中米のタックスヘイヴン、パナマの法律事務所から流出した大量の秘密ファイル(パナマ文書)が波紋を広げている。ロシアのプーチン大統領に近い関係者、中国の習近平国家主席の親族、イギリスのキャメロン首相の亡父、アルゼンチン大統領やパキスタン首相からサッカー選手リオネル・メッシまで多数の政治家・有名人がタックスヘイヴンに会社を設立して資産隠しをしていた疑いが生じたからだ。
この事件で明らかになったのは、現代社会ではもはや「守秘性」は幻想だということだ。
秘密を守るもっとも確実な方法は、秘密を知る人間の数を減らすことだ。かつてスイスの名門プライベートバンクは、顧客情報は担当者と経営者しか知らず、重要な顧客は銀行の創業者一族である経営者が担当するため、秘密が漏れる恐れはほとんどなかった。ところがその後、情報のデータベース化が進むと、顧客名簿にアクセスできる人数は飛躍的に増えた。
2008年にリヒテンシュタインの大手プライベートバンクから顧客情報が流出した事件では、電子データの移管作業をしていたエンジニアがドイツの税務当局に顧客情報を420万ユーロ(約5億3000万円)で売りつけた。グローバル銀行HSBCのジュネーブにあるプライベートバンクから13万件近い顧客情報が流出した09年の「スイスリークス事件」では、首謀者は“正義の人”になって著書まで出したことで話題になった。今回の流出元も金銭は求めていないようだが、貴重な情報へのアクセスが容易になれば、個人的な利益や思想信条などで秘密を暴露しようと思う人間が出てくるのは当然なのだ。
パナマ文書の詳細は不明だが、法律事務所はタックスヘイヴンでの会社設立を代行するだけなので、会社名、取締役、資本金などの登記情報を保有しているだけだ。ただし出資金の内訳などから、なんのための会社かわかる場合もある。
報道を見るかぎり、夫婦でパナマに投資会社を保有していたアイスランドの首相がやったのは「ハゲタカファンド」の手法で、世界金融危機で破綻寸前の銀行の社債を紙くず同然で買い集め、債権者集会で主導権を握ろうとしたのだろう。手口を隠すためにタックスヘイヴンを利用することは違法ではないが、一国の首相がこんなことをやれば国民が怒るのは当たり前だ。
先進国の政治家の名前があまり出てこないのは、度重なるリークで、タックスヘイヴンを使うことが割が合わなくなったからだろう。キャメロン首相の苦境を見ればわかるように、公人には説明責任が問われるのだ。それに対して新興国ではいつ政変で地位を失うかわからないから、権力者は家族などの名義で資産を海外に移して保険をかけようとする。
タックスヘイヴンの法人設立は、ほとんどはプライベートバンクが仲介する。すでに大手金融機関の名前が出ているが、今後、疑惑の追及が銀行口座にまで及ぶようなことになれば、資産隠しの詳細が明らかになってさらなる激震が走るだろう。
橘玲の世界は損得勘定 Vol.58:『日経ヴェリタス』2016年4月24日号掲載
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