第83回 弱者救済、日本を貧乏に?(橘玲の世界は損得勘定) 

本紙に連載された「データの世紀 採点される人生」によれば、世界じゅうで「評価エコノミー」が広がっているらしい。

ベトナム・ホーチミンの26歳の若者は、個人データの得点が高かったおかげで「スコア融資」が受けられ、月給の半分ちかい1000万ドン(約5万円)のスマートフォンを購入できた。

シリコンバレーでウーバーの運転手をしている57歳の男性は、肩を痛めて建設作業員から転職したが、いまでは週給1700ドル(約19万円)を稼いでいるという。単純計算では年収1000万円だが、乗客からの評価が「(5点満点で)4.6」を下回ると誰からも呼ばれないという。

インターネットが登場して、ネットオークションの出品者からレストラン、本や映画、音楽まで、私たちはあらゆるものを「評価」するようになった。それが「個人の評価」に行きつくのは必然なのだろう。

スコアの低い者が差別される「バーチャルスラム」が危惧されているものの、もはや後戻りは不可能だ。私たちの社会的な活動がすべてビッグデータとなり、点数化される未来がすぐそこまで迫っている。

と、ここまで書いて、日本の現状はぜんぜんそんなことになっていないことに気がついた。

国土交通省の規制によってウーバーのようなライドシェアは「白タク」扱いで違法とされているし、「スコア融資」もほとんど広まっていない。

だが、問題はそんなところにはない。

アメリカではクレジットヒストリー(支払い履歴)がさまざまな業種で共有されていて、不動産の購入や賃借、カーローンや教育ローン、携帯電話の契約や医療機関での受診にまで影響が及ぶ。

それに対して日本では、クレジットカード業界のなかでしか情報が共有されない。その結果、きちんと支払いをしているとショッピングの利用限度額はどんどん増えていくが、それ以外のことにはなんの関係もない。

私も、いつの間にかクレジットカードの利用限度額が500万万円になっていて仰天したことがある。紛失したらどうなることか不安になって減額してもらったが……。

それにもかかわらず、転居で家を借りようとしたら、業者は保証人を要求するだろう。その要件も厳格で、仕事をしている親族しか原則として認められないため、親が年をとると保証会社に手数料を支払うか、あきらめて物件を購入するしかない。保証人のいない外国人は不動産を借りられず、国家をあげて「排外主義」を奨励しているようなものだ。

こうした理不尽なことは、クレジットカードやローン返済、家賃支払いの履歴を共有すればなくなるだろう。それにもかかわらず、「弱者(家賃を払わないひと)が家を借りられなくなる」という人権派の批判によってずっと放置されてきた。

そんな日本では、「デジタルスラム」の心配はなさそうだ。その代わり「世界」から取り残されて、国民はますます貧乏になっていくだろうが。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.83『日経ヴェリタス』2019年5月26日号掲載
禁・無断転載

【追記】この記事について、「保証会社を使えば親の連帯保証は不要なのだから平等ではないか」とのご意見をいただきましたが、保証会社を利用すると家賃1カ月分に相当する保証料が要求され、連帯保証があればこの費用は不要なのですから、保証というのは「(連帯保証する)親がいない」ことへのペナルティです。

またTwitterで、「保証会社の保証と保証人の両方を要求された」との報告がいくつもありました。保証会社とは、入居希望者から保証料を徴収する代わりに保証人を不要にする制度なのですから、不動産賃貸業界のルールとしてこうした悪習は禁じるべきでしょう。

誤解のないようにいっておくと、私に大家や不動産投資家を批判する意図はなく、貸し手も借りる側も、過剰な借地・借家権など日本の不動産市場の歪みから大きな不利益を被っています。

しかしそれでも、れっきとした大人が(40代や50代でも)アパート、マンションを賃借するとき、個人として信用を評価されるのではなく、親の保証を要求されるというのは「近代的な市民社会」としてはきわめて異常です(このような制度のある先進国は日本以外ないのでは)。これは日本が「先進国のふりをした身分制社会」で、個人よりも「イエ(どの共同体に所属しているか)」を重視するからだと私は考えています。

なお、保証会社の一部で家賃の返済履歴のデータベース化は始まっているようです。またクレジットカード会社系の保証会社はクレジットの信用情報にアクセスできますが、それ以外の保証会社は閲覧できないとのことです。