出版社の許可を得て、新刊『裏道を行け ディストピア世界をHACKする』の「あとがき」を掲載します。昨日発売で、すでに書店さんには並んでいると思います(電子書籍も同日発売です)。
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20年前に書いた本が、なぜか一昨年くらいから版を重ねている。2002年に出版された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』で、14年に改訂、17年に文庫化された(現在は幻冬舎文庫)。読者の多くは若い世代で、SNSでの情報交換によってこの作品を知るようになったらしい。
ネットのレビューを見ていて興味深かったのは、新しい読者はこれを「ハック本」だと思っていることだ。そしてこれは、まったく間違ってはいない。
どのようなシステムも完璧なものではない以上、そこには必ず“バグ”がある。それを上手に利用することで、労せずして超過利潤を得ることができる。このような無リスクの収益機会が「黄金の羽根」だ。
グローバルな金融市場では、同じ株式や通貨が、別の市場で異なる価格で取引されていることがある。このとき、割高なものを売り、割安なものを買えば、いずれ価格差はなくなって確実に利益が実現する。この投資手法をアービトラージ(さや取り)という。
これは経済学的にはあり得ないフリーランチなので、鵜の目鷹の目で儲けようとしているヘッジファンドなど機関投資家によって、その収益機会(黄金の羽根)はたちまち失われてしまうはずだ。ファイナンス理論では、これが「効率的市場仮説」が成立する根拠とされる。
だが現実社会は金融市場ほど効率的ではなく、さまざまな政治的思惑がからんで、制度のバグがいつまでも温存されることがある。税制はその典型で、自民党から共産党にいたるまで、すべての政党の選挙基盤が地域の商店主や自営業者、中小企業経営者であることで、サラリーマンに比べてこうした「弱者」は圧倒的に有利な扱いを受けている。日本は「サラリーマン社会」なので、そこからこぼれ落ちるひとたちに便宜をはかったとしても、さほど大きな問題にはならないのだ。
行政にとっても、源泉徴収と年末調整でサラリーマンから確実に税・社会保障費を徴収できるのだから、わざわざ政治家の票田に手を突っ込んでトラブルを引き起こす理由はない。このようにして、20年前に紹介したハックの手法(マイクロ法人)をいまでもほぼそのまま使うことができるのだ(1)。
私は当初から、これを「日本というシステム」のハッキングだと考えていたが、世間一般の評価は「巧妙な節税法」で、すべて合法であるにもかかわらず「脱税指南」とのいわれなき批判を受けたこともある。それがこの数年で、「ハック本」として(正しく)再評価されるようになった。
この個人的な体験から、「ハックの大衆化」とでもいうべき大きなトレンドが起きていることに気づいた。いまやコンピュータ・ネットワークだけでなく、あらゆるものがハッキングの対象になった。なぜなら知識社会が高度化し、正攻法の人生設計が通用しなくなって、「別の道」を探すしかなくなったから。
これが日本だけの現象ではないことは、アメリカにおいて、恋愛の難易度が上がったことでPUA(ピックアップ・アーティスト)が登場し、経済格差が広がったことで、ビットコインなど仮想通貨を売買したり、「ミーム株」と呼ばれるネット仕手株の投機に参加して、短期間で大きな富を手にしようとする流行が起きたことからもわかる。そしていまでは、自分自身をハッキングして〝拡張〟するトランスヒューマニズム(超人主義)が現実のものになろうとしている。こうした傾向を、AI(人工知能)をはじめとするテクノロジーの急速な進歩が後押ししていることも間違いない。
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コロナ禍の緊急事態宣言で、東京など多くの地域で飲食店の営業時間が短縮され、酒類の提供が禁止されたが、それにもかかわらず繁華街では深夜までお酒を提供する店が繁盛し、メディアでもその様子が繰り返し報じられた。
飲食店が感染拡大の原因なのかについては専門家のあいだでも意見が分かれ、「1日6万円(東京都)の協力金では家賃分にもならない」という飲食店もある。「ルールを破っている」と一方的に責めるわけにはいかないものの、それでも酒類を提供せずに営業を続けている店があるのだから不公平感は否めない。──その一方で、個人営業の飲食店などは売上を超える収入を得て、「協力金バブル」「協力金長者」と呼ばれた。
この状況を目の当たりにした(日本の未来を担う)子どもや若者たちは、「正直者が馬鹿を見る」という現実を思い知らされたはずだ。そんな社会で生き延びていくには、唯々諾々と常識(お上の要請)に従うのではなく、自分に有利なルールでゲームをプレイしなければならないし、そうでなければあっという間に「下級国民」に落ちてしまう。このようにして、「ハック」はさらに広まっていくだろう。
本書を読んでいただければわかるように、ハッキングには一定の(あるいはとてつもない)効果があるものの、すべてのひとにその利益が公平に分配されるわけではない。というよりも、そこは一部の者が成功し、大多数は失敗するロングテールの世界だ。身も蓋もないいいかたをするなら、大半の果実は「とてつもなく賢い者」が独占していく。
わざわざ断る必要もないと思うが、本書はハックを勧めているわけではない。もちろん、自信があるのなら挑戦するのは自由だが。
私は2019年に、若い世代に向けて『人生は攻略できる』(ポプラ社)という本を書き、21年の『無理ゲー社会』(小学館新書)では、「攻略不可能なゲーム」に放り込まれてしまったと感じる若者たちが増えている背景を考察した。だがこれは、かつては可能だったものが不可能になったということではない。
「進化論的制約」から、人間はしばしば不合理な選択や行動をし、社会・制度のバグは簡単にはなくならない。それを考えれば、むやみに大きなリスクをとることなく、経済合理的に考え行動することで「人生を攻略する(ハックする)」ことは、(一部のひとにとっては)まだじゅうぶんに可能だろうと思っている。
2021年11月 橘 玲
*1 より詳しくは拙著『貧乏はお金持ち 「雇われない生き方」で格差社会を逆転する』(講談社+α文庫)を参照されたい