SNSに自撮りがあふれる現代社会では、外見で幸不幸が決まるのは当然とされています。では、美男/美女はほんとうに幸福なのでしょうか。これを調べたアメリカの興味深い研究があります。
実験では、イリノイ大学の白人学生200人(男女ほぼ同数)に「全体的な幸福感」「生活満足度」「ポジティブ感情」を測るテストを受けたもらったあと、顔写真と動画を撮影し、それを第三者が10段階で評価しました。客観的な評価は2.33から7.05の範囲でばらつき、(常識どおり)外見の魅力にはかなりの「格差」があることが確認されました。
ところが奇妙なことに、女子学生では外見の魅力と幸福度になんの関係も見られませんでした。そればかりか、統計的に有意ではないものの、「全体的な幸福感」は「魅力的なほど低くなる」という逆の結果になったのです。「美人は不幸」とまではいえませんが、けっして「幸福」ではないのです。
男子学生も、「生活満足度」のみ、外見が魅力的なほど高くなりましたが、あとの指標はほとんど影響がありませんでした。美男子だからといって、「全体的な幸福感」や「ポジティブ感情」が高くなるわけではないのです。――ただし例外が一つあって、男でも女でも、「魅力的であることが重要だ」と思っている学生は、外見が幸福度に影響していていました。
次に研究者は、外見の魅力度を上位4分の1(美男美女)と下位4分の1に分けて、幸福度とデートの回数を調べてみました。
幸福度については、外見にかなりの差があっても、やはり同じ結果になりました(統計的に有意ではないものの、女子学生では、外見の魅力がない方が幸福度が高くなりました)。一方、デートの回数には男女差があって、女性ではたしかに魅力的な方がデートしていましたが、男性ではほとんどちがいがありませんでした。
なぜこんなことになるのでしょうか。ひとつは、同じ顔写真を見ても、あるひとは「魅力的」と思い、別のひとは「そうでもない」と思うこと。外見の評価にはかなりの多様性があって、これによって、平均的には魅力度の低い学生も、「美男/美女」とさほど変わらない頻度でデートできるようです。――男子学生の場合、外見よりコミュ力のような別の指標で評価されているのかもしれません。
もうひとつは、「幸福なひとほど魅力的で恋愛にも積極的」という逆の因果関係があること。「美人だから幸福度が高い」のではなく、「主観的な幸福度が高いと、自分を魅力的に見せようとして、結果として恋愛もうまくいく」のです。
ビールは最初の一杯が美味しくても、あとは惰性になってしまうように、ヒトの脳はあらゆることにすぐに慣れてしまいます。研究者は、「美男/美女は幼い頃から自分の容姿に慣れているので、それが幸福感と結びつかないのだ」と説明しています。
とはいえこれは、「魅力があってもなにもいいことはない」という話ではありません。一般に思われているように、外見が魅力的だとさまざまな場面で得をしますが、本人たちはそれが当たり前なので、いちいち自分が恵まれているとか、幸福だとか思わないようなのです。
参考:Ed Diener, Brian Wolsic and Frank Fujita(1995)Physical Attractiveness and Subjective Well-Being, Journal of Personality and Social Psychology
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