神奈川県弁護士会の元会長が、在任中の報酬全額を返納するとともに、その額に相当する月額顧問料15万円を2年間受け取る顧問契約を結んでいた。なぜこんな奇妙なことをするのかというと、年金事務所から厚生年金の加入義務を指摘され、それを逃れようとしたのだという。同会所属の弁護士4名がこれを悪質な「脱法行為」として提訴したことで、この興味深い事例が明らかになった。
さらに驚いたのは、弁護士会の総本山である日本弁護士連合会(日弁連)の会長と、15名いる副会長も厚生年金に未加入だとわかったことだ。そうだとすればこれは氷山の一角で、他の都道府県の弁護士会でも同様の「脱法行為」が常習化している可能性がある。
弁護士は法律の専門家だが、なぜ「法に定められた」厚生年金加入を忌避するのだろうか。
その理由のひとつは、厚生年金に加入すると、国民年金を脱退すると同時に、弁護士国民年金基金や個人型確定拠出年金(iDeCo)の加入資格を失うからだろう。これによって保険料が上がったり、将来の年金額が減るなどのデメリットがあるかもしれない。
しかしそれより大きな問題は、厚生年金の保険料が「労使折半」になっていることだろう。
日弁連会長の報酬は月額105万円とのことなので、厚生年金の保険料は上限の月額11万8950円。これを弁護士会と折半するから、本人負担は5万9475円だ。それに対して国民年金の保険料は月額1万6540円で、弁護士会の負担はない。
「年金保険料が上がったとしても、そのぶん将来の受給額が増えればいいではないか」と思うかもしれない。本人負担についてはたしかにそのとおりで、厚生年金の受給額は保険料に応じて国民年金より多くなる。
しかし、弁護士会が負担する保険料については話がちがう。厚生年金の会社負担分は社員の年金に反映されるのではなく、国家に「没収」されるのだ。
「そんなわけない!」と驚いた方は、毎年1回送られてくる「ねんきん特別便」の加入記録を見てみるといい。そこには、(会社負担分を含む)厚生年金保険料の総額ではなく、半額の自己負担分しか記載されていない。そして厚労省は、この自己負担分をもとに、「厚生年金は支払った額より多く戻ってくる」と主張しているのだ。
しかし、法律家はさすがにこんな「詐術」にだまされない。弁護士会が負担する保険料がドブに捨てるようなものだとわかっているからこそ、「脱法的」に逃れようと画策したのだろう。
ちなみに、日弁連会長の厚生年金保険料(総額)は年142万7400円、15人の副会長分を加えると年1000万円は超えるだろう。これを10年放置していたら、未払い保険料は1億円。傘下の弁護士会も同じようなことをしていたなら、債務総額はさらに膨らむことになる。
法律の専門家がこの“難問”をどのように解決するのか、楽しみに待つことにしたい。同じようなことで悩んでいるひとにもきっと役に立つだろう。
橘玲の世界は損得勘定 Vol.92『日経ヴェリタス』2020年10月4日号掲載
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