ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2022年2月24日公開の「想像以上にやっかいな 「黒人に対するネガティブな人種バイアス」の解消」です(一部改変)。
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スタンフォード大学の社会心理学者ジェニファー・エバーハートは、黒人女性である自らの体験をもとに人種にもとづくバイアスを研究し、それを『無意識のバイアス 人はなぜ人種差別をするのか』(山岡希美訳、明石書店)にまとめた。原題は“ Biased(偏って)”で、アメリカ社会で、黒人がネガティブなステレオタイプ=人種バイアスの対象になっていることを表わしているのだろう。
とはいえ、エバーハートは人種差別を糾弾するSJW(社会正義の戦士:social justice warrior)ではない。彼女はサンフランシスコの対岸にあるオークランド警察署の啓発活動に協力していて、「警察署員の多くは毎日その正義を、時には大きな犠牲を払って実行していると感じていた」と評価している。それにもかかわらず、警察官は人種差別的な職務質問や身体検査を行なっているとして、「BLM=ブラック・ライブズ・マター(黒人の生命も大切だ)」の運動で「レイシスト(人種主義者)」のレッテルを貼られるている。その理由をエバーハートは、「潜在的なバイアスが人間の意思決定に作用する」からだとするが、本書を読むとこれが想像以上にやっかいな事態だとわかる。
黒人も黒人に人種バイアスをもっている
オークランドはバイデン政権で副大統領になったカマラ・ハリスの出生地で、1960年代以降、犯罪率が上昇し、全米でも屈指の「犯罪都市」という悪名を轟かせた。とりわけ1990年代にはかつてないほど凶悪犯罪が多発し、その多くは麻薬取引に関連していた。
市民からの強い圧力を受けた警察当局は、疑わしい者を片っ端から逮捕し、より多くの容疑者を刑務所に送った警察官には褒賞が与えられた。証言によると、点呼のときに上官は、「容赦なく行け。時にはルールを曲げなければならない」と部下たちを叱咤したという。
その結果、警察官たちは「ライダーズ」と名乗る自警団を組織し、無実の者に薬物を仕掛けたり、暴力を振るって自白させたり、犯罪行為をしたと偽って告発した。この異常な事態が数年続いたあと、2000年に「恐怖の支配に従うことを拒んだ」新米警官によって暴かれ、大きなスキャンダルになった。オークランド警察は、市民の信頼を取り戻すためにエバーハートに助力を求めたのだ。
社会学者のアリス・ゴッフマンは、フィラデルフィアの貧困な黒人集住地区に住み、6年にわたってストリートボーイズたちとつるむことで、アメリカの司法・警察制度の罠に絡めとられ、「(指名手配からの)逃亡者」にされていく彼らの境遇を報告したが、それと同じことがオークランドではもっと大規模に起きていたのだ。
この不祥事ののち、多くの警察官と直接、話をする機会をもったエバーハートは、「結局のところ、警察官は命を張っていることに対して評価されていると感じたいのだ。人々に尊敬される職業を選んだのだと実感したいのだ。そして、何より、彼らは自らの安全を確保しておきたいのである」と述べている。
それが「人種問題」へとこじれていくのには、次のようなメカニズムがある。
オークランドの黒人住民のなかで、凶悪犯罪に手を染めているのは3%程度にすぎない。それにもかかわらず、警察官は人種バイアスによって残りの97%も「犯罪者」のカテゴリーに入れてしまうため、住民からの反発が避けられない。その結果、「警察官は、犯罪との闘いに打ちのめされやすい。時間が経つにつれ、まるで自分たちが勝ち目のない戦争の歩兵であるかのように感じるようになる。尊敬も感謝もしてくれない人たちのために自分たちの命を懸けていることに不満を感じるようになる」という負の連鎖に陥っていく。
黒人に対する強い人種バイアスは、白人警察官だけでなく、黒人警察官や一般の黒人にも共有されている。オークランド警察署で行なった講演で、このことをエバーハートは、次のような印象的な逸話で説明している。
エバーハートが、当時、5歳だった息子のエヴェレットと飛行機に乗ったときのことだ。席に着いたエヴェレットは周りを見回したあと、たった一人の黒人男性の乗客を見つけて、「ねえ、あの人パパにそっくりだよ」といった。エバーハートが驚いたのは、その男性が夫にまったく似ていなかったからだ。身長も顔かたちもちがうし、なによりその男性は、長いドレッドヘアを背中まで伸ばしていた。エヴェレットの父親は坊主頭なのだ。
息子の次の言葉は、それよりさらに衝撃的だった。「あの男の人、飛行機を襲わないといいね」といったのだ。
「なんでそんなことを言ったの?」と声を低めて訊ねると、エヴェレットは母親を見上げ、悲しそうに「なんでそんなことを言ったのか分からない。なんでそんなことを考えていたのかも分からない」と答えた。
この講演のあと、一人の黒人警察官がエバーハートに声をかけた。潜入捜査をしていたとき、遠くにあやしい男を見つけたという。
その男は無精ひげを生やし、髪も乱れていて、服も破れていて、よからぬことを企んでいるように見えた。男が近づいてくると、警察官は、銃を所持しているのではないかと考えはじめた。
その男がいたビルに向かうと、一瞬、見失ってしまった。次に男を発見したとき、彼はオフィスビルのなかにいた。ガラス越しに男の姿がはっきり見えた。
警察官は、男と向き合う覚悟を決め、立ち止まってその目を見た。そのときはじめて、彼は自分自身を見つめていることに気づいたというのだ。
市民は警察官よりずっと「人種差別的」な行動をとる
不祥事のあと、捜査や検挙の「適正化」が図られてから10年以上たった2014年でも、オークランドで起きた凶悪犯罪のうち83%は黒人によるものだった。警察官は、自分たちの人種的なバイアスが犯罪統計と一致することで、取り締まりのやり方が正しいと認識してしまう。
これは「ニワトリが先か、タマゴが先か」の議論で、アメリカ社会の人種的な偏見によって黒人が犯罪へと追いやられるのか、それとも黒人の犯罪率が高いことで人種と犯罪が結びつくようになったのか、という話になる。いうまでもなく、前者がリベラル、後者が保守派の立場だ。
どちらが正しいにせよ、否定できないのは、こうした人種バイアスが黒人コミュニティに甚大な被害をもたらしていることだ。「アメリカでは毎年、警察官によって約1000人も(の黒人)が射殺されており、それらの死亡事件の11%は、大音量のマフラーや壊れたテールライトのような無害な交通の取り締まりから始まっていた」とエバーハートはいう。
とはいえ、問題は警察官のバイアスだけではない。オークランドの警察官が行なった約1000件ちかくの交通取り締まりの映像の発言サンプル(414件)を大学生のグループが評価したところ、警察官は全体的にプロフェッショナルな態度をとっていることがわかった。ただし、黒人のドライバーに対して攻撃的・暴力的な対応をするわけではないが、(その警察官が白人か黒人かを問わず)白人のドライバーに職務質問するときに比べて、相手が黒人の場合には敬意を払わない傾向があった(SirやMadamを使わず、ぞんざいな言葉遣いをした)。
それに対して、市民の人種バイアスはどうなのだろうか。
カリフォルニアでは、駐車中の車から1ドル盗むような些細なことでも、3回目であれば「スリーストライク法」の対象となって重罪に処せられる。この規定はあまりにきびしすぎるとずっと批判されてきたが、カリフォルニアの有権者に、受刑者の顔写真を見せて賛否を問うと、黒人受刑者の写真を増やせば増やすほど、有権者たちは法律の緩和を支持しなくなった。
このことがよりはっきりわかるのが、「撃つか撃たないか」実験だ。モニターに銃を持った人物か、同じような格好をしているがコーヒーカップなど無害なものを持った人物が映される。銃を持っている場合は「撃つ」、そうでない場合は「撃たない」ボタンをできるだけ素早く押す。
この実験では、銃を確認して「撃つ」ボタンを押す方が、銃がないことを確認して「撃たない」ボタンを押すより反応が速いことがわかった。ヒトが危険に対して瞬間的に判断するよう進化してきたとすれば、この結果は順当だ。
困惑させられるのは、銃を持った白人に対してよりも、銃を持った黒人に対しての方が「撃つ」と反応するのが速かったことだ。さらに、銃を持っていない黒人に対して、誤って「撃つ」と反応してしまう可能性も高かった。こうした人種バイアスは大学生だけでなく地域住民も同じで、白人と黒人の両方の被験者で確認された。
ここで誰もが、アメリカ社会を揺るがした何件もの警察官による黒人市民の射殺事件を想起するだろう。だがこの実験が示したのは、より複雑な結果だった。
黒人の犯罪率が高い大都市で働く警察官は、反応時間においてもっとも大きな人種バイアスを示す傾向があった(銃を持った黒人に素早く「撃つ」のボタンを押した)。ところが、警察官が銃を持っていない人物を撃つ確率は、相手が黒人でも白人でも同じだったのだ。
犯罪の最前線にいる警察官は、たしかに強い人種バイアスを共有しているが、武力行使訓練を受けていることで、銃があるかどうかを、相手の人種にかかわらず適切に見分けていた。
アメリカの左派(レフト)は、「人種差別的な警察」を市民が代替することを求めているが、治安を守るために市民に銃を持たせれば、黒人コミュニティにさらに多くの悲劇が起きるだろう。実験が示すところによれば、訓練を受けていない市民は、警察官よりずっと「人種差別的」な行動をとる確率が高いのだ。
「罪は黒く、美徳は白い」というバイアス
日本でも「ブラック企業」「ブラックバイト」などの用語が黒人への偏見を助長するのではないかと議論になっているが、「黒という色を素早く、そして容易に不道徳なものと関連づけてしまう」バイアスはどこにでも見られるとエバーハートはいう。
画面に表示された文字のフォントが白か黒かをできるだけ素早く答える実験がある。このとき、不道徳に関連する単語(例えば「下品」など)は白のフォントで表示されたたときよりも、黒のフォントで表示されたときの方が、被験者の反応速度が速かった。その一方で、道徳に関する単語(例えば「高潔」など)は、黒よりも白のフォントで表示されたときに方が、早く言い当てることができた。この実験を行なった研究者は、「罪はただ汚いだけでなく、黒いのである。そして美徳はただ綺麗なだけではなく、白いのである」と述べている。
このような根強い人種バイアス=偏見に対して、社会はどのように対処すればいいのだろうか。リベラルから支持され、広く行なわれているのが「カラーブラインド」だ。肌の色ではなく一人ひとりの個性を評価することで、「肌の色は見ないようにすること。肌の色については考えないようにすること。人種について考えようとしなければ、バイアスにかかることはないであろう」とされる。――日本でも、女性社員などへの差別・偏見に対処する「ジェンダーブラインド」が唱えられるが、これも同じ発想だ。
だがエバーハートは、カラーブラインドは一見、素晴らしい理想のように聞こえるが、「科学的根拠はなく、実際に達成するのは困難である」という。アメリカ社会では、初対面の相手と出会ったときに、性別・年齢に加えて、肌の色でグループ分けが行なわれる。それにもかかわらず、アメリカの学校ではカラーブラインドの教育をしているので、子どもたちでさえも、肌の色に言及することは無礼だと考える。集団のメンバーを説明する課題で、そのなかに黒人が一人だけいるなら、人種を指摘するのは明らかに有用だ。そんな場合でも、子どもたちは10歳になる頃には、人種について話すことを控えるようになってしまうという。
皮肉なのは、こうした「人種教育」が逆効果になっていることだ。実験によると、カラーブラインドの思考態度を教え込まれた子どもは、明らかに黒人という理由でいじめられた事例(他の子どもにわざと転ばされたなど)に対して、それを差別的だと判断する割合が低かった。カラーブラインド群の子どもたちの説明を聞いた教師も、問題行動は軽度であると判断し、標的とされた子どもを保護するために介入する可能性が低かった。
これを受けてエバーハートは、「カラーブラインドは、その意図とは全く正反対のもの、つまりは人種的不平等を促進していた」と結論する。「それは、マイノリティの子どもたちに、彼らが耐え忍ぶ苦痛が気づかれない環境で、一人で闘うことを強いている」のだ。
ダイバーシートレーニングは差別の許可証
アメリカ社会では、白人は「人種主義者」と見なされることを極端に恐れている。見知らぬ黒人と話すとき、白人はストレスで心拍数が上がり、血管が収縮し、脅威に備えているかのように身体が反応する。さらには認知機能までが低下し、単語認識のような単純な課題にも苦労するようになるという。
こうした白人の態度は「ホワイト・フラジリティ(白人の脆弱性)」と呼ばれている。ロビン・ディアンジェロの同名の著書(『ホワイト・フラジリティ』)はアメリカでベストセラーになり、彼女は企業などにダイバーシティ(多様性)トレーニングを提供する活動を行なっている。
参考:BLM(ブラック・ライヴズ・マター)の背景にある「批判的人種理論(CRT)」とは何か?
エバーハートは直接、ディアンジェロについて言及しているわけではないが、アメリカ企業が行なっている人種多様性の研修は、「その効果が検証されたことがない」と手厳しい。日本企業でもダイバーシティ研修の導入が進められているので、それについての指摘を引用しておこう。
「バイアス研修は急速に成長している営利事業であり、結果に問題があれば、トレーナーの収益に影響を及ぼす可能性がある。だから、「はい、従業員は研修を終えています」という項目にチェックを入れて、研修は成功したとする方がむしろ楽なのではないだろうか」
「現在、この事業で活躍しているトレーナーの多くは、心の謎を解明しようとしている科学者ではなく、メッセージを伝え、需要の高い商品を売ろうとしている起業家なのである。実際、そのリスクを考えると、研修に効果があるかどうかや、特定の条件において効果が薄れる可能性がある理由について知らない方が得策なのかもしれない」
「同様に、研修を依頼する組織も、その効果を測定するために時間と費用を費やす動機がほとんどないのである。組織にとっての主な動機が、バイアスを抑えるために何かをしていることを出資者や世間に示すことである場合、研修の効果が限定的であるという知見を提示されることは不要なリスクになる」
社会心理学では、「人は、過去の行動に偏見を持たなかったと自任できる時、偏見を持つ可能性のある態度を表明しがちだ」という傾向を「道徳の証明」と呼ぶ。「私には黒人の親友が何人もいる」との表明が一種の許可証となり、自分の平等性・道徳性はすでに十分に証明されたのだから、人種差別的な態度をとる権利があると考えるようになるというのだ。
研究者がフォーチュン500(全米上位500社)の企業を追跡調査したところ、特定の分野で「企業の社会的責任(例えば、安全記録を改善すること)」を謳っている会社は、重要な安全警告を無視して無責任な行動をとる可能性がかなり高いことが判明した。「それはまるで、責任ある行動をとることで、無謀な行動をとる権利が与えられたかのようであった」と研究者は述べている。
同様に、ダイバーシティ研修を積極的に行なっている「リベラル」な会社は、それが「道徳の証明」となって、人種的なバイアスの強い判断をするようになるかもしれない。――真っ先に思い浮かぶのは、人種差別への反対を表明しながら、社員の黒人比率が極端に低いシリコンバレーの企業だろうが、スタンフォード大学で教えるエバーハートはこれについてはなにもいっていない。
他者のバイアスを誰が批判できるのか
「他人種効果」は、「自分と同じ人種の顔を認識するのは得意だが、異なる人種の顔はうまく見分けられない」ことで、日本人は、アジア系と(メディアや映画などで見慣れている)白人の顔は一人ひとり区別できても、黒人は難しいだろう。
赤ん坊は生後3カ月になると、他の人種より、自分と同じ人種の顔に対し強く反応するようになる。進化論的にはこれは当然で、自分の世話をしてくれるのは、自分の身近にいるひとたち(通常は同じ人種)なのだから、認知的な資源に強い制約がある以上、それ以外の顔を記憶しておく理由はない。
2014年、オークランドのチャイナタウンの繁華街で、強盗事件が驚くほど増加した。10代の黒人の少年たちが、中年のアジア系女性のカバンを強奪したのだ。
警察は容疑者を逮捕し、盗品の一部を回収したが、最終的には、どの事件も起訴することができなかった。ひったくり犯の顔を見ていたはずの被害者が、面通しの際に、容疑者のなかから犯人を特定できなかったからだという。
その後、何件かのひったくり事件が解決し、刑務所に送られた強盗犯が自供してはじめて、ようやく事態が明らかになった。「なぜこの女性を狙ったのか」と聞くと、彼らは包み隠す様子もなく、「アジア人は俺らを特定できない。俺たちを見分けることができないのさ」と話した。「それは夢のような話だ。だからやる」というのだ。
黒人女性は、ほんのひと目見ただけでも、黒人の強盗犯をかなり高い確率で特定することができた。「他人種効果」に気づいた黒人のストリートボーイズたちは、チャイナタウンでひったくりをすれば起訴できないことを学んだのだ。アジア系の女性たちに強い不安を与えたこの連続ひったくり事件は、チャイナタウンの通りに監視カメラを設置することでようやく収束に向かった。
本書の最後でエバーハートは、高校生になった息子エヴェレットの体験を紹介する。スタンフォード大学近くの小道を自転車で帰宅する途中、若いアジア系女性がジョギングしながら向こうからやってきた。彼女は顔を上げてエヴェレットを見ると、じゅうぶんに幅の広い小道から逸れていった。
「少しだけ悲しくも感じた」という息子に対し、「(これからエヴェレットは)彼の姿を見ただけで恐怖を感じる人がいることに慣れなければならない」とエバーハートは書く。エヴェレットにとってはもちろん、親としてもつらい体験だろうが、これを「黒人に対するバイアス(偏見)」と説明して済ませてしまっていいのだろうか。
黒人のストリートボーイズからひったくりの標的にされたアジア系女性たちは、自分の娘や近所の若い女性たちに、「黒人の若い男に気をつけなさい」と日頃から注意するようになるだろう。そのように育った女性が、自転車に乗って近づいてくるエヴェレットを見て、接触を避けたのかもしれない。
リベラルな社会では、「バイアス」は無条件に批判の対象となる。ではいったい誰が、このアジア系女性に「あなたのバイアスを正しなさい」といえるだろうか。
参考:「あなたを人種や性別ではなく、個人として評価します」はマイクロアグレッションという差別
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