文庫版『国家破産はこわくない』のあとがき「海外投資はしなくてもいい」を、出版社の許可を得て掲載します。親本と同じですが、金融機関の営業姿勢はいまもほとんど変わっていないと思います。
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すこし前の話ですが、編集プロダクションを経営する知人の女性から相談を受けました。彼女の会社に証券アナリストの資格を持つ証券会社の営業マンが訪ねてきて海外投資を強く勧められたのだが、どうすればいいだろう、というのです。
その“アナリスト”氏は、彼女に日本国の債務残高の推移を示すグラフを見せて、「こんなに借金を抱えていてはもうどうしようもない。日本は破綻するに決まっている」と断言したそうです。
日本の財政を家計にたとえると、「480万円の年収のうち200万円が借金の返済に消えていき、生活費が700万円かかるから新たに420万円借金するのと同じ」なのだそうです。いきなりそんなことをいわれれば、誰だって不安になるでしょう。
“アナリスト氏”の証券会社では毎月のように無料の「海外投資セミナー」を開催していて、いつも高齢者で満席だといいます。「もし興味があれば優先的に席を確保します」といわれて、彼女は行こうかどうか迷っていました。
彼女はそのとき“アナリスト氏”から、「日本の財政破綻からあなたの資産を守るには海外投資しかない」と、ある金融商品を強く勧められていました。パンフレットを見せてもらったのですが、それは「高配当」をうたう毎月分配型の投資信託で、米ドル建てのハイ・イールド・ボンド(リスクが高い代わりに利回りも高い社債)に投資すると同時に、それをブラジルレアルで“ヘッジ”する仕組み債でした。かつては“ジャンクボンド(クズ債券)”といわれたハイ・イールド・ボンド自体が大きなリスクを抱えているのに、さらに新興国通貨であるブラジルレアルのリスクまで取って、円建ての配当をかさ上げしているのです。
とはいえ、投資の経験もなければファイナンスの知識もない彼女にそんなことがわかるはずはありません。証券会社の“アナリスト”から勧められれば、「有利な投資にちがいない」と思うのも当然です。
私は、「日本が国家破産するリスクよりもこのファンドのリスクのほうがはるかに大きいから相手にしないほうがいい」とアドバイスしたのですが、その後、思わず考え込んでしまいました。
私は1990年代後半から、海外市場での資産運用に興味を持って、あれこれ調べたことを本に書いて読者に紹介してきました。その当時は、「日本人なら日本株に投資するのが当たり前だ」とか、「海外投資なんてどうせ為替で大損するに決まっている」などというひとばかりで、自分はずっと投資の世界ではマイナーな存在だと思っていました。それがいつの間にか、日本を代表する証券会社が海外投資を高齢者に勧める時代になっていたのです。
しかし、彼らが売り歩く「海外投資」の金融商品は、私が考える「合理的な投資戦略」からはほど遠いものでした。そもそもなぜ、70代や80代の高齢者が、アメリカのジャンク債を購入し、ブラジルレアルに投資しなければならないのでしょうか。
ファンドの目論見書にはひととおりの説明が書いてありますが、それを読んだところで、自分がどんなリスクを取ろうとしているのか理解できるはずはありません。ほとんどのひとは、「高金利の通貨は得だ」とか、「毎月分配は高配当のほうがいい」とか、「これまで儲かっていたのだからこれからも儲かるはずだ」とかの、ファイナンス理論的にはなんの意味もない(というか完全に間違っている)知識によって投資の判断をしているのです。
私が強い違和感を持つのは、日本の高齢者(というかふつうのひとたち)に資産運用の常識が欠けていることではなく、証券会社が、彼らの無知を知っていながら、それを利用してハイリスクな金融商品を販売していることです。言葉は悪いですが、これでは「振り込め詐欺」と同類です。
日本の証券会社の志がここまで低くなった理由はわからなくはありません。外資系投資銀行のような華々しいディールができるわけでもなく、個人向けの株式売買はネット証券に移行し、自治体や学校法人、取引先企業に売り込んだ(為替オプションを組み込んだ)仕組み債はリーマンショック後の円高で大損して裁判になり、唯一残されたのは、高齢者を「国家破産」で脅して手数料の高い金融商品を売りつける商売だけだったのです。
こうして私は、「海外投資はしなくてもいい」という本を書かざるを得なくなりました。
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「あとがき」を先に読むひとや、書店で「あとがき」だけを読むひともいるでしょうから、ここで本書のメッセージをあらためて繰り返しておきます。
(1)日本の財政がたとえ破綻に向かっているとしても、当分は金融資産は普通預金で持っていればいい。
(2)日本の財政が破綻したとしても、手近にある金融商品だけで資産のかなりの部分を守ることができる。
(3)たとえ「海外投資」をする必要があるとしても、ネット銀行の外貨預金でじゅうぶんだ。
そしてこれは強調しておきますが、資産運用に成功する黄金律は、「金融機関が熱心に勧誘するウマそうな話はすべて無視する」ことです。
金融機関の営業マンは歩合制で給料が決まりますから、彼らが売りたいのは顧客に有利な商品ではなく、自分が儲かる手数料の高い商品です。この十数年で金融テクノロジーは急速に進歩し、いまでは個人投資家に有用な金融商品がたくさんありますが、こうした商品は金融機関の儲けにならないので営業マンは顧客に教えたがりません。彼らは善意のボランティアではなく、最後は顧客の利益を度外視して会社(と自分)の利益を最大化することを選びます。自分の資産を守る方法は、自分で見つけなければなりません。
しかしこれは、ファイナンス理論の基本と金融市場の仕組みがわかってさえいれば、けっして難しくないことを本書では書きました。
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私は、「国家破産」のリスクを軽く見ているわけではありません。
実際に日本国が財政破綻するかどうかはともかくとして、その可能性が無視できない以上、私たちは“災厄”に備える必要があります。
いまとは正反対の高金利・超円安・高インフレの世界がやってきたとしたら、日本の社会が大混乱に陥ることは間違いありません。それは日本人の人生にとてつもない影響を及ぼしますから、すべてのひとがどうやって生き延びるのかを真剣に考えるべきです。
しかしその一方で、いたずらに不安ばかりが大きいと、その不安心理を利用してひと儲けしようと手ぐすね引いているひとたちの餌食にされてしまいます。
日本人は、リスクに対してあまりにも無防備です。この国には、「国家破産」のリスクを過大に見積もって、自分がだまされるリスクのほうが大きくなってしまったひとがたくさんいます。投資の世界は自己責任ですから、だまされてすべてを失ったとしても、誰も助けてくれないばかりか同情すらしてもらえません。
それと同時に、日本人はあまりにも「合理性」を軽視しています。ネットでもマスコミでも、日本じゅうのあちこちに「合理的なものは不愉快だ」と叫ぶひとがあふれています。もちろん合理性は幸福な人生を約束しませんが、その一方で、(ギャンブルで一発当てるようなことを別にすれば)市場では合理的な行動からしか富がもたらされないことも確かです。
投資の世界では、感情だけで動くひとは“カモ”と呼ばれます。日本という国の経済的なリスクが顕在化したときに、感情でしか考えられないひとたちが真っ先に犠牲になっていくでしょう。
私はこれを、ある意味、仕方のないことだと考えています。日本人のすべてが正しいフィナンシャルリテラシーを持つようになる、などという荒唐無稽な理想を掲げても意味がありません。
私は、自分がこの国の救世主になれると思うほど楽天家ではありません。ただ、ひとりのドン・キホーテでありたいと願うだけです。
2013年3月 橘 玲
【追記】
本書の親本は2013年3月に刊行されましたが、ここでは、それから4年半たった2017年11月時点で、本書で勧めた(普通預金以外の)金融商品に投資した場合の結果をまとめておきます。
●外貨預金
1ドル=95円から1ドル112円の円安になった。年率3.6%
●日本株
日経平均が1万2000円から2万1100円になった。年率12.8%
●アメリカ株
ニューヨークダウが1万4800から2万2900になった。年率9.8%(円建てでは13.43%)
●世界株(ドル建て)
ニューヨーク市場に上場するACWI(オール・カントリー・ワールド・インデックスETF)が1株50ドルから70ドルになった。年率7.5%(円建てでは年率13.7%)
●世界株(円建て)
東証に上場する「上場MSCI世界株」が1株1200円から2000円になった。年率11.3%
このように見ると、世界金融危機やユーロ危機からの回復の流れに乗って、リスクをとって株式に投資したひとはじゅうぶんなリターンを得たことがわかります。それに対して、親本の発売当時、証券会社などが「国家破産対策」として熱心に販売していたで高配当の海外ファンドは、ブラジルレアルの為替レートが2013年初頭の50円から2016年に30円を割るまで下落したことで(現在は35円)残念な結果になったと思われます。
「リスクを取りたくなければ普通預金、リスクを取るならシンプルに株価指数ETFに投資」という原則の正しさが証明されたようです。