鳴り物入りで報道が始まったパラダイス文書だが、エリザベス女王やロス米商務長官の名前が出たもののその後は失速気味だ。
日本では鳩山元総理や有名マンガ家の関与が報じられたが、記事を読むと、名誉会長に就任した香港の上場企業がたまたまバミューダ籍だったとか、節税目的で不動産リースの投資事業組合に出資したところ、その組合がたまたまバミューダに設立されていた(おまけにその節税スキームは国税庁に否認され、出資者は追徴課税された)とかで、本人がタックスヘイヴンを悪用して違法な税逃れをしたという事実はない。
こんなことになる理由のひとつは、パナマ文書とは異なり、文書が流出したのがバミューダを拠点とする法律事務所だったからだろう。カリブ海のバミューダ諸島はイギリスの海外領土だが、ニューヨークからは飛行機でわずか2時間の距離。通貨バミューダ・ドルは米ドルと等価で、経済を支えるのは米国からの観光客だ。実態はアメリカの「経済領土」という豆粒のような島が、「主権」を盾に米司法・税務当局の圧力に抵抗できるとも思えない。
タックスヘイヴンとしての守秘性が覚束ないなら、法律事務所はトラブルになりそうな顧客との関係を避けようとするだろう。脱法行為をたくらむ側も、そんな場所にあやうい情報を預けようとはしないはずだ。こうして、「大山鳴動して鼠一匹」になる。
もうひとつの理由は、度重なる情報流出によって、タックスヘイヴンの利用者が対策を立てているからだろう。
2008年には、リヒテンシュタインの大手銀行LGTの元行員がドイツ当局に顧客情報を約8億円で売り渡した。09年には、そのことを知ったスイス・ジュネーヴのHSBCプライベート・バンキング部門の元行員が、12万7000件の顧客情報を盗み出し、フランス・イタリア・スペインなどの司法・税務当局に提供した。
「スイスリークス」と呼ばれたこの事件では、主謀者は金銭的な見返りを得られなかったが、ICIJ(国際調査報道ジャーナリスト連合)が口座情報の一部をインターネット上に公開したことで「脱税のスノーデン」と呼ばれる“ヒーロー”に祭り上げられた。また08年にはプライベートバンク最大手UBSの米国部門トップが脱税ほう助の疑いで身柄を拘束され、情報提供した元行員にはその後、約140億円もの報奨金が支払われた。パナマ文書以前に、すでにタックスヘイヴンの「守秘性神話」は崩壊していたのだ。
経済のグローバル化によってタックスヘイヴンを利用する取引は増えていくが、その大半は合法的なものだ。来年からは、日本や香港、シンガポールなどが参加するCRS(国際的な口座情報自動交換制度)の運用が本格化する。ICIJはタックスヘイヴンに関与した膨大な個人情報をインターネットで一方的に公開しているが、わずかな「不正」を暴くためにこうした手法が正当化できるのか、いずれ問われることになるだろう。
橘玲の世界は損得勘定 Vol.72『日経ヴェリタス』2017年11月25日号掲載
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