ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2020年3月12日公開の「「男女差は生得的なものか、社会的ものか?」アメリカで行なわれているリベラルvs保守の政治的争点とは?」です(一部改変)。
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「男と女のちがいは生得的なものか、社会的なものか?」はアメリカでリベラルvs保守の政治的争点になっており、その論争はヨーロッパや日本など先進諸国に影響を及ぼしている。最近、関連する本を何冊か読んだので、備忘録も兼ねて、いったいなにが問題になっているのかをまとめてみたい。
社会構築主義vs本質主義
「男と女はちがう」という主張は、歴史的には「男の方が女よりも優れている」という性差別を含意していた。「女は感情的だ」「女には難しいことはわからない」などがその典型だ。だからこそ初期のフェミニストたちは、このステレオタイプを覆すために、「男と女は(生殖器官を除けば)同じだ」と主張した。
だがその後、この争いはアメリカ社会を二分する政治的対立に変わっていった。その経緯を簡略化するなら、以下のようになるだろう。
(1)生物学者、遺伝学者、脳科学者、動物行動学者らが、昆虫(ショウジョウバエ)や哺乳類(ラット)など、詳細に研究されている実験動物の性差に基づいて、ヒトの男脳と女脳を研究しはじめた。霊長類(アカゲザルなど)においてもオスとメスのホルモンや脳機能のちがいが明らかになっており、それがヒトに拡張されるのは当然だった。
(2)こうした一連の研究から、『男は火星人、女は金星人』、『話を聞かない男、地図の読めない女』など、男脳と女脳の性差を強調したベストセラー本が登場した。
(3)すると保守派(彼らの一部は進化論を「聖書の教えに反している」として否定している)が「科学」を根拠に、「男が外で働いて女が家事・育児をするのは自然の摂理だ」「男が機械やIT系の仕事、女が教育や看護の仕事を好むのは性差に基づいた個人の自由な選択だ」などと、性役割分業を正当化するようになった。同様に保守派は、「男と女は脳の仕組みからちがっているのだから、子どもは男らしく/女らしく育てるべきだ」として、ジェンダーフリーを推し進めるリベラルを攻撃した。
(4)この風潮に危機感を抱いたリベラルな科学者が、「男脳/女脳は生物学的な性差を過度に強調している」「ヒトは社会的な動物なのだから、男と女の生物学的なちがいはほとんど意味がない」として、先行する研究を批判するようになった。この立場は「社会構築主義」と呼ばれる。
(5)こうした批判を受けて、脳科学者などがより詳細な男と女の生物学的なちがいを研究するようになった。こちらは性差の「本質主義」だ。
このようにして本質主義と社会構築主義のあいだで「サイエンス・ウォーズ」の様相を呈するようになったのだが、ここで押さえておくべきは、「男脳/女脳」は第一義的には科学者同士の論争だということだ。ただし、科学者が政治的に中立というわけではなく、生物学に基礎を置く「本質主義者」は(本人の政治的立場にかかわらず)保守派に近い主張をし、性を社会的なものと見なす「社会構築主義者」は明らかにリベラルな主張をする。
女同士の対立を男は高みの見物をしている
興味深いのは、この「科学論争」が女性研究者同士で行なわれていることだ。
アメリカの神経精神医学者で「女性の気分とホルモン・クリニック」を創設したローアン・ブリゼンディーンは2006年に“The Female Brain(女脳)”を出版し、100万部を超えるベストセラーになった(世界30カ国以上で翻訳されており、日本では『女性脳の特性と行動 ──深層心理のメカニズム』小泉和子訳、パンローリング)。ブリゼンディーンは2010年に、続編である“The Male Brain: A Breakthrough Understanding of How Men and Boys Think(男脳:男や少年たちがどう考えるかの画期的理解)”を出している。
ブリゼンディーンはこの本で、女性の気分や行動にはエストロゲンなどの女性ホルモンが強く影響しており、子ども時代、思春期、母親になったとき、更年期で脳が異なるはたらきをすると論じている。思春期になって女性のうつ病が増えるのは(それ以前に性差はない)、月経によるホルモンの増減に適応するのが難しいからだともいう。
これに対して同じく女性神経科学者のリーズ・エリオットは2009年の“Pink Brain, Blue Brain: How Small Differences Grow Into Troublesome Gaps — And What We Can Do About It(ピンクの脳 ブルーの脳:わずかなちがいはどのようにしてやっかいなギャップになるのか。そして、それに対して私たちができること)”でブリゼンディーンの「女脳説」を批判した。これも『女の子脳 男の子脳 神経科学から見る子どもの育て方』(竹田円訳、NHK出版)として翻訳されている。
エリオットも脳科学者として、遺伝子やホルモンによって生物学的な性差が生じることは否定しないが、それよりも親の子育てや学校、子ども集団など社会的な影響の方がずっと強いと主張する。
女性研究者が性差をめぐって対立すると、フェミニスト活動家の批判は、当然のことながら保守派に与する(ように見える)女性研究者に向けられた。『科学の女性差別とたたかう: 脳科学から人類の進化史まで』( 東郷えりか訳、作品社)では、イギリスの女性ジャーナリスト、アンジェラ・サイニーが巷間に流布する性差の研究を再検証しているが、それと同時に、「男と女には生物学的な性差がある」とする女性脳科学者らにインタビューを試みてすべて拒否されている。欧米のフェミニズムを席捲する社会構築主義と、本質主義の科学者との対立がどれほど根深いかがよくわかる。――男の研究者は、自らに火の粉が飛んでこないように、女同士の対立を「高みの見物」しているということもできる。
“性差のサイエンス・ウォーズ”は、保守派が「男と女のちがいは生得的だ」と主張し、リベラルが「性差(ジェンダー)は社会的構築物だ」と反論する構図になっているが、これを混乱させるのが同性愛者の存在だ。奇妙なことに、保守派は同性愛を「本人の選択」と見なし、リベラルは生得的なものだと考えるのだ。
このような逆転現象が起きる理由は、きわめて明快に説明できる。保守派は同性愛を「神の摂理に反している」とするが、同性愛者を批判するためには、それが本人の自由な選択(自己責任)でなくてはらならない。同様にリベラルは、同性愛者を擁護するために、それを生得的なもの(本人の意思ではどうしようもない)として免責する必要がある。
こうして、保守派は「男女のちがいは本質的だが同性愛は社会的構築物だ」、リベラルは「男女のちがいは社会的構築物だが同性愛は本質的だ」と主張することになる。当然のことながらどちらの説も一貫性に欠け、政治イデオロギーによって科学が歪められていることは明らかだ。
「性の基本は女である」
発生学的には、男と女がどのように生まれるかはほぼ解明されている。よく知られているように、ヒトの細胞には22対の互いに同一の染色体と、一対の性染色体がある(合わせて46本の染色体)。受精の際にこの性染色体がXXの組み合わせだと女の子、XYの組み合わせだと男の子が誕生する。
受精卵を男の子にするのは、Y染色体のなかでもSRY遺伝子(Y染色体決定領域遺伝子)という微細なDNAだ。
Y染色体のSRY遺伝子は受胎後5週目ごろから活動をはじめ、性腺を精巣につくり変える。6週目ごろには精巣からテストステロンなどの男性ホルモンが分泌され、(卵管や子宮になる)ミュラー管を退化させると同時に、もう1本の生殖器官であるウォルフ管を発達させ、これが精子や精液などを輸送する管になる。
男児の精巣から分泌されるテストステロンは胎齢14週から16週でピークを迎え、女児のおよそ8倍になる。このテストステロンによって未分化の性器結節からペニスが発達し、尿道ヒダが癒着して陰嚢がつくられる。
こうした発生の仕組みからわかるのは、「性の基本は女である」ということだ。エストロゲンは代表的な女性ホルモンだが、それが胎内で女児の子宮や外性器をつくるわけではない(エストロゲンは誕生まで影響がない)。テストステロンがなければ、自然にウォルフ管が退化しミュラー間が発達して胎児は女性になるのだ。
このことは、AIS(アンドロゲン不応性症候群)という稀な(10万人におよそ3人)症状によって確認できる。AISでは正常なY染色体からテストステロンが分泌されるが、その受容体が欠落しているためXY(男性型)の胎児は女性として成長する。外性器(ヴァギナ)も正常な女性と同じなので本人も親も気づかないが、思春期になっても初潮がないため、調べると子宮も卵巣もないことが判明する。
AISは XYの性染色体をもつが、性自認は例外なく女だ。思春期には乳房がふくらみ、男性に性的魅力を感じ、多くは結婚して養子を迎え母親になる。唯一の特徴は男性並みに背が高いことで、スーパーモデルのなかにはAISを噂される者が何人もいるらしい。
X染色体上のDAX1遺伝子は、2つ(XX)でSRY遺伝子を無効にするが、まれにひとつのX染色体にDAX1遺伝子が重複していることがある。この場合も性染色体は男性だが、卵巣が分化して外見は女性のようになる。それに対して性染色体がXXなのに男性になるまれなケースがあるが、これはSRY遺伝子がX染色体の1本に転座したためだ。
XX(女性型)の男性は外見も行動も普通の男性と同じで、自分を男だと認識している。XY(男性型)の女性は、思春期まではふつうの女性と変わりないが、未熟な卵巣のため初潮が訪れず乳房も発達しない。
男脳/女脳はホルモンが決める
性の基本は女だが、XX(女性型)の性染色体をもっていても男性のように成長することがある。これは女児が胎内でテストステロンにさらされるからだ。
性別の異なる(二卵性)双生児では、女児は男児の精巣から分泌される微量のテストステロンの影響を受けることがあり、性格が男っぽく(ボーイッシュに)なるらしい。
CAH(先天性副腎皮質過形成)と呼ばれるまれな(6000人に1人)遺伝性疾患では、妊娠初期に女児の副腎からテストステロンを含む非常に高レベルの男性ホルモン(アンドロゲン)が分泌される。そのため陰核が肥大して小型のペニスのようになり、陰唇が部分的に癒着して陰嚢のような構造になるが、子宮などの内性器はそれ以前に発達を始めているため、外性器を手術で女性化すれば子どもを産むことができる。
CAHは誕生直後に発見され、それ以降は継続的なホルモン補充療法が行なわれるから、高濃度のテストステロンにさらされたのは胎児期の一部だけだが、それでも(テストステロンの影響を受けていない)実の姉妹に比べて男の子のような行動をとる。――幼児期は人形より組み立て式おもちゃに興味を示し、男の子と取っ組み合いをして遊び、思春期になると車やバスケットボースに惹かれ、エンジニアや飛行機パイロットといった職業に憧れる。
ただしほとんどのCAHでは、行動は男の子でも性自認は女で、成人後に男性に性別移行するケースは少ない。多くが異性愛者として結婚するが、一般の女性よりもレズビアンやバイセクシャルの比率が高く、男性にあまり性的魅力を感じない傾向がある。
胎児期のホルモンの顕著な影響を見れば、男と女の脳のちがいにホルモンが関係しているのではないかと考えるのは当然だ。その筆頭がイギリスの発達心理学者サイモン・バロン=コーエンで、「胎児期に高濃度のテストステロンにさらされることで男児の右脳の言語中枢が破壊され、その代わりに空間認知能力が発達して“男脳”になる」との研究を精力的に発表している(『共感する女脳、システム化する男脳』三宅真砂子訳、NHK出版)。
バロン=コーエンの「テストステロン→男脳」説は、男は左脳に脳卒中を起こすと話せなくなるが、女の言語機能はそれほど低下しないことをうまく説明する。男は言語機能が左脳に特化しているが、女は右脳と左脳の2つの言語機能を駆使しているのだ。――ここから、女の方が右脳と左脳の連結が強い(脳梁が相対的に大きい)ともされる。
バロン=コーエンの「男脳/女脳」説は脳科学者の多くに受け容れられているが、そのことによってリベラル派のはげしい攻撃にさらされている。その科学論争の詳細を説明するのは私の手に余るが、リベラル派が突き当たる壁は自閉症にきわめて明瞭な性差があることだ。
自閉症は80~90%が男児で、バロン=コーエンによれば、この性差はテストステロンが脳の言語中枢を「破壊」することで説明できる。一般に男は女より共感力に乏しく、相手の考えを読むことが苦手だが、自閉症はそれが極端に進んだものなのだ。
ただし自閉症児の多くは、「(相手の考えを読むための)こころの理論」がうまく働かないが共感力はあり、母親が悲しそうな顔をしていると対処しようとする(悲しい理由がわからない)。一方、相手の考えを理解できても共感力が欠落している(悲しい気持ちがわからない)タイプもいて、これが極端になるとサイコパスと呼ばれる。
リベラルの隘路は、「胎児期のテストステロンが男脳をつくる」というバロン=コーエンの説を否定すると、自閉症の原因が子育てになってしまうことだ。その8~9割が男児に発症するということは、親が男児にだけとてつもないストレスを与える子育てをしている(なぜか女児にはしない)ということになるが、これは馬鹿げているだけでなく、自閉症の子どもを抱えて苦労している親をさらに苦しめるだけだ。
この「差別的」な主張を回避しようとすると、「テストステロンによって男脳がつくられるわけではないが、胎児期のなんらかの作用によって生得的に男児に自閉症が偏る」ことになるが、これは科学的にはなんの説明にもなっておらず、バロン=コーエンの説得力のある主張を覆すことはできないだろう。
もうひとつ指摘しておくと、PCではない(政治的に正しくない)研究に対するリベラルの批判は、ときに揚げ足取りのようなものになる。ラットにおいては、人為的に過度のテストステロンにさらすと空間認知能力が上がる(迷路を早く抜けられる)など、ホルモンの性差への影響を示す多くの結果が出ているが、このような研究をいくら積み上げても「ラットとヒトはちがう」と一蹴されてしまう。
当然のことながら、ヒトの子どもに対して遺伝子を操作したり、ホルモンを過剰投与したランダム化比較試験などできないのだから、リベラルはどのような研究に対しても、その結果が気に入らないときに「科学的な厳密性に欠ける」と批判することができるのだ。
性的志向は本質主義で決まるが、男らしさ/女らしさは社会的構築物?
ヒトが両性生殖である以上、「男脳/女脳」のもっとも大きな性差が性的志向であることは間違いない。男脳が女に、女脳が男に性的な魅力を感じなければ子どもが生まれることもなく、人類はとうのむかしに絶滅していたはずだ。どれほど強硬な社会構築主義者でも、性的志向の性差が本質的なものであることを否定することはできないだろう。
しかしそれと同時に、どのような社会にも一定の割合(5%前後)でゲイ、レズビアン、バイセクシャルなど異性愛とは異なる性的志向をもつひとたちがいる。これはヒトのセクシャリティが生物学的に不安定なものであり、そこから性(ジェンダー)の多様性が生まれることを示している。
ジェンダーアイデンティティ(性同一性)障害のメカニズムについてはまだほとんどわかっていないが、性染色体が身体を男/女に発達させたものの、なんらかの理由で脳が逆の性をもつようになったと考えられている。「男の身体と女脳/女の身体と男脳」の組み合わせがトランスジェンダーで、性自認(脳)に合わせて自らの身体をつくり変えようとする(「自分は本来は男/女なのに、女/男の身体に閉じ込められている」と感じている)。
さらに複雑なのは、性自認と性的志向が必ずしも一致しているわけではないことだ。トランスジェンダーの男性が女性に性別移行して男に性的魅力を感じる(異性愛)こともあれば、性愛の対象は女のまま(同性愛)のこともある。それに対してトランスジェンダーの女性が男性に性別移行した場合は、性的志向は女(異性愛)になることがほとんどのようだ。
性的志向がどうであれ、トランスジェンダーは親や社会から、脳(性自認)を身体的な性に合わせるようきわめて強い圧力をかけられており、本人もそのことに苦しんでいるのだから、これが「社会的に構築された」とすることは無理がある。ヒトの性は複雑で「すべてホルモン(遺伝子)が決める」ということはできないが、性意識の基盤に生物学的な要因が強くはたらいていることは明らかなのだ。
そうなるとリベラルは、「性的志向は本質主義で決まるが、それ以外の男らしさ/女らしさは社会的構築物だ」というアクロバティックな主張をせざるを得なくなる。この矛盾を保守派から攻撃されるのだが、それでもここはリベラルにとって譲れない一線だろう。
「毒々しい男らしさ」と「毒々しい女らしさ」
自閉症などと並んで男女で顕著な性差があるのが「攻撃性」だ。世界じゅうどこでも、殺人などの凶悪犯罪は圧倒的に男によるもので、刑務所に入るのも、売春などを除けば男が多い。そしてこの攻撃性が、女性や子どもへの性暴力や虐待の温床になっている。最近ではこれは、「toxic masculinity(毒々しい男らしさ)」と呼ばれている。
性的志向が生得的なものなら、性的マイノリティ(LGBTIQ+)が異性愛者と対等の権利をもつのは当然だ。誰を愛するのか(どのようなジェンダーアイデンティティをもつか)は、自分では選択できないどうしようもないもの=運命なのだ。
ここまではいいとして、男脳/女脳が生得的なものだとすると、同じ理屈で、「男が暴力を振るうのは進化の過程でそのように設計されてきたからで、本人の意思ではどうしよもない」ことにならないだろうか。だが暴力を忌避するリベラルな社会は、この理屈をぜったいに受け容れることができない。科学がどうであれ、性的志向以外の「男らしさ/女らしさ」は社会的に「矯正」できるものでなければならないのだ。
だが、リベラルは「毒々しい男らしさ」を一方的に攻撃しているわけではない。リベラルな脳科学者であり、1人の女の子と2人の男の子の母親でもあるリーズ・エリオットの『女の子脳 男の子脳』を読むと、「toxic femininity(毒々しい女らしさ)」ともいうべき女性性も批判の対象になっていることがわかる。
エリオットはこう書いている。
多くの女性は、学校やスポーツや職場でもあからさまな競争は嫌うが、服やヘアスタイルや特定の男の子の関心を惹くことにかんしてはひどく意地悪にもなれる。こうした分野で人の上に立ちたいという気持ちが女性になければ、ミス・インターナショナルもなくなるだろうし、ファッションや美容外科に多額の費用が投じられることもなくなるだろう。
女性も競争する。ただし、それはほとんどが美と――少なくとも10代以下の女の子の場合は――友情と序列をめぐる競争だ。そして、男性の競争と大きく異なるのが、女性の競争は攻撃性と同じくほとんど表面に出ないことだ。いじめる側は隠れて匿名で中傷する。仲間外れといった作戦をとる。
アメリカをはじめとして欧米先進国では、女子の成績が上がる一方で、男子が学校からドロップアウトすることが大きな問題になっている。だがこれは、男の子が女の子との競争についていけなくなっているわけではないようだ(男の子と女の子は別の社会をつくっている)。男女共学で優秀な女の子が身近にいるほうが、男の子のドロップアウト率が低いというデータもある。
なぜ多くの男の子が競争から脱落してしまうかは諸説あるが、それがいまや大きな社会問題になりつつあることは間違いない。すくなくとも母親にとっては、男の子は「守ってあげなくてはならない」存在なのだ。
それに比べて、言語的知能も共感力も高く、学校の成績もよく、なんでも自分でできるにもかかわらず、おしゃれと恋愛にしか興味がない(ように見える)女の子へのリベラルの視線が、これからはきびしくなっていくのかもしれない。
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