イギリスのEU離脱でロンドンの金融街シティの地盤沈下が懸念されている。大手金融機関のなかには、EU圏でのビジネスを優先しフランクフルトやパリに本社移転を検討するところもあるようだ。シティが金融機関が集まるたんなる一区画なら、もっと有利な場所に移るのはビジネストして当然だろう。だが、シティは「ふつう」ではない。
シティの正式名称は「シティ・オブ・ロンドン・コーポレーション」で、1000年前からつづく同業組合(ギルド)の共同体だ。この共同体はロンドン市の行政の一部であると同時に、中世からの長い歴史のなかで数々の特権を認められた“自治都市”でもある。
中世イギリスの都市は国王から下されるチャーター(許可状)によって設立されたが、シティにはこのチャーターが存在しない。これが、シティが国家(国王)と対等の政治的権利を有しているとされる根拠だ。
古来、シティに入るには国王ですら武器を置かねばならなかった。エリザベス女王が在位50周年記念式典でシティを訪れたときは、町の境界でロード・メイヤー(シティの市長)が出迎えたが、これは国王との取り決めで許可なくシティに立ち入ることが許されていないからだ。
こうした数々の特権は、ロスチャイルド家やベアリング家などシティの豪商たちが王室の戦費調達などを支援した代償として手に入れ、コモンロー(慣習法)として認められてきた。たとえば王室債権徴収官はシティが英国王室に保有する債権の管理人で、現在でも議員以外でただ一人下院の議場に入ることができ、議長の後ろに座っている。その役割は「シティが享受している権利や特権を妨げるあらゆる法案に反対すること」だ。イギリスの中央銀行であるバンク・オブ・イングランドも、もとはシティの豪商たちが1694年に設立した民間銀行だった。
「国家のなかのもうひとつの国家」としてのシティは、共同体(コーポレーション)のメンバーである域内の金融機関にもっとも有利なルールを提供できる。さらにイギリスには、王室属領や海外領土、イギリス連邦の旧植民地など世界じゅうに広がる「帝国の遺産」がある。シティはこうしたタックスヘイヴンのハブ(中心)となることで、グローバルな金融ビジネスを支配してきた。アジアの金融センターである香港やシンガポールも、シティのグローバルネットワークの一部なのだ。
だがブリュセッルのEU官僚たちは、中世からの特権を手放さないこの奇妙な都市の存在を認めない。イギリスがEUにとどまるならば、シティは「ただの町」になっていく運命だった。だが今回の国民投票で、首尾よくEUのくびきから逃れることができたのだ。
シティがウォール街と互角にたたかえるのは、タックスヘイヴンのネットワークによって、グレイゾーンを含めた膨大な金融取引の需要にこたえることができるからだ。そう考えれば、シティが裏で離脱派を操っていたとしても、なんの不思議もないだろう。
橘玲の世界は損得勘定 Vol.60:『日経ヴェリタス』2016年7月17日号掲載
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