記憶による告発はどこまで信用できる? 週刊プレイボーイ連載(357)

1990年、現職警官が悪魔崇拝で有罪を宣告されるという衝撃的な事件が全米を驚かせました。熱心なクリスチャンで共和党地方本部の代表者でもあった父親が、成人した娘から、幼い頃に悪魔を呼び出す乱交パーティで強姦されたと告発され、陪審員がそれを認めたのです。

なぜこの話を思い出したかというと、よく似たことが最近のアメリカで起きたからです。トランプ大統領が連邦最高裁の判事に指名した保守派のブレット・カバノー氏に対し、大学教授の女性が1982年に性的暴行を受けたと告発しました。FBIの調査でも疑惑を裏づける証拠は見つからなかったとして共和党が強行採決し、カバノー氏は最高裁判事に就任しましたが、民主党は納得せずはげしい対立が続いています。

レイプは重大な犯罪ですから、それが事実であればきびしい処罰は当然です。しかしその一方で、証拠もないのに疑惑だけで責任をとれと強要するのでは法治の否定にしかなりません。しかもこれは36年も前の出来事で、どれほど捜査したところで決定的な証拠が見つかる可能性はなく、被害者の証言を信じるかどうかの堂々巡りになるだけです。

アメリカの女性活動家は「被害者が証言すればそれが事実だ」と主張していますが、これについてはリベラル派の知識人からも、「奴隷制時代には、白人女性が“レイプされた”と証言するだけで、なんの証拠もなく黒人はリンチされて殺された」と指摘されています。人権を守らなければならないのは被害者も被疑者も同じで、市民の地位や権利を奪うには法で定められた厳密な手続きが要求されます。

過去の性的暴行の告発を慎重に取り扱うべき理由は、記憶が書き換えられることがわかっているからです。しかも、非常に簡単に。

成人の被験者に対し、親や兄が「お前が5歳のとき、ショッピングセンターで迷子になったことを覚えているかい?」と訊きます。なんの記憶もない被験者は「覚えていない」とこたえますが、「ポロシャツを着た親切な老人がお前を母さんのところに連れてきたじゃないか」「暑い日で、お前が泣き止んでからアイスクリームをいっしょに食べたよね」などとディテールを積み重ねられると、被験者はなんとかしてその体験を思い出そうとし、しばらくすると「ああ、そういわれてみれば、そんなこともあったよね」といいだします。

これは被験者が、ウソだとわかって話を合わせているのではありません。親しいひとから存在しない過去を告げられた脳は、記憶がないという不愉快な状況から逃れるために、無意識のうちに都合のいい物語を“捏造”するのです。アメリカ心理学会や精神医学会は、「回復した記憶が真実か否かを判断する決定的な手段はない」と結論づけました。

もちろんこれは、カバノー氏を告発した女性大学教授がウソをついているということではありません。しかし、三十余年のあいだに記憶が変容していないと証明することも不可能でしょう。目撃者や記録などの証拠がなければ、どれほどリアルな証言も、それだけでは効力をもたないのです。

ちなみに父親を悪魔崇拝で告発した娘は、その後、セラピストから「あなたの苦しさの原因は幼児期の性的虐待によるものだ」という偽りの記憶を植えつけられていたことが明らかになりました。父親はただちに釈放され、娘を訴えました。

参考:E.F.ロフタス、K.ケッチャム『抑圧された記憶の神話―偽りの性的虐待の記憶をめぐって』(誠信書房)

『週刊プレイボーイ』2018年10月22日発売号 禁・無断転載