この国ではときどき理解できない出来事と遭遇します。そのひとつが、自民党が導入を目指している給付型奨学金です。
教育関係者は、「高収入の家庭の子弟しか有名大学に入学できない」という統計を好んで取り上げ、経済格差を解消するには貧しい家庭を経済的に支援すべきだと主張します。これは「国が教育費を援助せよ」ということですが、そのお金(税金)が学校すなわち教育関係者に支払われることは決して口にしません。私はこれを欺瞞だと思いますが、ここではその話はおいておきましょう。
その一方で、「日本学生支援機構」(旧日本育英会)の貸与型奨学金では延滞が問題になっており、14年度末で延滞者約17万3000人(全体の4.6%)、延滞額の総額は898億円にのぼります。延滞者の約8割が年収300万円未満だったことから、奨学金の返済負担が貧困を助長しているとして、返済の必要ない給付型奨学金の導入を一部の議員が強く求めたのです。報道によれば自民党は、「原則として高校時の成績が5段階評価で平均4以上」であることを条件に、月額3万円を給付する案を提示しており、対象者は7万5000人程度で年300億円ちかくの財源が必要になるとのことです。
さて、この話のどこがおかしいでしょう。
議論の前提として、日本は学歴社会で、よい大学を卒業して大手企業の正社員にならなければゆたかな生活を送れない、との共通認識があります。日本型雇用の崩壊が騒がれる現在、こうした古い常識がどこまで有効かはともかく、学歴がその後の人生に大きな影響を与えるのはたしかでしょう。
しかしそうすると、高校時代によい成績をとった生徒はよい大学に入り、社会人になって高い給与を得るのですから、その生徒に給付型奨学金を与えることは経済格差をさらに広げることにしかなりません。そもそも政策導入の理由が、貸与型奨学金を返済できずに苦しむ貧困な若者の救済なのですから、制度設計の前にまず彼らの高校時代の成績を調査すべきでしょう。
もうおわかりのように、ここにも度し難い欺瞞があります。要するに、バカな生徒に税金を使うと世論の反発が面倒だから、賢い生徒に給付して見てくれをよくし、“弱者”のためにいいことをしているとアピールしたいのです。日ごろから経済格差を批判している教育関係者も、経済格差を拡大するこの案にまったく反対しません。その理由も明らかで、自分たちの財布にお金が入ってくれば建前などどうでもいいのです。ここまで欺瞞が積み重なると、ほんとうに吐き気がしてきます。
ではどうすればいいのでしょうか?
日本の貧困でもっとも深刻なのが母子家庭であることは多くの調査で指摘されています。日本では生活保護への忌避感が強く、子どもがいじめられることを懸念して母子家庭が受給申請をためらっているのです。
だとすれば、給付型奨学金は取りやめて、その財源を母子家庭に現金給付すればいいでしょう。これなら確実に経済格差の解消に寄与しますが、自分の懐が潤わないこの案を教育関係者が支持することはけっしてないでしょう。
『週刊プレイボーイ』2016年11月28日発売号
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