ドーパミンはもっとも有名な脳内の神経伝達物質のひとつですが、その発見は偶然でした。
1953年にモントリオールの若い2人の科学者が恐怖反応を再現しようとラットの脳に電極を埋め込んだのですが、ラットは電気ショックを嫌がって逃げ回るどころか、もういちど同じ刺激を欲しているかのように、何度も電気ショックを受けた場所に戻ってしまいます。ラットにとって幸運(もしくは不幸)だったのは、科学者の実験スキルが未熟で、電極を間違って側座核と呼ばれる脳の古い部位に埋め込んでしまったことです。ここは現在では「報酬中枢」として知られており、刺激によってドーパミンが放出されると、ラットは同じ刺激を何度も欲するようになるのです。
その後の実験で、ドーパミンの「快感」がとてつもなく強烈なことが明らかになります。ラットが自分でレバーを押して側座核を刺激できるようにすると、食べることも、水を飲むこともせず、交尾をする機会にも興味を示さずに、1時間(3600秒)に2000回近くもひたすらレバーを押しつづけました。また電流を流した網の両端にレバーを設置し、それぞれのレバーで交互に刺激が得られるようにすると、ラットたちはひるむことなく電流の通った網の上を行き来し、足が火傷で真っ黒になって動けなくなるまでやめようとしなかったのです。
こうした結果を見て1960年代に、同じことを人間の脳で実験しようとする研究者が現われました。現在の人権感覚では考えられませんが、当時は、重度の精神病患者の前頭葉を切断して廃人同然にするロボトミー手術が世界じゅうの病院で当たり前のように行なわれていたのです。
実験対象となったのは長年にわたりひどい抑うつに苦しむ若い男性でしたが、側座核に電流が流れたとたん、「気持ちがよくて、暖かい感じ」がし、自慰や性交をしたいという欲望を感じました。そしてラットと同様に、3時間のセッションで1500回以上も電極のスイッチを押したのです。
研究者たちはドーパミンが抑うつの治療に使えるのではないかと期待しましたが、すぐに不都合な事実が明らかになります。憂うつな気分を晴らす効果は一時的で、すぐに消えてしまうのです。
ドーパミンが生じさせるのは快感ではなく、きわめて強い「快感の予感」でした。即座核を刺激すると、被験者は「頻繁に、ときには気が狂ったように」ボタンを押しますが、そのときの気分を尋ねると、「もうすこしで満足感が得られそうで得られず、焦るばかりですこしも楽しくなかった」とこたえるのです。
報酬中枢の役割は、「あらゆるリスクを冒しても欲しいものを即座に手に入れたい」と思わせることにあります。ヒトが進化の大半をすごした旧石器時代には、食べ物を獲得したり性交をする機会はきわめてまれだったので、生き延びて子孫を残すには強い衝動で死に物狂いにさせる必要があったのです。
ところがゆたかな時代になると、私たちは食べ物、セックス、買い物からゲームまで、ありとあらゆる「報酬の機会」に囲まれて暮らすようになりました。これがさまざまな依存症を引き起こし、人生を困難なものにする理由になっているのです。
参考:エレーヌ ・フォックス『脳科学は人格を変えられるか?』
『週刊プレイボーイ』2016年10月24日発売号
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