ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなってしまったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
アクセス6位は2021年2月11日公開の「建国以来、アメリカ人はイルミナティなど「秘密結社の脅威」に取り憑かれてきた」です(一部改変)。
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トランプ前大統領の「選挙は盗まれた」「議事堂に行って、勇敢な議員を励まそう」との演説に扇動された熱狂的な支持者たちによるアメリカ連邦議会議事堂占拠は、今後、現代史の画期をなす出来事として繰り返し語られ分析されることになるだろう。
この事件の不可解さは、トランプ支持者がQアノンなる陰謀論を信じていることにある。この陰謀論では、「アメリカはディープステイト(闇の政府)に支配されており、トランプはそれと闘っている」とされる。彼らにいわせれば、「選挙を盗んだ」のもディープステイトの策略ということになる。
ディープステイトとはいったい何なのか? 諸説あるものの、この用語が広く知られるようになったきっかけは、NSA(国家安全保障局)、CIA(中央情報局)の元局員で、政府がアメリカ国民に対して組織的な監視活動を行なっていることを告発したエドワード・スノーデンのようだ。スノーデンは、行政権力が法や倫理を無視して歯止めなく監視・統制を強めていく実態を「ディープステイト」と呼んだ。
だがQアノンの陰謀論は、このような(真っ当な)権力システム批判ではなく、明らかに政府内に巣くう特定の陰謀集団を想定している。この発想は目新しいものではなく、建国以来、アメリカ人は「秘密結社の脅威」に取り憑かれてきた。
こうした秘密結社のなかでもっともよく登場するのがイルミナティ(Illuminati)だ。といっても、この名高い(悪名高い)結社は日本人にはほとんど馴染みがなく、私もダン・ブラウンの歴史ミステリーを原作にした映画『天使と悪魔』(ロン・ハワード監督、トム・ハンクス主演。2009年)くらいしか知らなかった。ローマ教皇が死んだばかりのバチカンで4人の枢機卿が拉致され、イルミナティから脅迫テープが届く……というのが物語の導入だ。
キリスト教圏の歴史や文化(サブカルチャー)に大きな影響を与え、いまもアメリカの「怒れるひとびと」を動員するちからをもつ秘密結社とはいったい何なのだろうか?
イルミナティの目的は教育によって理性を広めること
イルミナティは「陰謀」にまみれているので、主流派の歴史家は敬遠し扱おうとしなかった。その数少ない例外がイギリスの歴史家ニーアル・ファーガソンで、『スクエア・アンド・タワー ネットワークが創り変えた世界』( 柴田裕之訳、東洋経済新報社)の冒頭に「イルミナティの謎」の章を置いている。ファーガソンはこの本で、人類の歴史を「スクエア(広場)」と「塔(タワー)」の拮抗と交代として読み解こうとしている。これを私の用語でいうと、「バザール」と「伽藍」になる。
タワー(伽藍)が強固な階層性組織だとするならば、広場(バザール)は階層性を侵食するネットワークだ。強大な権力もいずれはネットワークに侵食されて崩壊するが、中心のない「スクエア=ネットワーク」だけでは社会を統治することができず、混沌のなかからふたたび「タワー=階層性」が現われる。――この魅力的な歴史観についてはいずれ別の機会に論じてみたい。
そのファーガソンはイルミナティを、18世紀のドイツ、バイエルン地方で誕生した秘密結社的なネットワークだとする。それが「神話化」することで、現代に至る壮大な「陰謀論のネットワーク」へと成長したのだ。
アダム・ヴァイスハウプトは1748年に南ドイツの法学教授の家に生まれ、父親が若くして死んだために、大学改革を命ぜられた男爵の後援で父親の跡を継ぎ、若干24歳でバイエルン中部にあるインゴルシュタット大学の教会法の教授に、翌年には法学部の学部長に任命された。
この若い法学者は、幼少期にイエズス会のきびしい教育を受けた反動でフランス啓蒙運動の過激な哲学者に傾倒しており、それを保守的な南ドイツ移植したいと考えていた。だが彼が奉じたのは禁忌とされた無神論だったので、仲間を集めるにしても、その目的を秘匿しなければならなかった。こうして1776年、ヴァイスハウプト28歳のときに秘密結社「イルミナーテンオルデン(イルミナティ教団)」が創設された。
この結社のある会員の回想によると、ヴァイスハウプトはイルミナティの目指すところを次のように語ったという。
この上なく巧妙かつ安全な手段を講じ、美徳と叡智をもってして愚昧と悪意に勝利せしめることを目指す団体。科学のあらゆる分野で最も重要な発見をなし、会員を教導して偉大たらしめる団体。現世において全き者となるという確実な褒賞を会員に保証する団体。迫害と弾圧から会員を守る団体。あらゆる形態の専制を封じる団体。
イルミナティは「啓明」という名のとおり、その目的は「迷信と偏見の雲を追い散らす、理性の太陽によって啓蒙し、知性を導く」ことであり、「私の目的は理性を優位に立たせることだ」とヴァイスハウプトは宣言した。そのための方法は「陰謀」ではなく「教育」で、結社の総則(1781年)には「この同盟の唯一の意図は、空虚な手段に訴えることなく、美徳を助長し、それに報いることによる教育である」と記された。
フリーメイソンに寄生したイルミナティ
イルミナティは啓蒙主義を掲げる秘密結社として創設されたが、その性格に決定的な影響を与えたのは、ヴァイスハウプトがイエズス会しか「組織」を知らなかったことだ。その結果、矛盾するようだが、「イエズス会のような階層性をもつ反イエズス会(反カトリック)の秘密結社」が生まれることになった。
イルミナティの会員は、多くが古代ギリシアや古代ローマに由来する暗号名をもち(創設者であるヴァイスハウプトの暗号名は「スパルタクス」)、会員は下から「修練者」「ミネルヴァル(ギリシア神話の知恵の神アテナに相当するローマ神話の女神ミネルヴァからとった名称)」「啓蒙されたミネルヴァル」の3階級に分けられ、低い階級の者には結社の目的や活動内容は漠然としか知らされなかった。
入会にあたっては秘密厳守の宣誓をしなければならず、この誓いを破ると「この上なく陰惨な死」をもって罰せられることになっていた。新加入者は孤立した「細胞」に組み込まれ、上位の会員の監督下に置かれるが、その人物の正体は知らされなかった。
とはいえ、創設時の会員は学生が大半で、2年経っても会員総数はわずか25人だった。1779年12月(創設3年目)でも60人にしかならなかったが、それからわずか数年のうちに会員数は1300人を超えるまでに急増し、バイエルンだけでなくドイツ各地に支部をもつようになった。
なぜこのような「躍進」が可能になったのか。それは、イルミナティがフリーメイソンに食い込んだからだ。
フリーメイソンもまた陰謀論の定番で、その神話化された来歴については諸説が入り乱れているが、中世の石工(王宮や教会などの建築家)組合を前身とし、「理性の時代」の潮流のなかで、17世紀中期にスコットランドのロッジ(地方支部)が「思索的メイソン」を受け入れ、そこからイングランド、フランス、ドイツ、北米へと広がっていったとされる。
フリーメイソン自体も啓蒙主義(理神論)の秘密結社だが、1770年代になると、ドイツでは名士の社交クラブのような存在になっていたらしい。そうなると、「テンプル騎士団を起源とする伝承がないがしろにされている」と不満をもつ会員が現われ、「厳格な典礼の遵守」を求めるようになった。
そんな「原理主義者」が新興の弱小秘密結社に目をつけ、それを利用して“堕落したメイソン”を立て直そうとした。イルミナティは「寄生植物」のように、フリーメイソンの内部に埋め込まれることで成長したのだ。
フリーメイソンの原理主義者たちは、イルミナティの組織に自分たちの儀式を次々と加えた。修練者の階級は「ミネルヴァル」と「小啓明者」に分かれ、その上に「大啓明者(スコットランド修練者)」と「教導啓明者(スコットランド騎士)」が置かれた。上位の「啓蒙されたミネルヴァル」階級も「小密儀(司祭)」「大密儀(魔術師)」「王」へと階層化された。「王」の会員のなかから国家監査官、管区長、長官、首席司祭といった結社の役員が選ばれ、多数の地方「教会」は「県」「地方」「査察」の傘下に入った。
「秘密結社のなかの秘密結社」として組織が整備されるにつれて、イルミナティはドイツの名士たちのあいだで強烈な魅力をもつようになった。それはいわば招待制のサロンのようなもので、イルミナティであることが新たなステイタスシンボルになったのだ。こうして、ドイツの錚々たる諸侯や貴族、知識人だけでなく聖職者までもが結社に加わった(モーツァルトのオペラ『魔笛』(1791年)にイルミナティの影響が見られることはよく知られている)。
だが上流階級への急速な浸透がバイエルン政府の警戒を招き、「宗教に背き、敵対する」として、創設から8年後の1784年には活動を事実上禁止する3つの布告のうちの最初のものが発せられた。調査委員会によってイルミナティの会員が大学や官界から追放され、職を失い、投獄されたり国外に追放される者が出ると、結社はあっけなく崩壊した。ファーガソンは、「イルミナティは、1787年の末までには実質的に機能しなくなっていた」と述べる。
それにもかかわらず、なぜこの秘密結社は「神話化」していったのか。それは同じ頃、ヨーロッパで大事件が起きたからだ。それが1789年のフランス革命だ。
秘密結社によって誕生し、秘密結社を恐れるアメリカ
人間にとっての根源的な恐怖は、何が起きているのかわからないことだ。このときわたしたち(脳=無意識)は、納得できる説明を必死になって探し求める。それまで世界でもっとも裕福で強大な権力をもつと信じられていたフランスの絶対王政が革命によってあっけなく倒されただけでなく、国王と王妃がギロチンにかけられて斬首されるという驚天動地の出来事は、まさに「説明」が必要とされていた。
フランス革命を牽引した活動家のなかにフリーメイソンのメンバーがいたことは周知の事実だが、革命運動が「秘密」裏に工作しなければならないことを考えれば当然の話でもあった。活動家たちは、メイソンに入会することで秘密結社のネットワークを自在に使うことができるようになった。
だが先に述べたように、18世紀末のヨーロッパではフリーメイソンは名士の社交クラブになっていたのだから、イギリスやドイツの上流階級は自身がメイソンだったり、周囲にメイソンのメンバーがいることは珍しくなかっただろう。そんな彼らにとって、フリーメイソンが革命の主体というのは容易に信じがたかった。
そこで早くも1797年、高名なスコットランドの物理学者ジョン・ロビンソンが、フリーメイソン、イルミナティ、リーディングソサエティ(啓蒙的な読書クラブ)が「ヨーロッパの既成宗教をすべて根絶し、既存の政府を1つ残さず転覆させる」という陰謀を画策しているとの著書を刊行した。
同年、フランスのイエズス会士、オーギュスタン・ドゥ・バリュエルも「フランス革命の間に見られた最も忌まわしい行為に至るまで、何もかも予知され、決められ、また、組み合わされ、あらかじめ計画されており……考え抜かれた非道の所産だった」として、ジャコバン派そのものがイルミナティの後継者だと主張した。
こうしてフランス革命直後から「イルミナティ陰謀説」がヨーロッパを席捲し、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世は「イルミナティは依然としてドイツ全土で危険なまでに破壊的な勢力だ」と警告された。
「イルミナティ神話」は、大西洋を渡って独立したばかりのアメリカにも伝わった。アメリカのひとびとも、なぜフランスで革命などという「荒唐無稽」なことが起きたのかの説明を求めていたが、それより切実なのは、独立直後の国家がまだ脆弱で、イギリスやスペインなどのヨーロッパの大国、あるいはカトリック(バチカン)が新政府を転覆させるための陰謀を画策しているのではないかという不安が広まっていたことだった。
当時のアメリカの政治や社会は混沌としており、さまざまな陰謀が現われては消えていっただろう。「何者かが自分たちに陰謀をはたらいている」との不安はたんなる妄想ではなく、根拠があった。この不安が、ヨーロッパの得体の知れない秘密結社(イルミナティ)と結びついても不思議はなかった。
だがファーガソンも指摘するように、ここには歴史の皮肉がある。アメリカの独立革命に大きな役割を果たしたのがフリーメイソンだったからだ。ボストン茶会事件のとき、主要な独立運動組織5つのうちの1つがフリーメイソンのセント・アンドルーズ・ロッジで、「反(植民地)政府的な扇動行為の温床と化していた」。
ベンジャミン・フランクリンはフィラデルフィアの所属ロッジのグランドマスターになったばかりか、『フリーメイソン憲章』のアメリカにおける最初の版の発行者でもあった。ジョージ・ワシントンも20歳のときにヴァージニアのロッジに加入し、1783年には新たに設立されたロッジのマスターになっている。
ワシントンは1789年4月30日の大統領就任式でフリーメイソンのセント・ジョンズ・ロッジ第一の聖書にかけて就任宣誓をし、1794年の連邦議会議事堂定礎式ではフリーメイソンの式服一式を身にまとって肖像画を描かせた。有名な1ドル紙幣の「(未完のピラミッドの上に載った万物を見通す)プロヴィデンスの目」も、多くの歴史家がフリーメイソンとのつながりに疑問を呈しているが、ファーガソンはその関係は明らかだとしている。
フリーメイソンが革命や独立運動で主導的な役割を果たしたのは、「秘密」の活動に向いていたからだけではない。当時はまだ貴族(上流階級)と平民(中流階級)が対等の立場で交流することはできなかったが、「身分にかかわらずすべての会員が平等」という秘密結社が地下活動の拠点となったことで、より大きなネットワークを可能にしたのだとファーガソンは指摘している。
アメリカは秘密結社(フリーメイソン)によって誕生したが、その直後から秘密結社(イルミナティ)を恐れるようになったのだ。
イルミナティと反ユダヤ主義
1730年代にアメリカのニューイングランドを中心に興った宗教復興運動が第一次大覚醒で、次いで独立後の1800年代から1830年代にかけて第二次大覚醒と呼ばれる福音主義運動が始まる。この「キリスト教原理主義」の高揚のなかで、宗教活動を軽視・否定するフリーメイソンへの反発が広がり、独立運動への貢献は歴史から消されていく。こうしてアメリカ現代史のなかで、フリーメイソンの建国の役割は無視されるようになっていった。
それを華々しく復活させたのがジョン・トッドという若者で、1970年代半ばからアメリカ各地で「イルミナティの陰謀」を説き、一時はテレビに出演するまでの注目を集めた。――以下の記述はジェシー・ウォーカー『パラノイア合衆国 陰謀論で読み解く《アメリカ史》』(鍛原多惠子訳、河出書房新社)に拠る。
トッドは自分のことを、アメリカに魔法をもたらしたコリンズ家に生まれ、13歳で魔術師の司祭職について学びはじめ、14歳でオハイオ州コロンバスの魔女団で秘伝を授けられたが、それはフリーメイソンの秘伝とまったく同じだと語った。
18歳で高位の聖職者になったトッドは徴兵されてドイツの軍事基地に駐屯しているとき、酒に酔ってドイツ人将校を射殺して刑務所に送られたが、ある日、「1人の上院議員、1人の下院議員、将官が2人」が迎えに来た。すると軍法会議の記録が抹消され、名誉除隊でアメリカへの帰国を許され、自宅に戻ると2000ドルとニューヨーク行きのファーストクラスの封筒が置かれていた。こうしてトッドは、「イルミナティと呼ばれる強力な政治組織」の存在を知ることになる。
イルミナティを組織していたのはロスチャイルド家で、その下には「十三人委員会」、ロスチャイルド家専属の聖職者、世界でもっとも強力なフリーメイソンから成る「三十三人委員会」、ロックフェラー家、ケネディ家、デュポン家など超富裕層から成る「五百人委員会」の階層があった。イルミナティはスタンダード石油、シェル石油、チェース・マンハッタン銀行、バンク・オブ・アメリカ、シアーズ、セイフウェイなどの大企業を支配し、全米キリスト教会協議会、全米大魔王同盟、連邦準備制度、アメリカ自由人権協会、アメリカ青年商工会議所、(右派の政治団体である)ジョン・バーチ協会、共産党を牛耳っているとされた。
イルミナティは、アメリカでは「外交問題評議会(国際問題を討議する場として1921年に設立され、雑誌『フォーリン・アフェアーズ』を発行。国際連合世界政府を構想したことで右派から「影の世界政府」と批判された)」を自称していたともいう。
トッドは最高位の十三人委員会に迎え入れられ、13州の管理を命じられ、世界全体を支配しようとするイルミナティの8年計画について知らされた。その計画は1980年12月に完了予定となっていた。この大陰謀を知って、トッドは1972年にイルミナティを脱会し(キリスト教福音主義と出会って回心を体験したという)、ひとびとに危険を知らせるために全米を回っている――という話をして教会の信徒から寄付を募っていた。
「イルミナティの大陰謀」はトッドが考えついたものではない。20世紀初頭のイギリス作家ネスタ・ウェブスターは、イルミナティとその関連組織がフランス革命ばかりか、その後のヨーロッパで起きたあらゆる革命の背後にあったと論じた。彼女の語るイルミナティは、「共産主義であるとともに資本主義でもあり、銀行、ボルシェビキ、フリーメイソン、神秘主義、ドイツ人、ユダヤ人すべてをひっくるめたものだった」。
ここには明らかに反ユダヤ主義の影があるが、この議論に影響を受けたのがウィンストン・チャーチルで、1920年、「ユダヤ人による運動というものは新しいものではない。スパルタクス・ヴァイスハウプト集団(イルミナティ)の時代から、カール・マルクス、そしてトロツキー(ロシア)、クン・ベーラ(ハンガリー)、ローザ・ルクセンブルク(ドイツ)、エマ・ゴールドマン(アメリカ)まで、阻害された発展、嫉妬心にもとづく悪意、不可能な平等がもたらす文明破壊と社会再構成は着々と進められてきた」と記した。
トッドの物語(あるいは妄想)は、「イルミナティとその背後にいるユダヤ人」という構図で作り出された膨大な陰謀論の沃野から生まれたのだ。
『スターウォーズ』からQアノンへ
1969年8月、映画監督ロマン・ポランスキーの妻で当時妊娠8カ月だった女優のシャロン・テートと友人ら3人が自宅で斬殺される事件が起きた。この猟奇殺人はカルト的コミューンの指導者チャールズ・マンソンに命じられたメンバーによる犯行だった。
ジョン・トッドの陰謀論で興味深いのは、自分がマンソンの「古い友人」であり、マンソンがアメリカの刑務所に「イルミナティ軍団」を形成し、1~2年後に出所することになっていると述べたことだ。トッドによれば、マンソンの軍団はイルミナティから武器の供与を約束されており、議会が銃規制を強化して一般市民の銃器を押収すると、「(マンソンらは)支持者たちと全米を掃討して何百万人という人を殺し、政府が戒厳令を敷くように仕向ける」のだという。
このように、1970年代のイルミナティ復興の背景にはアメリカ社会を大きく揺さぶったヒッピー・ムーヴメントがある。作家カート・アンダーセンはトランプ後のアメリカでベストセラーとなった『ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ500年史』( 山田美明、山田文訳、東洋経済新報社)で、60年代のアメリカを「狂気と幻想のビッグバン」と名づけた。
この時代の雰囲気を象徴するものとしてアンダーセンが挙げるのが、ゲシュタルト療法を創始したドイツ人の心理療法士フレデリック・パールズの「ゲシュタルトの祈り」だ。
私は私の好きなことを、あなたはあなたの好きなことをする。私はあなたの期待に応えるためにこの世界にいるのではなく、あなたは私の期待に応えるためにこの世界にいるのではない。あなたはあなた、私は私であり、この二人がたまたまどこかで出会うのであれば、それはすばらしいことだ。出会わないのであれば、それはそれで仕方のないことだ。
若者たちはこれを、理性や合理主義は自由を拘束する「システム」を生むだけで、自分だけの真実をつくりあげることこそがシステムへの抵抗であり、そのためには「自分らしく生きる」ことが必要だと解釈した。このようにして科学は「文化的構築物」となり、真実は相対的なもので、夢想=スピリチュアリズムに大きな価値が置かれることになった(そこには当然、ドラッグの影響もあった)。
60年代はまたハレー・クリシュナ・マントラ(クリシュナを崇めるヒンドゥーの新興宗教)などのニューエイジが広まったが、それよりも大きな影響力をもったのが急進化したキリスト教だ。
1960年代後半、カリフォルニアのヒッピーたちのなかに、福音主義的キリスト教を信奉する「ジーザス・ピープル」「キャンパス・クルセード・フォー・クライスト」「キリスト教世界解放戦線」などの組織が次々と誕生した。若者たちはLSDで恍惚とするなかで、「福音主義的できわめて熱狂的な根本主義的キリスト教」に出会った。アンダーセンは、これが南部など保守的な地方に移植され、第四次大覚醒(福音主義運動)を引き起こしたのだという。
ヒッピーとキリスト教原理主義は対極にあるように見えるが、「理性を捨て、好きなことを信じる無制限の自由」を謳歌するのは同じだ。福音主義も「ポスト理性のアメリカという荒海から生まれた一つの反体制文化だった」のだ。
1970年に福音主義者ハル・リンゼイの『今は亡き大いなる地球(The Late Great Planet Earth)』がベストセラーになったが、この本では「サタンや反キリストや偽預言者、あるいはその手下が地位も名声もある人々を装い、この世を支配しているという陰謀」が詳細に語られた。福音主義者は1948年のイスラエル建国を「聖書の預言が成就する紛れもない証拠」とし、核戦争によるハルマゲドンとともにキリストが降臨し「千年王国」が始まるとの終末論を夢想した。
1991年には福音主義者パット・ロバートソンによる『新世界秩序(The New World Order)』 がベストセラーになった。この本では、秘密結社が世界政府を創設すると同時に、「キリスト教とアメリカの自由を攻撃し、歴史の終焉をもたらす善と悪の権力間の最終闘争を加速する」とされた(マイケル・バーカン『現代アメリカの陰謀論 黙示録・秘密結社・ユダヤ人・異星人』林和彦訳、三交社)。
この秘密結社はイルミナティのことで、「フランス革命への道筋を準備し、そのあと世界共産主義の源となり、やがてロシア革命を生み出した(イルミナティ創設者の)ヴァイスハウプトの指令」に従っているとされ、その背後にはロスチャイルド家、クーン=ロブエ家、ジェイコブ・シッフ社、ヴァールブルク家などの国際ユダヤ資本があるとする。――この記述が反ユダヤ主義だと批判され、著者たちはユダヤ人社会に謝罪することになった。
「新世界秩序(ニュー・ワールド・オーダー)」というのは、もともとは独立直後のアメリカで、国際的な秘密結社(影の政府)が自分たちの自由と主権を奪うために企んでいる陰謀の総称として使われたようだ。その伝統を60年代のヒッピーカルチャーと福音主義が蘇らせ、映画『スターウォーズ』でも、第1銀河帝国による支配が「ニュー・オーダー(New Order)」と呼ばれている。それをさらにSNSの陰謀論者たちが利用して、「トランプがディープステイト(闇の政府)という秘密結社と闘っている」という物語に仕立て直した。
Qアノンの「秘密結社」はアメリカの歴史に根づいた「神話」を巧妙に利用しており、だからこそ「陰謀」の被害者にされていると疑心暗鬼になったひとびとのこころを強烈にとらえ、燎原の火のように広がることになったのだろう。
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