明日(3月19日)発売の文庫『不条理な会社人生から自由になる方法 働き方2.0vs4.0』(親本は『働き方2.0vs4.0 不条理な会社人生から自由になれる』)の文庫版まえがきを、出版社の許可を得てアップします。電子版は23~25日の配信開始です。
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この3年のあいだに、日本人の働き方に大きな変化が起きました。
ひとつはいうまでもなく新型コロナウイルス感染症の拡大で、これまでたんなる掛け声だと思われていたリモートワークがまたたく間に普及し、街のあちこちにシェアオフィスがつくられました。仕事というのは定時に出社して、頻繁な会議や打ち合わせで全員の意志を確認しながら進めていくものだという常識は、いまや過去のものになりつつあります。
それと同時に、パワハラ、セクハラ、マタハラなどのハラスメントが大きな社会問題になり、女性はもちろん、外国人や性的少数者など会社内のマイノリティに対する差別が許されなくなりました。私はリベラリズムの価値観を「自分らしく生きること」と定義していますが、日本も世界も「リベラル化」の大きな潮流のなかにあることがますます明らかになりつつあります(「保守化」といわれる現象は、「リベラル化」へのバックラッシュです)。
リベラリズムの根底にあるのは、「わたしが自由に生きるのなら、あなたにも自由に生きる権利がある」という自由の相互性・普遍性です。現代社会では、この原理を否定する者は「差別主義者」のレッテルを貼られて社会的な地位を抹消(キャンセル)されますが、奇妙なことに、日本の労働市場ではいまだに堂々と「差別」が行なわれています。
「正規/非正規」はグローバルスタンダードでは明らかな身分差別ですが、それ以外にも「親会社/子会社」という所属による差別、海外の日本企業で行なわれている「現地採用/本社採用」の国籍差別、さらには子どものいる女性をマミートラックという「二級正社員」にするジェンダー差別など、「日本的雇用」は重層的な差別によってつくられています。――近年では、定年後再雇用によって収入を大きく減らされることが「年齢差別」として裁判で争われています。
日本では右も左も「グローバリズムの雇用破壊を許すな」と大騒ぎしてきましたが、メディアや知識人が口をぬぐっているのは、このような「差別問題」が彼らの大好きな「日本的雇用」から必然的に生じるという事実(ファクト)です。
海外で一般的な「ジョブ型」の働き方では、ジョブ(職務記述書:ジヨブ・デイスクリプシヨンに記載された仕事内容)によって報酬などが一律に決められており、同じ仕事を20歳の若者と60歳のシニアが行なっても給与・待遇は同じで、自然に「同一労働同一賃金」になります。それに対して日本では、正規/非正規や親会社/子会社などの「身分」が異なる労働者が同じような仕事を行なっているので、「不公平だ」との紛争があちこちで勃発することになるのです。
当然のことながら、ジョブ型では「正社員」などという身分はなく、同じ仕事をしていても、親会社から出向してきた社員の方が給与が高いなどという慣習が許されるはずもありません。ここからわかるように、本気で「差別のない働き方」を目指すなら、日本的雇用を徹底的に「破壊」してジョブ型につくり変えなくてはならないのです。
ジョブ型雇用とは、1960年代の公民権運動以降、アメリカ社会が「従業員から差別だと訴えられないためにはどうすればいいか」を試行錯誤しながらつくり上げてきた制度です。それが(日本を除く)世界中に拡がったのは、「リベラル」を自称するひとたちが誤解しているように「ネオリベ(新自由主義者)の陰謀」などではなく、すべての労働者を平等に扱う「リベラル」な雇用制度がこれしかなかったからです。
労働組合の目的は労働者の給与(労働条件)を引き上げることですが、日本では「新しい資本主義」を掲げる岸田政権が企業に対して賃上げ要請をするという奇妙奇天烈なことになっています。政府・自民党が労働組合の役割を担っているとしたら、日本の労働組合はいったい何をやっているのか。それはもちろん、「正社員という身分(メンバーシップ)の既得権」を守ることです。
日本にジョブ型雇用を本格的に導入すれば、バックオフィスの仕事をしている正社員は、契約や派遣のスタッフと同じ条件で働くことになります。これまで正社員の身分に安住し、「非正規」を蔑(さげす)んできたのだから、こんな屈辱にはとうてい耐えられないでしょう。こうして、「正社員の利益団体」である労働組合は、すべての改革に頑強に反対することになるのです。
ひとは誰でも、自分の利益を守ろうとします。その意味で労働組合を一方的に批判はできませんが、私が納得できないのは、彼ら/彼女たちが一貫して「リベラル」を詐称していることです。
差別を容認する者は、定義上「差別主義者」です。だとすれば、正規/非正規の身分差別を守ろうとする労働組合は「差別主義団体」でしょう。「あらゆる差別に反対する」と唱えている者が差別的な慣行にしがみついているのが、日本社会の皮肉な(あるいはグロテスクな)現実なのです。─―詳しくは、本書の「【文庫版特別寄稿】誰もが知っていながら報じられない「労働者」以前に「人間」としてなんの権利も認められない非正規公務員の現実」をお読みください。
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2021年9月、サントリーの新浪剛史社長が「45歳定年制」を提案し、「強制解雇の合法化ではないのか」とSNSで炎上しました。この批判があながちまちがっていないのは、定年制というのは「超長期雇用の強制解雇」だからです。そのためアメリカでは定年は「年齢差別」として違法で、その後、イギリスやスペインなどヨーロッパの国々が追随しています。
だとしたら、真のリベラルが主張すべきは、「45歳定年制」に罵詈雑言を浴びせて60歳定年制(という強制解雇)を守ることではなく、定年制そのものを廃止して、気力や体力が続くかぎりいつまででも働ける社会をつくることでしょう。
人生100年時代では、60歳で定年すると「無職」の期間が40年もあります。20歳で就職し、60歳まで40年間働きながら少しずつ積み立てたお金で、40年の余生を安心して暮らせるなどというウマい話があるかどうかは、ちょっと考えれば小学生だってわかるでしょう。
だったらなぜ、定年制を廃止して「生涯現役」社会を目指さないのか。それは、定年制のない「終身雇用」だと、企業はたまたま雇った社員の生活の面倒を死ぬまで見なくてはならなくなるからです。こんなことはとうてい不可能なので、不要な人材を整理する大きな権限を企業に与えなくてはなりません。
ジョブ型では、この問題を「ジョブがなくなったら整理解雇し、労働市場に戻す」という方法で処理しています。北欧諸国では、この「待機期間中」に職業訓練を受けたり、大学や大学院で(MBAのような)資格を取得することを政府が支援しています。─―「日本も北欧のように大学を無償化しろ」と主張するひとがいますが、北欧の大学で行なわれているのは実学(職業教育)で、人文系の学問は「趣味」として自費で勉強すればいいとされていることにはぜったいに触れません。
それに対してメンバーシップ型の日本企業は、ジョブがなくなった正社員を異動させ、他のジョブをあてがっています。こうして、「営業から総務部へ」という異動が当たり前のように行なわれるのですが、これを聞くと欧米のビジネスパーソンは腰を抜かすほどびっくりします。ジョブとは「専門とする仕事」のことで、異動で別の仕事をさせられたらキャリアが途切れてしまうからです。その結果、日本のサラリーマンはみな「我が社」の専門家で、自分の専門分野については素人になってしまいました。
新浪社長が「45歳定年制」でいいたかったのは、会社に滅私奉公しているだけではこれからの時代を生き延びていけないから、45歳までにどの会社でも通用する専門性を身につけるべきだということでしょう。かつては「世界に冠たる」といわれた大企業が破綻したり、経営が迷走して分割・買収される姿を見れば、誰もが(うすうす)この主張の正しさに気づいているはずです。「45歳定年制」がひとびとの逆鱗に触れたのは、暴論だからではなく、正しいことをいわれたからでしょう。
しかし、60歳であれ45歳であれ、定年が「年齢差別」であることに変わりはありません。そこでここでは、よりリベラルな働き方として、「25歳「自主」定年制」を提案したいと思います。
ここまで日本的雇用の「重層的な差別」を批判してきましたが、すべての制度にはトレードオフ(利点と欠点)があり、ジョブ型がなにもかも素晴らしく、メンバーシップ型がすべて劣っているとはいえません。
欧米の状況に比べて日本的雇用にアドバンテージがあるとすれば、若年層の失業率が低いことでしょう。新卒一括採用(これは現行法でも年齢差別として違法ですが、厚労省が適用除外しています)でどこかの会社に入れば、仕事についてなにひとつ知らなくても、とりあえず働きはじめることができます。
それに対してジョブ型では、応募のときに、その仕事をこなす十分な「学歴・資格・経験」があることを証明しなくてはなりません。これでは、就労経験のない若者は経験者との競争に敗れ、いつまでたっても働きはじめることができず、若年失業率が上がってしまいます。─―もちろん新卒一括採用には、ひとたび景気が悪化して企業が採用を絞ると、正社員への道が閉ざされた「被差別労働者(氷河期世代)」を大量に生み出してしまう負の側面があります。
働きながら仕事を学ぶOJT(On the Job Training)は、要は「お金をもらって勉強する」制度です。それに対して欧米の若者は、多額の教育ローンを背負いながら、大学や大学院で就職に必要な資格を自力で取得しなければなりません。
じつは、日本企業のOJTが法外に有利な仕組みだということは、海外の若者たちにはずいぶん前から知られていました。海外で採用を担当している日本人が口をそろえていうのは、「日系企業は最初は評判がいいけど、2~3年したら優秀な人材はみんな外資系に転職していってしまう」ということです。
でも、これは考えてみれば当たり前の話です。日系企業の海外部門で働く外国人は「現地採用」で、日本からやってくる「本社採用」の社員とのあいだに歴然とした身分のちがいがあります。お金をもらいながら仕事を覚えられるのならべつに構わないかもしれませんが、転職に必要な経験をいったん手に入れたなら、このような「差別」に耐える理由はありません。こうして、3年程度の「経験」を積んだらさっさと辞めていくのです。
「25歳「自主」定年制」では、これと同じことが日本国内でも起きる(あるいは、現に起きている)と予想します。なぜなら、賢い若者が同じ環境に置かれれば、国がちがっていても考えることは同じはずだから。
日本的雇用がいつまで持続できるかはわかりませんが、とりあえずいまのうちは、新卒一括採用(就活)でどこかの会社に入り、仕事を覚えることには大きなメリットがあります。とはいえ、なにも知らないうちにたまたま決めた会社が自分にとってベストだという幸運は、宝くじに当たるのと同じくらいの確率でしょう。
年功序列や終身雇用が崩れはじめたことで、外資系だけでなくIT企業などを中心に、ジョブ型の中途採用を行なう会社も増えてきました。だとしたら、海外の賢い若者たちと同様に、3年程度働いて「自分の専門/キャリア」といえるものができたところで、やりがいや生きがいを求めて転職するのはきわめて合理的です。このようにして日本でも、新卒で入った会社を3年で辞め、40歳までに2~3回転職してキャリアを積み上げていくジョブ型の働き方へと移行していくのではないでしょうか。
コロナ禍で、欧米の働き方も大きな転機を迎えました。コンサルタントやプログラマー(エンジニア)など高い専門性をもつひとたちが、リモートワークによって、組織(会社)に所属していなくても働けることを実感したのです。
この体験が大きな影響力をもつのは、現代社会において、ほとんどのストレスが人間関係から生じるからです。好きなひととしか仕事をしないというぜいたくはできないとしても、「イヤな奴」との仕事を断れるだけで人生の幸福度は劇的に上がります。アメリカではこのことに気づいたクリエイティブクラスが、いまや続々とフリーエージェントになっています。この潮流はいずれ日本にも押し寄せ、30代や40代でじゅうぶんなキャリアを積んだ専門職(スペシャリスト)が、SNSでの評判を使って独立するようになるでしょう。
さまざまな調査で、自営業者の幸福度はサラリーマンより一貫して高いことがわかっています。収入が不安定でも、「人間関係を自分で選べる」ことは、それを補って余りある魅力があるようです。
テクノロジーの進歩で個人の評判が可視化されれば、もはや会社の信用で仕事を受注する必要はなくなります。この流れがさらに進めば、いずれはGAFAのようないくつかのプラットフォーマーと、それを利用してビジネスする個人や小企業(マイクロ法人)だけになっていくのではないでしょうか。
世界で唯一、メンバーシップ型という「差別的」な雇用制度に固執する日本は、これから強い逆風にさらされるでしょうが、ジョブ型の働き方も解体し、やがて両者は「働き方4.0」のフリーエージェント社会へと収斂していくのでしょう。