月刊『文藝春秋』2016年12月号に掲載された「私は安楽死で逝きたい」で、脚本家の橋田寿賀子さんは、認知症の兆しがあればスイスで最期を迎えたいと語る。欧米ではオランダ、ベルギー、ルクセンブルクなどで安楽死が合法化されているが、いずれも自国民にしか認めていない。それに対してスイスでは、外国人でも不治の病の末期であれば自殺幇助団体に登録できる。費用は7000ドル(約80万円)で、現在は60カ国5500人が登録しているという。――ただし、認知症の初期症状では安楽死は認められないだろう。
2014年1月8日のAFPは、「ベルギー最高齢アスリートが安楽死、シャンパンで乾杯して旅立つ」との記事を掲載した。高齢者欧州選手権などで優勝したエミール・パウウェルスさん(95)は、末期の胃がんのため安楽死を希望し、「友人全員に囲まれて、シャンパンと共に逝くのが嫌だなんて人がいるかい?」と述べた。
ひるがえって、日本はどうだろう。橋田さんが嘆くように日本では安楽死の法制化は遅々として進まず、縊死や墜落死、一酸化炭素中毒死などのむごたらしい死を強いられている。
しかしこれは、日本人が安楽死を拒んでいるからではない。朝日新聞が行なった死生観についての世論調査(2010年11月4日朝刊)では、安楽死を「選びたい」が70%、「選びたくない」が22%、安楽死の法制化に「賛成」が74%、「反対」が18%という結果が出ている。キリスト教では自殺は神に対する冒瀆だが、切腹や心中が文化的に容認されてきた日本では安楽死のハードルは高くはないのだ。
それにもかかわらず、なぜ法制化が一向に進まないのか。それは、情緒的な日本人が「自分の人生は自分で決める」という自己決定権に馴染まず、自分の死を家族や医者に決めてもらいたいと思っているからだろう。だが、いつまでも不愉快な現実から目を背けているわけにはいかない。
日本はこれから人類史上未曾有の超高齢化時代を迎え、2020年には人口の3分の1、50年には約4割を65歳以上が占める。どこの家にも寝たきりや認知症の老人がいるのが当たり前の社会が間違いなくやってくる。
それにともなって、高齢者の医療費が社会保障費を膨張させ、日本の財政を破綻させるシナリオが現実のものになってきた。2030年には、社会保障給付はいまより30兆円増えて170兆円に達し、後期高齢者医療費は約1.5倍の21兆円に達する公算が大きいという。
この巨額の支出を賄うことができなければ、いずれ高齢者の安楽死が国家主導で進められるかもしれない。そんな事態になる前に、国民が自らの意思で「自分の人生を終わらせる」ルールをつくるべきだろうが、話題になるのはエンディングノートや遺言の書き方、戒名を自分でつける方法などの「終活」ばかりだ。そしてひとびとは、お上が「まわりの迷惑にならないよう」いかに死ぬかを決めてくれるのをひたすら待ちつづけているのだろう。
参考:みんなの介護ニュース「【橘玲氏 特別寄稿】日本人の7割以上が安楽死に賛成しているのに、法律で認められない理由とは?」
橘玲の世界は損得勘定 Vol.65『日経ヴェリタス』2017年2月5日号掲載
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