ひとはみんな予測可能性の高い社会を好ましいと思っています。今日が昨日と同じで、明日は今日と同じだと思うからこそ、安心して暮らすことができます。――「一寸先は闇」のような社会では、就職や結婚、子育てなどとうてい無理でしょう。
ところが世の中には、それを逆手にとって、予測不可能性で優位に立とうとするひとたちがいます。典型的なのはヤクザで、彼らが時に暴力を躊躇しないのは感情に流されるからではなく、相手の予測を撹乱する冷徹な計算に基づいています。
ヤクザが殺人を犯せば情状酌量の余地はほとんどなく、被害者が一般市民なら重罪として懲役20年や30年は覚悟しなければなりません。まともに考えればこんな割の悪いことをするはずはありませんが、それでもお金がからむとヤクザは暴力をちらつかせます。
ヤクザのビジネスでは、かならずしも発言(恐喝)と行動(犯罪)を一致させる必要はありません。そんなことをすれば、組員の大半は刑務所に入ってしまうからです。しかしその一方で、相手に口先だけだとバレてしまえば、いくら脅してもなんの効果もないでしょう。
そこでヤクザが利用するのが「不確実性」です。99%の確率でなにも起こらないが、1%の確率で殺されるかもしれないと思えば、生命はひとつしかないのですから、要求されたお金を払うのが合理的な判断になります。このようにしてヤクザは、暴力の行使による損失を最小限にしつつ、最大の恐喝効果を実現することができるのです。
これと同じ手法を使うのが、第45代アメリカ大統領に就任したドナルド・トランプです。
「アメリカ・ファースト」のトランプが、メキシコに工場を建設する企業をTwitterで批判するだけで、フォードは工場の新設計画を撤退し、トヨタは今後5年で100億ドル(約1兆1000億円)の対米投資を発表しました。
常識的に考えれば、合法的にビジネスする民間企業に対して政府が超法規的な報復措置をとることはできません。予測可能性の高い安定した経済環境を前提にこれまでの対米投資は行なわれてきたのですが、トランプは、米国市場から撤退する選択肢がない以上、これは罠にかかったのと同じだということを正確に理解しています。
「あいつはなにをするかわならない」という不穏なイメージさえつくりあげておけば、あとは140文字のTweetだけで相手は理不尽な要求を受け入れます。それによって米国内に工場がつくられ就業者数が増えれば、トランプの支持率は上がるでしょう。もちろんこんなやり方は長続きしませんが、これまでの遺産を食い潰して自分の利益に変えようとするなら、じゅうぶん効果的なのです。
皮肉なのは、この「錬金術」を可能にしているのが、リベラルなメディアが行なう反トランプの報道の洪水だということです。ここでトランプは「なにをしでかすかわからない狂人」として描かれますが、こうしてつくりだされる不確実性こそがトランプの権力の源泉になっています。
SNSという「自分メディア」を手にしたトランプは、もはや既存のメディアやセレブリティ、知識人の支持を求めてはいません。新大統領にとって世界は善と悪の対決で、彼がほんとうに必要としているのは、自分をモンスターとして描く“敵”なのです。
『週刊プレイボーイ』2016年1月23日発売号
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