、ほぼ合理的意思決定理論(ファイナンス理論)で説明できる。「損をしたけどよい投資」というのは、原理的にありえない。

ただし例外もあって、その典型がマイホームだ。あとで詳しく説明するが、ファイナンス理論では、マイホームという「大きなレバレッジをかけた不動産投資」を正当化することは難しい。それにもかかわらず多くのひとがリスクをとってマイホームを購入するのは、それが(合理性では説明できない)“夢”だからだろう。

人的資本の活用は労働市場に個人の労働力を投じて利益を得ることだが、「単位時間当たりの収入が多い方がよい仕事」と一概にいうことはできない。仕事の選択には、やりがいや自己実現、社会的評価など、金銭以外の要素が大きく影響するからだ。

とはいえ、タダ働きでもみんなのためになることをしたいという、「やりがいがすべて」の理想論は早晩、破綻するだろう。人的資本の活用においても、半分、あるいはそれ以上は経済合理性で判断する必要がある。

社会資本は人的ネットワーク、すなわち「絆」や共同体への帰属意識(アイデンティティ)のことだ。わたしたちはごく自然に、愛情や友情を経済的な合理性とは切り離している。――セックスのあとにダイヤの指輪をプレゼントするのは愛情だが、一万円札を差し出すと買春になってしまう。

とはいえ、パートナーを選ぶときや、友人のうちの誰と関係を継続し、誰と縁を切るかを選択するときには、合理性の要素がまったくないわけではない。ネットワーク理論では、あなたはもっとも親しい友人5人の平均だとされる。相手のことをなにひとつ知らなくても、社会的な関係を見るだけでだいたいのことは判断できてしまうのだ。

本書のPart1は理論編で、「合理的な選択」とはどういうことかについて論じる。それを受けてPart2では、幸福の3つの資本を合理的に設計するにはどうすればいいかを具体的に考えてみたい。

舞台がしっかりしていれば、その上で演じる物語の選択肢は大きく広がるだろう。そんな“強靭な土台”をもっていることを、本書では「成功」と定義したい。

いったん人生の土台を合理的に設計すれば、そこでどのような人生の物語を紡いでいこうとあなたの自由だ。それがとんでもなく不合理なものであってもまったくかまわないし、それでもあなたは「成功者」なのだ。