世界でもっとも早く超高齢社会に突入した日本では、「敬老の日」で敬う高齢者の数がどんどん増えています。65歳以上の人口は1年間で30万人増えて3617万人となり、高齢化率(人口に占める高齢者の割合)は28.7%で、団塊ジュニア世代が高齢者となる2040年には35%を超えて国民の3人に1人が「敬老」される側になります。
誰も未来を知ることはできませんが、その(ほぼ)唯一の例外が人口動態です。戦争や内乱、疫病などで大量死する恐れがなくなった現代では、先進国だけでなく新興国でも半世紀後までの人口をほぼ正確に予測できます。
なんらかの「奇跡」が起きて若い女性がどんどん子どもを産むようになったとしても(そんなことはあり得ないでしょうが)、その子たちが成長して納税者になるまでには20年以上かかります。高齢者の急増で財政が逼迫し、社会保険制度が維持困難になることはずっと前からわかっており、いまからなにをしようが日本の未来はすでに決まっているのです。
「そんなことはない。若い移民にどんどん来てもらえばいい」という意見もありましたが、最近ではそうした声もだいぶ小さくなってきたようです。ヨーロッパで「移民問題」が、アメリカで「人種問題」が噴出し、社会が大きく動揺しているからで、ひと昔前には想像すらできなかったことですが、いまや欧米のリベラルな知識人が「移民の少ない日本社会は安定している」と評価するようになりました。
とはいえこれは、「多様性がない方がうまくいく」ということではありません。日本企業の幹部・役員は「日系日本人、男性、中高年、特定の大学卒(学士)」というきわめて一様な集団で占められており、これがリスクをとらずイノベーションを起こせない理由になっています。グーグルのようなシリコンバレーのテクノロジー企業は、多様な文化的背景を持つ社員たちの交流から、世界を変えるようなとてつもないアイデアを「創発」しているのです。――世界じゅうから学生を集めるアメリカの大学の魅力も同じでしょう。
しかしさらに考えてみると、こうした「多様性」の背後には「一様性」があることが見えてきます。GAFAのようなテック企業の従業員には、「きわめて高い知能を持つ」という共通点があるのです。
多様性が大きなちからを発揮するのは、優秀なひとたちが共通のゴール(収益の最大化、研究実績、あるいは世界を変える“ムーンショット”)を目指すときです。さまざまな国籍のひとたちが雑然と集まっただけでは、「よいこと」は起こらないのです。
そればかりか最近の研究では、「移民が多いほど社会資本の水準が低下する」ことがわかってきました。アメリカでは移民の割合が多いコミュニティの住民ほど、(自分と同じ民族を含め)他人を信用する気持ちが乏しく、政府や行政、メディアを信用せず、慈善活動のような社会参画にも消極的だったのです。
日本の場合、高齢化と人口減で外国人労働者がいなければ経済が回らず、かといって移民が増えると社会が不安定化し、それ以前に、高齢化に押しつぶされそうになっている国に優秀な若者たちが来てくれるのかすらこころもとなくなってきました。この難問に解はあるのでしょうか?
参考:Robert D. Putnam(2007)E Pluribus Unum: Diversity and Community in the Twenty-first Century, Nordic Political Science Association
ハッサン・ダムルジ『フューチャー・ネーション 国家をアップデートせよ』NewsPicksパブリッシング
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