8月に入って尖閣諸島周辺に中国の漁船が集まりはじめ、それを監視する中国海警局の公船が頻繁に日本の領海に侵入して両国関係が緊張しています。外務省の度重なる抗議に対し、中国側は「魚が獲れすぎて漁船が集まった」と説明しているようですが、日本では南シナ海の領有権問題で中国側の主張を否定する仲裁裁判所の判決が出たことを受けて、東シナ海でも領土拡張の圧力を強めているとの見方が支配的です。
でもここではちょっと頭を冷やして、「魚が獲れすぎた」という子供だましのような中国の言い分をちゃんと考えてみましょう。なぜなら、以前にも同じようなことがあったからです。
2014年11月、習近平政権の威信をかけたAPEC首脳会議が北京で開催され、安倍首相とのはじめての会談も予定されていました。ここで中国は、アジアの国々とともに「歴史問題」で日本の道義的責任を問う構えでしたが、大きな障害が立ちふさがります。小笠原諸島周辺に赤サンゴを密漁する中国漁船が200隻以上集まり、日本で大問題になっていたのです。
他人の庭に土足で踏み込むようなことをしておいて、エラそうな説教ができないことは中国政府にもわかっていました。しかし「独裁」的な権力を掌握したとされる習政権は、この大舞台までに密漁船を撤収させることができなかったのです。
これだけでは不足というのなら、次のような出来事もありました。
14年9月、習近平はインドを訪問し第18代インド首相に就任したナレンドラ・モディとの初会談に臨みますが、その数日前、中印国境に配備されていた中国軍がいきなりカシミール州ラダック地方に越境したため、「友好と協力」を呼びかけた習近平の面子は丸つぶれになりました。
実はこれははじめてのことではなく、13年5月、李克強首相がインドを訪問したときも中国軍はインド領に越境し、21日間居座っています。これは首相に就任したばかりの李克強にとって初の重要な外遊でしたが、やはり自国の軍事行動によって面子をつぶされたのです。
日本では、中国はひとつの「人格」で、確固とした国家意思をもって尖閣を奪取するための策謀を練っているのだと考えられていますが、これらの出来事からうかがえるのは、習近平の権力基盤がじつは脆弱で、国内の熾烈な権力争いが領土問題を複雑化させているとの構図です。
戦前の日本陸軍は、天皇の統帥権の名の下に満州事変や日華事変を引き起こしますが、いったん既成事実ができあがると、「権益を守れ」というナショナリズムの高まりの中で政府は軍の暴走を追認するほかありませんでした。「日本は天皇の下、政府・軍・国民が一丸となってアジアを侵略した」などといえば、歴史が大好きな保守派のひとたちから罵詈雑言を浴びることでしょう。しかし不思議なことに、同じ保守派の論客が中国共産党、人民解放軍、省政府などが一枚岩であるかのように「中国」を批判しています。
誤解のないようにいっておきますが、これは中国を擁護しているのではありません。日本の昭和史を振り返ればわかるように、「確固とした国家意思」がないほうがはるかに恐ろしいのです。
『週刊プレイボーイ』2016年8月29日発売号
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