ジュディス・リッチ・ハリス『子育ての大誤解〔新版〕』訳者あとがき

ジュディス・リッチ・ハリス『子育ての大誤解〔新版〕』の翻訳者・石田理恵さんの「訳者あとがき」を、出版社の許可を得て掲載します。

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2016年、『言ってはいけない──残酷すぎる真実』(新潮新書)が出版された。著者は橘玲氏。2017年新書大賞を受賞したこの本の帯には“遺伝、見た目、教育に関わる「不愉快な現実」”とある。なんとも刺激的なタイトル、そして帯に記載された黄色い警告マークに目を見張った。本を開いてさらに驚いた。「ジュディス・リッチ・ハリス」という名前とともに、本書『子育ての大誤解』が2章にもわたって取り上げられているではないか。『子育ての大誤解』は2000年、すなわち17年前に翻訳出版された本である。当時幼稚園児だった子どもが成人し、社会人になっている、それだけの時間が経過した今、なぜ、と驚いたのだ。

原書The Nurture Assumptionは1998年9月に出版され、その年のピュリッツァー賞の候補に名を連ねた。出版前後より大きな反響をよび、「親の役割は果たしてそれほど重要なのか?」という見出しで、アメリカのみならず、イギリスやドイツの雑誌・テレビ番組でも取り上げられた。

ただ、その大反響は賛否両論がはっきりと分かれるものだった。とりわけ発達心理学や児童発達の専門家たちの意見はかなり厳しかった。1995年に《サイコロジカル・レヴュー》に掲載され本書の元となった論文は、APA(アメリカ心理学会)から優秀な論文に贈られるジョージ・A・ミラー賞を受賞しているが、その選考に携わったテンプル大学のフランク・ファーレーですら「著者の結論は限られたデータを元にしており、早合点かつ危険である」と述べている。「彼女の理論は従来の常識を覆すかのように見えるが、もし親がこれを真に受けたらどうなるのか。“さほど影響がないから”と子どもを虐待することに抵抗を感じなくなる親が出てくるかもしれないし、長い一日で疲れ切った親が“さほど影響がないから”と子どもをネグレクトするかもしれない」と彼は危惧している。

このような批判の一方で絶賛する者もいた。本書に序文を寄せた進化心理学の世界的権威スティーヴン・ピンカーはその一人だ。本書は心理学史の転換点となるだろうと評した彼は、親はさほど重要ではないという証拠は実際に存在するとし、「それらが存在しないふりをするのはそれらがあまりにショッキングだからだ」と喝破した。また本書でたびたび登場する心理学者デイヴィッド・リッケンは、「本書は何百人もの発達心理学者を不安に陥れるだろう」と語り、実際「誕生からの数年間で成人後の性格が形成されるという明確な証拠を探し求めても(心理学者たちは)それを呈示することはできない。なぜならそのような事実は存在しないのだから」と断言している。教育プログラムを助成するジェイムズ・S・マクドネル財団のジョン・ブリュアー会長(当時)は「幼少時の親子関係が決定的かつ長期的な影響を及ぼすという思いこみを考え直すことが必要だったのだ」とハリスの功績を称えた。

意外な感もあるが、著者のもとには男性読者からの反応もかなり寄せられたという。子どもにかかわりがある職業に就いている人からのものが多く、基本的に著者の考えに賛同しながらも、極端すぎるなどの批判もまじえて自らの考えを展開しているものが大半を占めていた。一方、女性読者からは、主に自分の子育て経験に照らして「まさにそのとおり」「よくぞ言ってくれました」との声が多く、これまでどんな育児書を読んでも納得できなかった部分がようやく理解できるようになったという一種の爽快感を書き綴ったものばかりだったという。

専門家や読者の反応がこんなにも分かれたのは、「育児を画一的にとらえることはできない」ことを意味しているのかもしれない。子どもは、一定の手順を踏めば完璧な作品が出来上がるプラモデルのようなものではない。だからこそ、それぞれに性格も違ってくるし、それが個性にもなる。成長のスピードや人格形成の時期も異なる。しかし、そのばらつきこそが、親を悩ませる。

では、それから約20年を経て、子育て事情は変わったのだろうか。新版まえがきによれば、2008年時点では「あまり変わってはいない」。ハリスはそう述べている。「子育てを少しでも楽にしたい、親の子育てストレスを軽減したい、私はそう願ってきた」、しかし「残念ながらまだそこには至っていない」と。それは2017年の日本でも同じだ。

相変わらずなくならない幼児虐待や少年犯罪、いじめの低年齢化、「小一プロブレム」、習い事で忙しすぎる子どもたちなど、状況は改善されていない。唯一変わったことといえば、保育園事情だ。約20年前は、「三歳までは母の手で」という三歳児神話に縛られ、働く母親は後ろ髪を引かれる思いで子どもを保育園に預けていた。それが今では、待機児童の増加が社会問題にまでなっている。しかし保育園だろうが幼稚園だろうが、はたまた小学校だろうが、親はわが子が最初に出会う社会でどう受け入れられるかに過剰なまでに神経を尖らせる。それが自分の評価につながると思いこんでしまうのかもしれない。

幼い子どもが何人か揃うと、当然のことながらそれぞれに容姿も性格も違う。言葉の早い子もいれば遅い子もいる。進んで子どもの輪の中に入る子もいれば、いつまでも母親から離れない子もいる。すぐ叩く子もいれば叩かれて泣いてばかりの子もいる。自分の子が劣っていると感じてしまった母親は「なぜうちの子はよその子のように明るくのびのびふるまえないのか」と思い悩む。その結果、少しでも自信が持てるように、得意分野を身に着けさせようと、様々な習い事を勧め、入園入学を控えた新年度が近づけば、子どもに対して新たに始まる集団生活のノウハウを手取り足取り教えようとする。結果、最近では母親の五月病という症状さえ見られるという。

だが本来、人間はそれぞれ違うものである。その違いが親の育て方によって生じたものであるとは限らない。育児書や雑誌の指示どおりに育てたとしても、実際に同じ結果は得られない。同じ月齢、同じ年齢の子どもでも差があるのは当然なのだ。たとえば、幸い保育園入園を果たした親子の中にもいつまでも母親から離れようとしない子どもがいる。お迎えに行っても子どもはいつも一人で遊んでいる。快活な子と比べたとき、さぞかし親は気をもむことだろう。しかしその子は逆に観察力を養っているのかもしれない。家に帰れば仲間がやっていた遊びや歌を延々と披露してくれたりする。一見マイナスに思えることも、実は新しい能力を伸ばすことに役立っているのかもしれないのだ。親はよそと同じように子どもを育てたつもりでも、目の前にいる子どもたちはまさに十人十色であり、どういう面が伸びているのかも、それが伸びるスピードも、よその子どもたちと違って当然なのだ。だからこそ子育ては難しく、奥が深い。

著者は本書で次のように語っている。「子どもには愛情が必要だからと子どもを愛するの ではなくて、いとおしいから愛するのだ。彼らとともに過ごせることを楽しもう。自分が教えられることを教えてあげればいいのだ。気を楽にもって。彼らがどう育つかは、あなたの育て方を反映したものではない。彼らを完璧な人間に育て上げることもできなければ、堕落させることもできない。それはあなたが決めることではない」。本書が、子育てに悩む多くの方々に、新しい視点を提示し、子どもとの関係を見直すきっかけになれば幸いである。

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最後になりましたが、自著で本書を大変詳しく取り上げてくださり、またご自身の経験に基づくユーモアを交えたおもしろくわかりやすい解説を書いてくださった橘玲氏に深く感謝申し上げます。また、単行本出版時に私の拙い訳文を丁寧に検討し、さまざまな貴重なアドバイスをいただいた早川書房編集部の小都一郎氏、校閲課の山岸荘二郎氏、さらに、文庫化にあたり、限られた時間にもかかわらず、原稿を細かく見直し、丁寧に手を加えてくださった一ノ瀬翔太氏、内山暁子氏、校正者の土肥直子氏に心からお礼を申し上げます。

2017年7月  石田理恵

『子育ての大誤解〔新版〕』(早川書房) 禁・無断転載