「教育を無償化すればみんなが幸福になる」という通説の背後には、「教育は無条件によきもの」という信念がある。私はこれを疑わしいと思っているが、それは本題ではない。
自由経済で格差が生じるのは当然と考えるひとも、「貧しさのために教育機会を得られないのは正義に反する」との意見には同意するだろう。一流大学に入学する学生のほとんどが裕福な家庭出身なのは、欧米でも日本でも変わらない。貧しい家庭の所得を増やせば、教育を介して子どもはゆたかさを手にし、社会も好影響を受けるのだ。
だが、この主張はどこまで正しいのだろうか。
複雑な人種問題を抱えるアメリカでは、黒人貧困層に福祉の重点が置かれたため、白人保守派から「逆差別」との批判を受けることになった。これに反論するには、所得支援の効果を証拠(エビデンス)によって証明しなければならなない。
母子家庭の世帯所得を増やすには、行政からの生活保護、父親(別れた夫)からの養育費、母親が働いて得た所得などが考えられる。所得の増加が教育効果に直結するなら、生活保護と養育費は同等で、労働所得はもっとも効果が低いはずだ。母親が働けば、子どもの世話をする時間がそれだけ減るのだから。
だが実際には、成績や学習態度(中退率)でみて教育効果が高いのは養育費で、次いで労働所得、生活保護の順になっている。同じ不労所得なのに生活保護の効果がきわだって低いのは、母親の(ひいては子どもの)自尊心を低下させるからのようだ。
日本では「子どもがいじめられる」との理由で多くの母子家庭が生活保護の受給を躊躇しているが、「税金」を受け取ることへの蔑視はアメリカも同じらしい。それに対して養育費は、正当な権利として周囲にも堂々といえるので、子どもへの教育効果も高いのだ。
子どもが10代のときに年収が増えた家庭と、ずっと貧しくて、子どもが成人してから年収が同じだけ増えた家庭の比較も行なわれた。所得と教育効果の関係が一方的なら、事後的に所得が増えてもなんの効果もないはずだが、実際には両者に大きな差はなかった。これは、教育効果をもたらすのは所得そのものではなく、所得を増やすなんらかの要因(母親の能力や勤勉さなど)がかかわっていることを示唆している。
それ以外でも、増えた所得を親がなにに使うのか(子どもの教育投資より食費や家の修繕、車の買い替えなどに充てられた)や、子育て支援の充実した州は、そうでない州よりも教育効果が高いのか(あまり変わらなかった)なども調べられている。
誤解のないようにいっておくと、これは貧しい家庭への金銭支援が無意味だということではない。アメリカの研究が示すのは、漫然とお金と配るだけでは思ったような効果は得られそうにないということだ。
だったらどうすればいいのか。じつは日本には、それを議論するための基礎的なデータすらない。こんな状態で、教育無償化の議論は行なわれているのだ。
参考:Susan E. Mayer (1998)”What Money Can’t Buy Family Income and Children’s Life Chances” Harvard University Press
橘玲の世界は損得勘定 Vol.75『日経ヴェリタス』2018年5月12日号掲載
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