インフルエンサーがわたしたちを「集団の狂気」に導く 週刊プレイボーイ連載(534) 

ダーウィンのいとこで、啓蒙主義時代のスーパー知識人だった(優生学を唱えたことで悪名も高い)フランシス・ゴルトンは、個人と集団のどちらの意思決定が優れているかを知るために、家畜の品評会で行なわれた牛の体重当てコンテストの投票用紙約800枚を集めました。すると驚いたことに、素人を含む参加者全員の投票の平均は、優勝者(専門家)より正確だったのです。

素人判断は極端に重かったり軽かったりするものの、多数の投票では間違いが相殺されて、平均が正解に近似していきます。ゴルトンのこの発見はその後、独裁政や貴族政より民主政(デモクラシー)の方が優れている根拠として広く知られることになりました。

しかしこの「集合知」には、ひとつ条件があります。コンテストの参加者は、お互いに相談したりせず、牛の体重の予想をただ紙に書いただけでした。この独立性が、「みんなの意見」を正しいものにしているのです。

だったら、みんなが話し合った(独立性の条件が満たされない)場合はどうなるのでしょうか。多くの研究者がこの疑問を検討していますが、その結果はよい話と悪い話に分かれます。

よい話は、参加者が対等な立場であれば、それぞれの意見を個別に投票して集計するよりも、話し合った方がよい結果になることです。それに加えて、参加者が一定以上の知識や能力をもち、なおかつ多様性がある(人種、国籍、宗教、性別、性的指向などが異なる)ほど大きな効果を発揮することもわかりました。社会的・文化的な背景がちがうと思わぬ発想をすることがあり、それがイノベーションにつながるのです。

しかし、全員が対等の立場で議論するという条件はつねに満たされるわけではありません。とりわけSNSでは、際立って大きな影響力をもつインフルエンサーが議論を主導していますが、こうした条件でも集合知は実現するのでしょうか。

ここでもよい話があって、たとえインフルエンサーがいても、集団とは逆の方向に間違っている場合は、正しい答えを得ることができます。牛の体重が500キロで、集団が600キロだと過大評価していた場合、インフルエンサーが400キロに過少評価していると、それに引きずられて集団の意思決定は正解に近づいていくのです。

とはいえ、この設定は現実的とはいえません。陰謀論者たちのインフルエンサーが、陰謀論を否定しているというのは、あまり考えられないからです。実際には、集団が牛の体重を600キロに過大評価していたら、インフルエンサーは700キロや800キロにさらに過大評価していることの方が多いでしょう。ひとびとがなんとなく思っていることを誇張して言語化するからこそ、強い影響力をもてるのです。

このようにインフルエンサーと集団の認知が同じ方向に歪んでいると、話し合いは破滅的な状況を招きます。SNSの時代では、インフルエンサーはますます大きな影響力をもつようになっています。その先にあるのは集合知ではなく、残念なことに、わたしたちは「集団の狂気」へと向かっているようです。

参考:シナン・アラル『デマの影響力 なぜデマは真実よりも速く、広く、力強く伝わるのか?』夏目大訳、ダイヤモンド社

『週刊プレイボーイ』2022年8月29日発売号 禁・無断転載