今年1年を振り返れば、世界は未知の感染症によって大きく動揺し、それぞれの国や社会の深層に隠されていた構造があぶりだされたことに気づきます。
数千年ものあいだ皇帝による独裁統治(人治)をしてきた中国は、ひと足早く超監視社会に移行したことで、人権を制約すれば感染症を抑制し、経済成長と両立できることを示しました。それに対して「リベラルデモクラシーの守護者」たる欧米は、過度な社会統制を避けたことで膨大な感染者・死者を出しましたが、その一方で、病院へのアクセスを制限し、治療に優先順位をつける“社会的トリアージ”によって、感染拡大でも医療崩壊を防げることを示しました。
ひるがえって日本はどうでしょう? 中国のような統制もせず、かといって欧米のようなロックダウンにも至らず、すべての患者を受け入れながら、国民の同調圧力と「自粛警察」だけで一定程度感染を抑制したことで、国際社会からも「謎の成功」と奇妙な称賛さえされることになりました。
それにもかかわらず、Go Toをめぐる混乱もあって、菅新政権の支持率は大きく下がっています。もちろんこれにはさまざまな要因があるのでしょうが、感染症対策にせよ、経済支援にせよ、国民の気持ちをひと言で表わすなら「がっかり」でしょう。政治家にはリーダーシップが欠如し、政府は「ぜんぜん役に立たない」と思われているのです。
なぜこんなことになるのか。日本は「民主国家」なのですから、この疑問への答えはひとつしかありません。「日本人が役に立たない政府を望んできた」です。
1945年に悲惨な敗戦を迎えたときの国民の共通の思いは、「だまされた」でした。「日本は神の国で鬼畜米英をせん滅する」というデタラメを振りまき、300万人もの兵士・国民を無駄死にさせた政治家や軍人たちは、8月15日を境に、てのひらを返したように「民主主義」とか「自由と平和」とかいいだしたのですから。
すべての価値観が崩壊する衝撃を体験したのは、いまでは80代以上の高齢者になりましたが、この底なしの「がっかり」感が戦後日本社会に及ぼした影響は決定的でした。
敗戦によって日本人が思い知らされたのは、「権力者はすべてウソつき」「政治家を信じてもろくなことはない」という苦い真実でした。「二度とだまされない」と決意したが国民が、戦前のような「上から目線」の政治を徹底して忌避したのは当然です。
その結果、戦後日本の政治家は、有権者におもねり、懐柔しながら新しい社会をつくっていくしかなくなりました。ちょうどうまい具合に高度経済成長が始まったことで、彼らが思いついた解決策は「お金を配って政治をさせてもらう」でした。国民の側も、経済成長の果実を分配するだけなら、政治のままごとを許してくれたのです。――もっとも重要な安全保障はアメリカに丸投げしていたので、ままごとでも大きな問題は起きませんでした。
もちろん、これはたんなる仮説にすぎません。しかし、「日本国民が無能な政府を望んだ」と考えると、迷走する感染症対策も、与野党あげて「一人一律10万円給付」のばらまきに飛びついたことも、これまで起きた出来事がすべてきれいに説明できるのです。
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