社会保険の適用拡大で、今年10月から従業員数101人以上の事業者に対し、雇用期間2カ月超で週20時間以上勤務のパートも含む従業員への厚生年金・健康保険への加入が義務化される。
「将来の年金受給額が増える」「傷病手当金や出産手当金が受給できる」などよいことばかりが報じられるが、この話はものすごく胡散臭い。
パートの従業員からすると、これまで年収130万円未満なら配偶者の社会保険の被扶養者になっていたのが、10月以降は年収106万円(月額8.8万円)を超えると扶養の範囲から外れ、手取り収入が減額されてしまう。
企業の側からすれば、パート従業員が保険料の天引きを避けるために労働時間を減らすと、人手不足がさらに悪化してしまう。どちらにとっても、まったくいいことはないだろう。
だが、ほんとうの問題は別のところにある。そもそも厚生年金は加入者にとって大幅な損失になっているのだ。
平均的な大卒男性の生涯賃金(退職金を除く)を2億7000万円とし、厚生年金の保険料率18.3%を掛ければ、就職から定年までに収める保険料の総額は約4900万円になる。
それに対して厚生年金の平均受給額は男性で月額約16万5000円、65歳時の平均余命を20年とすると、受給総額は3900万円にしかならない。あくまでも概算だが、それでも1000万円も損しているというのは衝撃的だ。
厚生年金が大損というのはとんでもないスキャンダルだと思うのだが、なぜみんな大騒ぎしないかというと、「ねんきん特別便」の加入記録では、厚生年金の保険料は(会社負担分を含む)総額ではなく、半額の自己負担分しか記載されていないからだ。これだと支払った保険料の総額は2500万円ほどで、4000万円ちかく戻ってくるのだから、なんとなく得に思える。
だがこれは、とんでもない詐術だ。社会保険の保険料は労使折半で、会社負担分も、本来は労働者が支払ったはずのものだからだ。
これをわかりやすくいうと、サラリーマンが収めた年金保険料の半分は国家によって詐取されている。それがどこに行くかというと、いうまでもなく、年金財政の赤字の補填だ。
このカラクリがわかると、なぜ国が社会保険の適用拡大を強引に推し進めるのか理解できる。
年金を破綻させずになんとか維持しようとすれば、現役世代からの保険料収入を増やす以外にない。中小企業のパートにまで社会保険に加入を強制すれば、会社負担分の保険料をさらにぼったくることができる。こんなウマい話があるだろうか。
だが、無から有を生む錬金術がない以上、会社は社会保険料の負担増をどこかで埋め合わせなければならない。そのもっともシンプルな解決法は、人件費を削って帳尻を合わせることだろう。
このようにして、高齢者の年金を守るために現役世代がどんどん貧しくなる。日本の人口構成を考えれば、恐ろしいことに、この負の循環はすくなくともあと20年は続くのだ。
橘玲の世界は損得勘定 Vol.104『日経ヴェリタス』2022年8月6日号掲載
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