出版社の許可を得て、新刊『事実vs本能 目を背けたいファクトにも理由はある』の「まえがき」を掲載します。発売日は7月26日(金)ですが、大手書店などには明日あたりから並びはじめると思います。見かけたら手に取ってみてください。
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本書のPart0では、2011~12年に実施されたPIAAC(ピアック/Programme for the International Assessment of Adult Competencies)について詳しく解説しています。
PIAACは先進国の学習到達度調査(PISA/ピザ)の大人版で、16歳から65歳を対象として、仕事に必要な「読解力」「数的思考力」「ITを活用した問題解決能力(ITスキル)」を測定する国際調査で、OECD(経済協力開発機構)加盟の先進国を中心に24カ国・地域の約15万7000人を対象に実施されました。日本では国立教育政策研究所によって、「国際成人力調査」として2013年に概要がまとめられています。
ヨーロッパでは若者を中心に高い失業率が問題になっていますが、その一方で経営者からは、「どれだけ募集しても必要なスキルをもつ人材が見つからない」との声が寄せられていました。プログラマーを募集したのに、初歩的なプログラミングの知識すらない志望者しかいなかったら採用のしようがありません。そこで、失業の背景には仕事とスキルのミスマッチがあるのではないかということになり、実際に調べてみたのです。
私がこの調査に興味を持ったのは、その結果をどのように分析しても、次のような驚くべき事実(ファクト)を受け入れざるを得ないからです。
① 日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない。
② 日本人の3分の1以上が小学校3~4年生以下の数的思考力しかない。
③ パソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいない。
④ 65歳以下の日本の労働力人口のうち、3人に1人がそもそもパソコンを使えない。
ほとんどのひとはこれをなにかの冗談だと思うでしょうが、どうやら私の理解はまちがってはいないようです。
このことを『もっと言ってはいけない』(新潮新書)で紹介したところ、日本においてPIAACを主導した文部行政の幹部からお礼のメールをいただきました。苦労して大規模な国際調査を行なったにもかかわらず、ほとんど話題にならないことに落胆していたというこの方は、PIAACが「再発見」され、評価されたことがとてもうれしかったそうです。
ここからわかるのは、日本人の読解力や数的思考力、ITスキルがこの程度のものであることが(一部の)教育関係者のあいだでは常識であり、それでなんの問題もないと考えられているらしいことです。なぜなら、この惨憺たる結果にもかかわらず、ほぼすべての分野で日本人の成績は先進国で1位だからです。――これがもうひとつの驚くべき事実(ファクト)です。
私たちはいったいどんな世界に生きているのか。それを考えるのが本書のスタートになります。
Part1からPart4は、2016年5月から令和元年にあたる19年6月までの3年間に『週刊プレイボーイ』に連載したコラムから、「事実vs本能」を扱ったものをピックアップしています。読み通していただければ、そこに共通する背景があることに気づいていただけるでしょう。
それは私たちが、「知識社会化・リベラル化・グローバル化」という巨大な潮流に翻弄されているという事実(ファクト)です。
世の中を騒がすさまざまなニュースは、突き詰めれば、旧石器時代につくられたヒトの思考回路がこの大変化にうまく適応できないことから起きています。
Part5では、日本の社会を理解するうえで重要な事実(ファクト)を明らかにした研究を紹介しています。
ひとつは、世代によって政党のイデオロギー位置が異なるという発見。いまの若者は、自民党を「リベラル」、共産党を「保守」と考えています。さらに、日本はヨーロッパのように「極右」が台頭しているのではなく、全体として「リベラル化」しているようです。
もうひとつは、『Yahoo!ニュース』のコメント欄をビッグデータとして解析した研究で、現代日本社会の「右傾化」と呼ばれるものの正体が、「“日本人”という脆弱なアイデンティティ」であることがわかるでしょう。
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事実(ファクト)はつねに好ましいものであるとはかぎらず、保守ないしはリベラルの価値観に沿っているわけでもありません。それは私たちの夢や願望とはなんの関係もない、冷酷な自然法則のようなものです。
しかしそれだからこそ、事実(ファクト)を知ることはとても重要です。
そのことを、世界的なベストセラーになった『FACTFULLNESS(ファクトフルネス)』(日経BP社)で、ハンス・ロスリングはこう説明しています。
〈たとえば、カーナビは正しい地図情報をもとにつくられているのが当たり前だ。ナビの情報が間違っていたら目的地にたどり着けるはずがない。同じように、間違った知識を持った政治家や政策立案者が世界の問題を解決できるはずもない。世界を逆さまにとらえている経営者に、正しい経営判断ができるはずがない。世界のことをなにも知らない人たちが、世界のどの問題を心配すべきかに気づけるはずがない〉
同様に、自分がどのような世界に生きているのかをまちがって理解しているひとも、自分や家族の人生について正しい判断をすることができないでしょう。
世の中には、縮尺や方位のちがう地図を手に右往左往しているひとが(ものすごく)たくさんいます。そんななかで、正しい地図を持っていることはとてつもなく有利です。
これが、事実(ファクト)にこだわらなければならないいちばんの理由です。