「自分らしく自由に生きたい」という価値観は、1960年代のアメリカ西海岸で「ヒッピー・ムーブメント」「カウンターカルチャー」として始まり、たちまち世界じゅうの若者たちを虜にしてパンデミックのように広まりました。これはキリスト教やイスラームの成立に匹敵する人類史的事件で、いまや誰も(「右翼」「保守派」を自認するひとですら)このリベラルな価値観を否定することはできません。
リベラル化する社会では、「自分らしく生きる」ことを阻むものはすべて否定されます。「黒人だから」「女だから」という理由で進学や就職の機会を奪われるとしたら、そのような理不尽な差別をなくしていくのは当然のことです。
日本でも、「リベラル」を自称するひとたちが、自由や人権を抑圧する「権力」と闘ってきました。新型コロナの感染抑制対策でも、「人権派」の弁護士などが「ワクチン接種の強制は許されない」「ワクチンパスポートで接種者を優遇するのは打たないひとへの差別だ」などと主張し、それを「リベラル」な新聞・テレビが大きく取り上げました。
ところがいまや、日本よりずっとリベラルな欧米諸国で困惑するような事態が起きています。
フランスは「自由と人権の祖国」ですが、ワクチン接種証明(および6カ月以内の感染証明、72時間以内の陰性証明)の提示義務を、当初の大規模集会だけでなく、国内の長距離移動やレストラン、百貨店の入店にまで「全面導入」しました。イタリアもほぼ同様の規制を行なっており、ワクチン接種をしていないと通常の日常生活にも支障を来します(大規模な反対デモが起きていますが、感染者数が減少したこともあり世論は好意的です)。
アメリカではバイデン政権が、ワクチン接種率が頭打ちになったことへの対策として、100人以上の従業員を抱える企業に、従業員にワクチンを接種させるか、未接種なら少なくとも週1回の陰性証明の提出を求めるよう義務付けると発表しました。また400万人を超える連邦職員は、正当な理由なくワクチンを打たない場合は懲戒処分となります。
これに対して、いまだトランプ氏の影響力が大きい共和党は、「ワクチンを受けるかどうかは本人の自由」と主張し、「憲法違反」として政府を提訴する構えです。
こうした事態が興味深いのは、権力から「自由と人権」を守ろうとするのが右翼や保守派(あるいは「反ワクチン」の陰謀論者)で、人権を抑圧してでも接種率を上げて感染抑制しようとするのがリベラル派になっていることです。従来の「保守vsリベラル」の関係はかんぜんに逆転してしまいました。
この現象についてはさまざまな意見あるでしょうが、ひとつだけたしかなのは、日本でも、馬鹿のひとつ覚えのようなきれいごと(権力はけしからん)を唱えているだけでは、まともなひとから相手にされなくなったことです。コロナ禍は社会に甚大な損害をもたらしましたが、これはそのなかで数少ない「よいこと」のひとつでしょう。
『週刊プレイボーイ』2021年10月4日発売号 禁・無断転載