第91回 役所で体験した電子政府の実態(橘玲の世界は損得勘定)

1人10万円の特別定額給付金で注目が集まったマイナンバーカードだが、電子証明書の有効期限が切れていたので更新のため区民センターに行ってきた。感染抑制で「不要不急の外出を控えよ」と政府がいっているのに、本人が窓口に行かないと手続きできないのだ。

幸いなことにさほど混んでおらず、番号札を引くとすぐに窓口に案内された。担当者はひとのよさそうなおじいさんで、要件を告げると、申請用紙と「個人番号・電子証明書 暗証番号の控え」という紙を渡された。これは暗証番号を忘れないためのものだという。

それはいいのだが、いざ書こうとすると、担当者がじっと手元を覗き込んでいる。他人に知られてはならない番号なのだから、これはさすがにおかしいが、だからといってにこにこしているおじいさんに面と向かって「見ないでください」と文句をいうのも角が立ちそうで、しかたなくそのまま書いた(このおじいさんに暗唱番号の悪用などできるはずがないと思ったのもあるが)。

その後、専用端末に自分で暗証番号を入力するのだが、この画面は担当者には見えないようになっていた。それから5分ほど、おじいさんがパソコンに向かってうんうんうなって、ようやく更新が終わった。

マイナンバーカードはこれまで、電子申告やコンビニでの住民票・印鑑証明の取得くらいしか使い道がなく、暗証番号を忘れてしまうひとも多かったのだろう。そこで控えを書かせることになったのは理解できるとして、なぜ利用者の個人情報を堂々と担当者が見ているのか。

これはあくまで私の推測だが、最初は利用者の秘密を守るようになっていたはずだ(当たり前だ)。それが平然と暗証番号の紙を覗き込むようになったのは、そうしないと利用者からの質問に対応できないからだろう。

マイナンバーの暗証番号は「署名用電子証明書」「利用者証明用電子証明書」「住民基本台帳用」「券面事項入力補助用」と4種類もある(署名用以外は共通で可)。オンラインの手続きにうとい高齢者などにこれを説明し、さらに自分で端末に入力してもらうには、手取り足取り指導するしかない。なにを書いたか見ずにこれをやろうとすると話がかみ合わなくてトラブルになるので、いつの間にか内容を確認するようになったのではないだろうか。

現場レベルでルールが歪められるのは、「公務員ならなんでもやってくれて当たり前」という利用者側の甘えと、「公務員なのだから信用されて当たり前」という担当者の思い込みがあり、それが過剰な「お世話体質」になっているのではないか。

しかしそれ以前に問題なのは、まったくユーザーフレンドリーではないシステムを、オンラインリテラシーの低い利用者に使わせようとしていることだ。おまけに手続きする担当者のリテラシーも低いと、必然的にこういうことになる。

日本は世界有数の「電子政府」を目指すそうだが、その実態がよくわかった体験だった。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.91『日経ヴェリタス』2020年8月8日号掲載
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